限りない感謝を



 弾むメロディに合わせて人々が踊る。
 できることならいつまでも華やかなドレスを見ていたい。だけど私には仕事があるのだ。だって私はただの召使なのだから。
 イタちゃんは小さくて危ないから、ということでお台所を手伝っている。お手伝いしながらつまみ食いしてないかしら。
 いや、きっとしているな、と確信していたら。
「ハンガリー」
 私を呼んだのはこの会の主催でもあるオーストリアさんだった。さっきピアノを演奏してみんなの喝采を浴びたところだ。
 うっとり聞き入ってしまった私を咎める人はいなかった。みんな彼の演奏に夢中だったのだ。
 オーストリアさんは本当にすごい。立派な家の生まれだし、気品があるし、ピアノだってうまい。ありえないくらい完璧だ。
「侍従長に伝言を頼みます」
「はい」
 彼の伝言は簡単なものだった。さっそく任務を果たそうと、出口に向かったそのとき。
「わたくしと踊ってくださいな」
 鼻にかかる甘い声。思わず振り返ってしまう。見えたのは、輝くような金色の髪を艶やかに束ね、真っ赤な唇が目を引く女性だった。女の私でさえドキリとするような。
 彼女はほっそりした手をオーストリアさんに差し出していた。彼はそれをじっと見ている。
 なんだか息苦しくて、慌ててその場を離れた。
 彼はきっとあの手をとる。そして誰もがため息をつくような優雅なダンスを踊るだろう。
 ――私も、なんて考えちゃダメ。
 私はただの召使なのだ。身分が違う。そもそも、踊り方も知らない。私が知っているのは家事雑用と剣をふるうことだけ。釣り合う以前の問題だ。
 廊下の鏡の前で、ふと立ち止まる。
 藁みたいな色の髪。化粧っけのない顔。手のひらを見れば、剣を握っていたときにできたタコの痕がある。
「ハンガリーさん、どうしたの?」
 気がつくと、イタちゃんの瞳が私をのぞきこんでいた。
「なんだかとってもかなしいかおしてるよ」
 悲しい? どうして? 分かってたじゃない、最初から。オーストリアさんと私の立場の違いなんて。
「大丈夫よ。ねえ、侍従長さん見なかった?」
「あっち」
 ありがとう、と言って、イタちゃんの口の端についていた食べかすをぬぐう。やっぱりつまみ食いしていたらしい。
「あんまり食べるとおデブになるよ」
「やーっ」
「冗談よ」

 オーストリアさんのところに戻ったとき、彼は一人だった。会場を見回してもあの女性はいない。帰ったらしい。
「伝えておきました」
 彼に私はどんな風に見えているんだろう。
 野蛮な騎馬民族。不器量な娘。召使。かつて自分を50回以上叩いた旧敵。
 分かってる。分かってるけど。
 少しだけでも彼の特別になりたい。どんな些細なことでもいい。たとえば一緒にダンスをしてくれたり、ピアノを聞かせてくれたり、微笑みかけてくれたり。
 どうして好きになってしまったんだろう。苦しいだけなのに。
「ハンガリー」
「はい?」
「あなたにはいつも感謝しています」
 息がつまる。胸に甘さと苦さが押し寄せる。こんな気持ち、知らなければよかった。
 ――あなたがすきです。
 だけどこの想いは叶わないと知っている。彼が私を愛してくれるはずないことは分かっている。
「私も、です」
 恋と絶望を教えてくれた貴方に、限りない感謝を。


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09/03/31