白昼夢
口づけて。
それだけで変わってしまう関係ならよかった。
だけど俺たちはそんなのを遥かに通り越した関係で、何も揺るぎはしない。唇に残る体温が虚しいだけ。
「……」
ハンガリーは目を丸くして俺を見つめる。碧の瞳に俺が映っている。ひどく情けない顔をしていた。好きな女にキスした男なら、もっと晴れやかなものでもいいのに。
「な、んで」
決まってるだろ、俺はお前が好きなんだ。ずっと昔からこうしたくてたまらなかった。それを実行に移しただけだ。
そう言っても、きっとこいつには分からない。俺の気持ちも知らずに他の男を見続けていたんだから。
「ハンガリー」
もう一度顔を近づけると、腕を突っぱねられた。けれど力で女が男にかなうわけがない。力任せにふりほどいて、二度めのキスをした。
柔らかさを感じる間もなく、痛みと、遅れて苦さがやってくる。顔を離して唇を触る。指先に赤い液体がついた。舐めると鉄の味が広がる。
「やめて」
「ハンガリー」
「いや」
「好きだ」
ハンガリーは信じられないものを見るような眼差しを俺に向けた。目の端には涙が浮いている。
そんな姿も愛しいと思ってしまうのは、俺が狂っているからだ。ハンガリーに。
「冗談やめて」
「俺が冗談で二回もするかよ」
「……」
ゆっくりと瞳が暗くなる。ようやく事態が飲み込めてきたらしい。遅えよ。一回めで気づけよ。
「私が、好きなのは」
聞きたくない。もう知ってる。言わなくてもいい。だから口を封じた。こじ開けて舌を絡めた。今度は噛まれる直前に逃げた。
ハンガリーの唇には俺の血がついて、毒々しく紅い。
「私は、オーストリアさんが好きなの」
泣きながら言われる。
ああ、知ってたさ。お前が奴を好きなのも、奴もお前が好きなのも、けれどお互いにそのことに気づいていないことも。
どうして俺を選ばない。
俺の方が奴よりずっと長くお前と一緒にいる。俺の方が奴よりずっとお前のことを知ってる。俺の方が奴よりずっとお前のことを好きだ。
どうして俺のものにならない。
手を伸ばすと身体を緊張させる。それに構わず腕の中に囲った。じたばたと身体が跳ねる。
「放して」
「今だけでいい」
「なに、」
「これで忘れるから」
ためらう気配。抵抗が止んだ。
……抱きしめ返しては、くれない。
そんなの分かっていたことなのに、かすかに胸がうずいた。ごまかすように腕に力をこめる。
三度のキスはしばらくハンガリーを悩ませるかもしれない。でもきっとすぐにその場所を奴が埋める。俺の記憶は打ち捨てられる。
何も変わらない。俺たちはただの「ケンカ仲間」のまま。
ただ、唇から今も流れる血だけが、白昼夢の名残を惜しむ。
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09/05/02