およめさん



Kitayume Mysterious Halloweenから十数年後の、デンマークさんと外交官の娘さんの話です。
外交官の娘さんの将来などを捏造しています。



 私の父は外交官だった。
 つらそうな顔をしてるときもあるけれど、ほとんどは達成感に満ちた表情で仕事から帰ってくる。そして私に、幸せそうに言うのだ。
 「パパは自分の国と同胞のために、ひいては世界のために働いているんだよ」、と。
 幼かったときはその言葉の意味がよくわからなかったけれど、でも、父が自分の仕事を愛していることや誇りに思っていることは、なんとなく理解できた。
 私も父のようになりたい、国や国民のために働きたい。そう思うようになったのは、ごく自然なことだったのだと思う。
 大学を卒業した私は、国家公務員試験を運よく合格して、首都で働きはじめた。
 国の公僕として国民全体に奉仕することは綺麗事だけでは終わらなかったし、自分の力不足にひどく歯がゆい思いもした。お前は学生気分を引きずりすぎていると上司に叱られることもあった。けれど、つらいこと以上に、私は自分の仕事にやりがいを感じていた。
 世界にたった一つしかない、私の祖国。私が還るべき場所。それを守るために、そして、同胞たちがもっと祖国を誇りに思ってくれるように、私は働き続けた。

「ほご、座っていいっぺか?」
 お昼休みに食堂でランチをとっていると、そう声をかけられた。顔を上げると、長身の男性が私の向かい側の席を指差している。
「もちろん、どうぞ」
 ここの食堂は、お昼休みにはいつも人がごった返す。ただでさえ収容人数が職員数に足りないくらいなのに、書類の手続きなどでやってきた民間の方々も利用するから、余計に座るところがなくなってしまう。だから、知らない人と相席するのは当たり前のことだった。
「座れねぇで困ってたんだべ、ありがとうな!」
 腰を下ろしたその男性は、快活に笑った。はじめて会うはずの人なのに、その笑顔には見覚えがあった。
 いつだったかしら? 最近じゃなくて、私が子どものときに……。
「あんれ、もしかしておめぇ、新入りなのにやり手って噂になっちぇるやつけ?」
 男性が私の名札を指差す。私は首をかしげた。
「最近入庁したので、新入りなのは合ってますけど……やり手ではないですよ?」
「税金滞納した奴が乗りこんできたとき、三時間やりあったっぺな?」
「あ、ああ……そんなこともありました……」
「やっぱおめぇだべ」
「……みたいですね……」
 相手に一方的に自分のことを知られているっていうのは、なんだか恥ずかしいし、いたたまれない。私はつい首をすくめた。
「でも、そいつ最後はちゃんと税金はらったちー聞いたっぺ。すげーなー」
「はい。根は悪い人じゃなかったんだと思います」
「そーけそーけ。そらよかったっぺなぁ」
 男性はまた笑う。さっきよりもやさしげに。
 やっぱり、私はこの人に会ったことがある。絶対。だってこの笑顔には見覚えがある。
 いつだった? どこだった? ここまで出かかってるのに、思い出せない。
「ん? 俺の顔になにかついてるっぺか?」
 じっと男性の顔を見つめていたら、首をかしげられた。
「あっ、いえ、そうじゃなくて、あの……。……変に思わないで聞いてほしいんですけど、私、貴方と前に会ったことがあるような気がするんです」
 これじゃ古臭いナンパのセリフみたいだ。絶対馬鹿にされる。なんで言っちゃったんだろう。後悔していたら、男性はきょとんとした。
「ん? おめぇ、俺ごど知らねぇのけ?」
「え?」
「え?」
「……」
「……」
 二人してまじまじと見つめ合ってしまう。
 もしかしてこの人、高級官僚? でも、歳は私より二、三歳上くらいみたいだからそれはないと思う。
 じゃあ国王陛下か、首相のご親戚とか? ……でもやっぱり、こんな人、いなかったと思うけれど……。
 ぐるぐると考えていたら、男性は弾けるように笑った。
「わりぃな、うぬぼれちったべ。俺ごど知らなくてもしゃーんめー」
「す、すみません……。あの、もしよければお名前を……」
「そのうちわかるべ」
 男性は明らかに面白がっていた。
 私は釈然としない思いを感じつつも、うなずくしかなかった。

