騎士の剣



 学校の廊下を歩いていたら、胸クソ悪い光景を見てしまった。
 数メートル先には坊っちゃんとハンガリー。「楽しいです」と書かれていそうなオーラを撒き散らしながら笑ってやがる。公害だ、よそでやれ。
 あいつがどこかに行くと、奴はこっちに向かって来た。眼鏡が光る。またネチネチと嫌味を言われるのかよ。
「プロイセン」
「なんだよ」
「シャツはちゃんとしまっていますか」
 俺はガキか。なんでそんなことをいきなり聞かれなきゃなんねえんだ。
「うるせーな、見て分かるだろ」
 そのまますれ違おうとすると、腕をぐいとつかんでくる。眉がいかにもお上品そうに、嫌味ったらしく吊り上がる。
「シャツのボタンは上まで留めなさい」
 誰もそんなの守らねえよ。やってんのはお前かヴェストか日本くらいだ。
 つかまれた腕を振りほどく。そのまま奴の襟首をつかんだ。
「てめえ、いつもいつもうるせえよ」
「風紀委員の務めです」
 スカしたツラしやがって、イライラする。俺のことを見下してんのか。ちょっと育ちがいいからっていい気になるなよ。
 余った方の拳を小綺麗な顔にぶちこもうとしたそのとき、スペインとフランスがやって来た。俺たちを見て顔色を変える。
「ちょっ、校内で暴力はあかんて!」
 フランスは坊っちゃんとの間に割って入って、スペインが俺を羽交い締めする。むしゃくしゃする気分が余計に強くなって、腕を振り回した。
 奴の呆れた目がムカつく。マジでムカつく。こいつらが来る前にどうにかしておけばよかった。
「どうしたんだよ」
「別に!」
 こいつとハンガリーが仲よくしてたのにイラついた、と言おうもんなら、フランスは絶対ニヤニヤする。それは俺のプライドが許さない。
 とにかく、なんでもいいから奴をボコボコにしてやりたい。俺の方が上だと認めさせてやる。
「お前がオーストリアを嫌いなんは分かるけど、W学園の校則は知っとるやろ?」
 それくらい知ってる。「みんな仲良く」、「廊下は走らない」、それから。
 そうか!
「おい、オーストリア!」
「なんです」
「俺と勝負しろ!」
 能面のような顔に指を突きつけて、宣戦した。
「は?」
「お」
「ええっ?」
 オーストリアは言われた意味が分からないのか怪訝な顔、フランスは面白そうで、スペインはかなりびっくりしていた。
 押さえつける力が弱まったから抜け出して、もう一度指を突きつける。
「世界W学園の校則、『弱肉強食』に則って、俺と勝負しろ!」
「嫌です」
 奴はためらう様子も見せずに、あっさりと断った。考えるポーズくらい見せろ。
「貴方と戦って、私になんの利益があるというのです」
「勝った方は負けた方に命令できるってのはどうだ」
「お下品です」
 ぶん殴りたい衝動をこらえた。俺様って冷静。
「スカートしかはけなかった昔に、タマを落としたのか?」
「なっ」
 心外そうに表情を歪める。よし、この調子だ。
「それとも俺様に負けるのが怖いのかよ。ハプスブルク家も堕ちたもんだな」
「お黙りなさい、それ以上の侮辱は許しません!」
 イケる。
「黙らせたかったら、勝負しろ」
「……いいでしょう。勝負ごとは好みませんが、誇りを守るためならば」
 これでお前の負けは決定事項だ! ざまあみろ!


