盗み聞きにご用心



 出先から家に帰ってきたころには日が暮れていた。
 部屋に向かいながら、ネクタイをゆるめてため息をつく。なんでこんなもんが世の中にはあるんだ。息苦しくてしょうがない。
 お坊っちゃんの部屋の前を通りがかると話し声が漏れ聞こえた。一人は奴だとして、もう一人は誰だ?
「オーストリアさん」
 高い声が聞こえた。理解と同時に気分が悪くなる。なんだよ、ハンガリーかよ。来てたのか。
 そのまま向かい側の自分の部屋に入ろうとした。そのつもりだった。
「あっ、ひゃ」
 耳に響く高い声が聞こえるまでは。
 なんだよ、今の。あいつの声だよな。なんであんな。
「んんっ、待ってください……!」
 聞き慣れたはずの声が知らない高さになって耳をしびれさせる。
 待て。待て待て待て。
 今のはどう聞いたってあれだろ。その……アレの最中の。
 心臓がバクバクする。人様のを聞くのなんて初めてだ。
「そんなに深くっ!」
 深く……って、えぇ!? お前ら何してんだって、そりゃナニしてんのか!
「じっとしてください」
 お坊っちゃんのスカした声が聞こえる。なんなんだその余裕は。ムカつく。
「やっ、んっ、そこはダメです」
 つかお前ら場所をわきまえろ、この家は俺とヴェストのだ! ホテルじゃねえよ!
 そうは思うが耳はどんどん敏感になっていく。ドアノブを握ったまま動けやしない。
 頭の中ではあんな想像やこんな想像がめまぐるしく駆け回っている。
 素肌をさらして喘ぐハンガリー、たわわな胸を揺らすハンガリー、うるんだ瞳で上目使いをするハンガリー。あ、やべ、身体が反応した。
「次は、私がしますね」
「お願いします」
 私がします……?
 ……口!? 口かよ! そんなもんくわえるなよハンガリー!
 そこからはひたすら無音だ。そりゃ口がいっぱいじゃしゃべれないよなって何考えてんだ俺!
 廊下がきしむ音がした。視線を向けると、ヴェストが立っていた。バレないようにスラックスの前をブリーフケースで隠す。
「そんなところに立って、一体どうしたんだ、兄さん」
「いや、その、なんでもないぜ!」
 二人に聞こえないように抑えた声が裏返った。ダサい。変な顔をされたから咳払いをする。兄の威信は保ちたい。
「ヴェストはどうしたんだよ」
「俺はオーストリアと話があるんだ」
 マズイ。坊っちゃんが恥をかくのはどうでもいいが、ハンガリーも巻き添えとなると別だ。
 それ以前に、クソ真面目なヴェストのことだから、同居人のそういうシーンを見てこの先まともにやっていけるわけがない。聞くだけならまだしも。
「あ、後にした方がいいと思うぜ」
「なぜだ」
 何も知らないヴェストが心底うらやましい。変な汗が額に溜まる。って、なんで関係ない俺が気を遣ってんだ。
「あー、ハンガリーもいるみたいだし」
 ふむ、と考えこむ。察してくれそのまま戻ってくれそれで終わってから来いよまだ前戯中っぽいけど。
「ちょうどいい、彼女にも話がある」
「え」
 ヴェストはドアノブを握った。くるりと回されるのがやけにゆっくりに見えた。せめてノックしろよ。
 部屋の様子はよく見えた。ヴェストが目を丸くする。
 ベッドの上、ハンガリーが座っている。奴は横になっていた。……ハンガリーの膝を枕にして。
 ……は?
 え、なに?
「あら、ドイツ。どうしたの」
 さっきまでの声が想像できないくらいにハンガリーはいつも通りだった。もちろん、ブツを口に入れていたりはしない。
「ノックくらいしなさい、このお馬鹿さんが!」
「あ、ああ、すまない。……何してるんだ?」
 うろたえながらヴェストが尋ねる。奴は身体を起こした。
「耳掃除ですよ」
「はぁ!?」
 質問者よりもデカイ声を出したのは、もちろん俺だ。ハンガリーが怪訝な顔でにらむ。その手にあるのは、どこからどう見ても耳かきだった。白い羽つき。
 なんだよ、驚かせやがって。紛らわしい声出してんじゃねえよ。
 気が抜けた俺を笑うように、奴の部屋のドアが閉まった。


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09/06/01