 その男性に次に会ったのは、翌日のことだ。
「ほご、いいっぺか?」
 混みあう食堂の中で、彼はまた私の隣の席を指差した。まさかこんなに早く会うことになるとは思わなくて、びっくりしてしまう。同時に、昨日の非礼を思い出して、全身から血の気が失せてしまいそうになる。
「どっ、どうぞ!」
 思わず声が裏返った。彼は「あんがとなー」と言いながら私の向かい側に座る。
「本当にすみませんでした!」
 彼が座るなり、私は勢いよく頭を下げた。そしてそのまま、顔を上げられなくなる。
「え、なした?」
「知らなかったとはいえ、貴方にあんな失礼なことをしてしまって、本当にすみません! デンマークさん!」
 彼は――私の祖国そのものであるデンマークさんは、困ったように言った。
「気にすることねぇっぺよ、知らなかったんだらしゃーんめーし」
「公務員たるもの、貴方のことは必ず知っていなくてはいけません! なのに私……私……」
 言葉がだんだんと弱々しくなってしまう。自分のやらかしてしまったことが本当にあり得ないことすぎて、もうこの場から消えてしまいたい。
 だけど、デンマークさんの手は、やさしく私の頭にふれて、髪の毛をかき乱すようになでる。
「いいっぺいいっぺ。おめぇが自分の仕事さがんばってんのは知ってっかんな。そんだがら、頭上げてくろ」
「でも……」
「謝るのは俺の方だべ。おめぇを困らせるつもりはなかったちーのに、わりぃことしちったな。許してくろ」
「そっ、そんな!」
 あわてて顔を上げると、デンマークさんはにこにこと笑っていた。あんまりにこやかすぎるから、罪悪感も薄まって、つられて私も笑みが浮かぶ。
「にしても、よく俺がデンマークっちーわかったなー」
「う、……そ、それは……」
 つい目をそらしてしまう。私には、もう一つ謝らなくてはいけないことがある。
「あの……十年以上前のハロウィーンで、デンマークさん、ホテルに出る幽霊の仮装をされてましたよね……?」
「え? ……あー、したっぺ! あんときゃー大変だったなー」
「それで……そのとき、娘の幽霊をやってたのが……わ、私……です……」
 昨日、家に帰ってから家じゅうのアルバムをめくった。そして、私と母と一緒に写っているデンマークさんを見つけた。それでようやく私は、彼の正体と、既視感の理由を知った。
「え?」
 デンマークさんは目を見開いた。私をまじまじと見つめて、それから、「えぇえっ!?」と奇声を上げた。
「おめぇ、あんときのわらしっこか!?」
「……はい」
「そーけそーけ! あれま、あんときゃこーたちっちぇかったのに、おっきくなったっぺなー!」
 見た目は私よりちょっと年上くらいなのに、まるで親戚のおじさんのようなことを言う。それに多少の違和感は覚えるけれど、デンマークさんにとっては当たり前なのかもしれなかった。
 アルバムの写真と、今目の前にいるデンマークさんはちっとも変わらない。まるで時が止まってしまっているみたい。
 あのとき母が言っていた、「このお兄さんとはあなたは違うのよ」の意味が、なんとなくわかった。でもやっぱり、私には今でもデンマークさんは私と変わらないように見える。
 私より少し年上で、おおらかで、笑顔が素敵な男の人。ただ、人と国だというだけの違い。
「そういやおめぇ、俺に『およめさんになってあげる』っち言ったっぺなぁ」
 顔がかあっと赤くなるのがわかる。あわてて手のひらで頬をおおった。すごく熱い。
「おっ、覚えてたんですね……!?」
 あのハロウィーンのあと、家に帰って私をしこたま叱った母の気持ちが、今になってようやくわかる。これは恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「うれしかったんだ。俺が、寂しくねぇかって思ってくれたのが。そんだけんと、また会えるとは思わなかったっぺ」
 デンマークさんは、はにかむように笑った。そんな顔をされるとは思わなくて、どきっとする。頬の温度がまた上がる。
「でも、もしかしたら、これからは毎日会えるかもしんねぇな!」
「そうなんですか?」
「二か月くらいは、ここで仕事することになってんだ」
「そうなんですか!」
 声が弾む。昨日は、もしかしたら次に会えるのはまた十数年後かもしれないと思っていたから、本当にうれしい。
「もしよろしければ、またお昼をご一緒できたらうれしいです」
「んだら、俺の席を取っといてくろ」
「はい!」

