今はまず、お別れを





 ――死ぬと知っていても、君は、「聖女」の役目を引き受けた?
 ――ええ。もちろんです。




 俺は一人で花畑の中で立ち尽くしていた。花畑は地平線の果てまで途切れなく続いている。
 どこもかしこもビルが立ち並ぶこのご時世に、こんな場所が今どき存在するんだろうか。そう思って首をかしげて、次は、今度は咲いている花の奇妙さに気づいた。
 スノーフレークに、ゼラニウムに、コスモス、ヒマワリ、そしてスイセン。まだまだいっぱいあるけれど、子どもがでたらめに描いた絵のように、咲く季節も地域も環境もばらばらな花ばかりだ。
 というか、なんで俺、ここにいるんだろ。ここに来るまでの前後の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっている。
 だけど、なぜか俺は居心地のよさを感じていた。まるで身体が若返ったみたいに軽い。今ならどこまでも行けそうな気がして、歩きだしてみた。花の香りを乗せた風が頬や髪をなでて気持ちがいい。
 てっきりこの不思議な場所にいるのは俺だけかと思ってたのに、しばらく歩いたころに、女の子が地面にかがみこんでいるのを見つけた。背中を向けているから顔は見えない。
「ボンジュール、お嬢さん」
 声をかけたのは軽い気持ちだった。だけど、振り返ったその子の顔を見て、俺は言葉を失った。
「っ……!」
 ショートヘアーの金髪。俺にやさしげなまなざしを向ける青い瞳。
「こんにちは、フランスさん」
 その子はにっこりと俺に笑いかけた。少女らしい、屈託のない笑みで。
「……ジャンヌ……」
 やっとしぼり出した俺の声を聞いて、ジャンヌはますます笑みを深める。
「よかった。覚えていて下さったんですね」
「あ、うん……」
 馬鹿みたいな返事しかできない。彼女はそんな俺をおかしそうに見ながら、自分の隣を手で示した。
「座ってください。ここなら立ちっぱなしでも別に疲れないと思いますが、でも、慣例的に一応」
「……」
 それでも俺が呆然としていると、今度はちょこんと首をかしげた。俺の記憶にあるそのままに。
「立ち話がいいなら、私、立ちましょうか?」
「……いや、いい。俺が座る」
 座る動作の間も、座ってからも、俺は彼女から目を離せなかった。穴が開きそうなほど見つめていると、彼女は頬を染める。
「……そんなに見つめられると、少し恥ずかしいです」
「あっ、ごめん。でも……その……」
 どうして君がここに?
 そう訊きたいのに、訊いてはいけないような気がした。その質問をした途端に、彼女が消えてしまいそうに思えた。
 一抹の不安から疑問は口には出せずに、探るように彼女の様子をうかがう。風で彼女の髪が揺れる。くすぐったそうに髪を耳にかけるしぐさは、どこにでもいる少女のようだ。
「話したいことはたくさんあったんですけど、いざとなると、なにも言えなくて困りますね」
「うん、わかる」
 実感をこめてうなずく。ジャンヌは、ふふっ、と、肩を震わせた。そして、こともなげに言った。
「やっぱり、本題から話しますね。今日は、お別れと再会のあいさつに来たんです」
「お別れ? だって、俺と君はもうとっくに……」
「ええ。でも、これが、本当のお別れです」
「……どういうこと?」
「私もちゃんとはわからないんですけど、今貴方と話している『私』は、もうすぐ消滅してしまうんだそうです」
 まるで他人事のような口調だ。だけど俺の中で急激に怒りが沸き起こった。
「消滅? 君はすでに一度死んだのに、また死ぬってことなのか!? そんなの……あんまりじゃないか!」
「あっ、違うんです。ごめんなさい、言い方が悪かったですね」
 彼女はあわてて言った。
「私は、世界のどこかで新しいいのちになるんだそうです。でも、そのいのちは、私とはまったく別のいのちです。そういう意味で、『私』は消えてしまうんだそうです」
「……新しいいのちは、君なのに、君じゃないの?」
「そうみたいです。私の記憶だとか、性格だとか、感情だとか、そういうものは普通は全部消えてしまうんだって聞きました」
 それは確かに、「消滅」と呼ぶのがふさわしいのだろう。
「君は君のままでいることはできないの?」
「できないそうです。……それに、私自身がそうしたいとは思わないですし」
「どうして?」
 意外な言葉に俺は目を見開く。すると、彼女はそんなことを訊かれる方が意外だと言いたげな表情をする。
「だって、そのいのちは私ですけど、私じゃないんです。それなのに私の記憶だとかを引き継いだら、まるで私の人生をやり直させているみたいで、可哀想です。新しいいのちには、私の人生の引き継ぎじゃなくて、ゼロからすべてをはじめる権利があると思いませんか?」
「それはそうだけど……俺は、君には人生をやり直す権利があると思うよ。だって君の人生は……あまりにも短くて、過酷だったじゃないか」
「それは、結構よく言われます」
 彼女は苦笑した。
「でも、私は自分の人生が最低だったなんて思いません。私の願いは叶ったんです。私自身では実現できなかったこともありますが」
「……それなら」
 俺はごくりと唾を呑んで、ずっとずっと知りたかった質問を口にした。
「死ぬと知っていても、君は、『聖女』の役目を引き受けた?」
 彼女は、少しの迷いも見せずに言った。
「ええ。もちろんです」
 俺はなんだか泣きたくなってしまった。同時に、また怒りがこみ上げてくる。
「なんでだよ。君には他の人生もあったじゃないか。『聖女』なんかやらずに、普通に普通の村娘として過ごして、俺みたいにイケててオシャレな旦那さんを捕まえて、子どもや孫に囲まれながら死ねたかもしれないのに」
 八つ当たりのような俺の言葉に、ジャンヌは困ったように笑う。
「それはそうかもしれませんけど……でもそれは、『私』じゃないですから」
 まるで、駄々をこねる子どもを諭す母親のような口調だ。彼女は母親にはなれなかったのに。
 それから、困ったような顔をする。
「フランスさん、落ち着いてください。最初に言ったのに、忘れちゃったんですか? 私は、お別れと……『再会』のあいさつに来たって」
「また会えるの?」
「……確証はないですけど、おそらくきっと」
 期待させるような言い方をしたくせに、彼女はあいまいに答える。肩すかしを食らったのが逆におかしくて、怒るというより笑ってしまう。
「なんだよ、それ。頼りないな」
「ごめんなさい。でも、私が『私』じゃなくなっても、いつか必ず貴方に会えるような、そんな予感がするんです」
「……俺も、そんな気がするよ。君じゃない『君』が、どこの国に生まれたとしても」
「ふふっ」
 彼女は微笑んだ。しばらくはこの笑顔が見れなくなるんだ、と思ったらやっぱりさびしかった。けれど、きっと、最後じゃない。何年先になるかわからないけれど、何年かかったとしても、またいつか……俺たちは再会できる。
 だから今はまず、お別れを言おう。
「Adieu」
 ジャンヌはうなずく。そして、笑みを浮かべて、言った。
「À bientôt!」


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13/11/15 初出
14/03/27 改稿再録