 それから、私はデンマークさんと一緒にお昼を食べるようになった。彼の方に用事があって一人で食べることもあったけれど、ほとんど毎日。
 最初のころの話題は、デンマークさんの昔話とか、他の北欧の人たちの話とかがメインだった。だけど、一か月半くらい経つころにはプライベートなことも話すようになった。込み入った話はしないけれど、彼が私のことを知ってくれるのがすごくうれしかった。
 だけど。
「このあたりは最近来ねぇから新鮮だなー。住み心地よさそうだ」
「あっはい、確かに住み心地はいいです……」
 ……だけど、まさか、職場から私の家まで送ってくれるとは思わなかった。
 ちょっとした話の流れで、今日は残業だと言ったら、女一人で夜遅くに出歩くのは危ないと心配された。大丈夫だと言ったのに、デンマークさんが送ってくれるということで話が決まってしまった。
 考えてみれば、職場を離れて二人きりになるのははじめてだった。だから、つい必要以上にデンマークさんの存在が気になってしまう。見慣れた景色も、通い慣れた道も、彼がいるだけで違うものみたい。
 心臓の鼓動がいつもより少し早くて、小さな音が全身に響く。
 時間の感覚がわからなくなる。いつもより早く進んでるようにも思えるし、遅くなったようにも感じる。職場から一人暮らしのアパートまでどれくらいの時間がかかったのかわからなくて、何度も時計を確かめた。
「本当に、わざわざありがとうございます」
 部屋のドアの前で頭を下げた。デンマークさんはいつもの笑顔を浮かべる。
「いいんだっぺよー。こんくらい、大したことねぇ!」
 胸がざわざわする。落ち着かない。デンマークさんともっと一緒にいたい気もするし、早く離れてしまいたい気もする。わけもなくじりじりする。
「んじゃ、また明日な」
 満面の笑みを浮かべてそう言うと、デンマークさんは私に背を向けた。
 行ってしまう。行ってしまう。
 ……行かせたくない。
「っ、ま、待って」
 思わず彼のスーツをつかんでいた。でも、振り返った彼に、なんて言えばいいのかわからない。ただひたすら、海に似た青い瞳を見つめる。
 普段の饒舌がうそのように、デンマークさんはなにも言わない。その代わりのように、大きな手のひらで私の髪にふれた。
 髪に神経があればよかった。そしたら手の感触がわかるのに。だけど、髪は指と指の間をすり抜けるだけ。
 急に悲しくなってきて、涙で視界がにじむ。嗚咽で聞こえなくなってしまわないように、声をしぼり出した。
「……あなたが、すきです」
「おう、俺もだっぺ。おめぇみたいに俺のためにがんばってくれる奴がいてくれて、ありがてぇなぁ」
 わざとらしいくらい、明るい声。
 デンマークさんは、本当は私が言った言葉の意味をわかってる。だけど、はぐらかそうとしている。それはわかっていたけれど、私の唇は止まらなかった。
「もしあなたが国じゃなくて、私と同じ普通の人間だったとしても、私は、あなたが……すきです」
「……」
 デンマークさんの手が頭をなでる。まるで小さい子にするみたいに。私はもう、彼と初めて会ったときみたいな子どもじゃないのに。
「……俺も、おめぇごどすきだ」
 深くて低い声が、夜に染みこむ。その声音が、彼と私の「すき」が同じだと教えてくれる。
「おめぇを、本当に俺の嫁っこにしてぇって思ったごどもあった。……でも、できねぇ」
「どうして……!」
 つい責めるような口調になる。
 お互いに想い合っているなら、結ばれるのが当然のはずなのに。
「俺は国でおめぇは人だがら、おめぇが先にしんちまう。……俺には、んだごど耐えらんねぇ」
「……」
 子どものように、先のことはどうだっていいじゃない、と言ってしまいたかった。でも、それを口にしないくらいの分別がある程度には、私は大人だった。
「……それにな、俺に嫁はいらねぇんだ」
「え」
「確かに俺には嫁がいねぇけんと、でも、北欧の奴らがいる。それに、俺ごど思ってくれる国民もいる。だがら、俺は寂しくねぇっぺ」
 寂しくないなんて言うくせに、デンマークさんの目はひどく悲しげだった。余計切なくなってしまう。
 私より少し年上で、おおらかで、笑顔が素敵な男の人。ただ、人と国だというだけの違い。
 だけど、その違いがあまりにも大きすぎることを、私はやっと悟った。
「かわいそう……」
 デンマークさんが私を抱きしめる。壊れそうなものにふれるようなやさしさだった。
「ありがとな」
「……ごめんなさい」
「おめぇが謝るごどねぇべ」
「ごめんなさい……」
「頼むがら、謝らないでくろ」
 国の人の腕の中は、残酷なほど、普通の人と変わらないあたたかさだった。


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13/11/07 初出(ブログ)
14/03/27 改稿再録