 勝負する種目は半分ずつ決めましょう、と坊っちゃんは言った。望むところだ。
 審判はなぜかフランスとスペインになった。スペインはともかく、フランスは絶対楽しんでやがる。ニヤニヤしてんじゃねえ。殴るぞ。
 そんなわけで、ペーパーテスト、銃撃、楽奏、五十メートル走、とやっていった。
 結果は五勝五敗二引き分け。それぞれの得意分野(そして相手の苦手分野)ばかりをやるからキリがない。五十メートル走に至っては、坊っちゃんは途中で転びやがったし。
「もう一騎打ちでええやん」
 スペインのその一言で、最後はフェンシングで決着をつけることになった。最初からこれをやればよかった。
 白いユニフォームの上にメタルジャケットを着て、手には剣を持つ。種目はフルーレ、つまり相手の胴体を突くと有効打になる。
 ちなみに道具やらなんやらは借り物だ。世界W学園はあくまでも弱肉強食なのだ。
 アンガルド(構え)の合図でマスクをつけて構える。憎たらしいツラが見えなくなった。一生かぶってろ。
「プレ?」
 準備はいいか、とフランスが尋ねる。
「ウィ」
 もちろんいいに決まってる。ギッタギタにのしてやる。
「……ウィ」
 遅れて坊っちゃんが答えた。いよいよだ。
「アレ!」
 銃が発達した今、剣を握ることは減っていた。でもすぐに勘が戻ってくる。幼いころから馴染んだ感覚は、思考すら追いつかない速度で身体を突き動かす。
 やってきた剣先を払い、突き、かわし、進んでは退く。舞のような、もどかしい動きを繰り返す。
 六点先取のルールで、気がつくと五対三になっていた。もちろん俺が五点だ。
 何回かやっていく内に、奴は右からの攻撃に対する反応が鈍いことに気づいた。だから右を狙っていく。勝つためなら手段は選ばない。
 坊っちゃんも自分の弱点を分かっているのか、反応が素早い。かなり注意を払っているようだ。
 甘いんだよ。手首を返して左わき腹に突き出した、そのとき。
「なにやってんの!」
 いきなり割りこんだ声に注意が切れる。先端がそれてかすった。その瞬間を逃さず、奴が突きを繰り出す。
 ビーッと、耳障りな電子音が響く。有効打。
「アルト! アタック、トゥシェ、ポアン! サンク・ア・カトル」
「ちょっと待て、今のは」
 なしだろ、と言おうとすると、喉元がぎゅうっとしまった。低い場所からきつい眼差しが注がれる。
 ハンガリー。そのつぶやきは喉につまる。とりあえず手首をつかんで締めつけをゆるめる。
「邪魔すんな」
 身体を押しのけるとよろける。手を伸ばそうとすると後ろから坊っちゃんが受け止めた。顔を赤らめてありがとうございます、なんて言ってやがる。
 舌打ちをしてフランスに振りむく。静かだと思っていたら、スペインは寝ていた。
「今のは無効だ!」
「勝負の最中に気を散らしたのはお前だろー。軍事国家の名が泣くぞ」
「それは」
 なんだこの理不尽。元はと言えば、あいつが勝負の最中に大声を出したからなのに。騎士道はもうないのか。
 顔に何かが迫ってくる気配を感じて、反射的によけた。見ると、ハンガリーが剣を握って俺にまっすぐ突きつけていた。
「オーストリアさんに手を出すなんて、許さない」
 にらみつけてくる瞳には激しい怒りが渦巻いている。それが神経を逆なでする。
「お前は坊っちゃんの子守りかよ。だから弱っちいんだよ」
「オーストリアさんをバカにしないで!」
「女に守ってもらうプライドはどんなもんだよ? オーストリア!」
 ひゅん、と目の前を剣がかすめる。ぶつかる前に剣で受け流した。先がとがってなくてもぶつかりたくはない。
 少しだけ、ハンガリーは泣きそうな顔をしていた。顔をゆがめて、けれど必死そのもののだ。まるで犬が縄張りを守るために吠えているような。
「私が勝手にやってることよ」
 いかる肩を坊っちゃんがつかんで、下がるようにささやく。だけどあいつは首をふる。それどころか奴のマスクを奪って着けた。奴は呆れた顔になる。容認するらしい。
 なんだよこの信頼感は。俺がなにをしても壊せないし踏みにじれない。それが分かっているのに、焦燥に似たいら立ちが増す。
 ハンガリーはさらにメタルジャケットを着けて、マスク越しでも分かる強い視線でこっちを見る。本気で俺とやるつもりか。
「先にポイントを取った方の勝ちよ」
 おい、俺の方が点数的に有利だったんだぞ。いきなりルール変えんな。
 誰か止めろよ、と思ってもその「誰か」がいない。フランスはニヤニヤしながら成り行きをうかがっているし、寝てるスペインは問題外だ。オーストリアは場外で部外者ヅラ。お前当事者じゃないのか。
 やるしかない。女、しかもメタルジャケットの下は制服のあいつを相手に。うっかり怪我させても責任取れねえぞ。
 ため息をつくのすらバカバカしい。なんなんだよこの展開。苦々しい気持ちでラインまで下がる。
「アンガルド」
 剣を構えた。
 こんな茶番、さっさと終わらせてやる。
「プレ?」
 ウィ、と答える声がかぶった。
 身体の先まで気を張り巡らす。気が進まなくても、勝負に手を抜いたりしない。
「……アレ!」
 さっそくやって来た一撃をかわす。しなる音、ぶつかる音、こすれる金属音が入り混じる。
 肩あたりに突きを入れると焦ったように身を引く。ごまかすような動きは簡単に見切ることができた。
 考えてみれば、色んな面で最初から俺が有利だった。
 女はリーチが短いから近寄らないと攻撃ができない。ひやりとする攻撃も力任せに止められる。おまけに制服は動きづらそうだ。動くたびに短いスカートがひらひらする。
 バカじゃねえの。なんでそんなに必死なんだよ。あいつがどうなってもお前には関係ないだろ。
 そう言っても、十中八九ハンガリーは聞く耳を持たない。盲目的なほどにあとをついていく。奴のために全てを投げ出す。
 モヤモヤする不透明な感情を薙(な)いだ。あいつのメタルジャケットにかすったが、電子音は鳴らない。でもあからさまに動揺する。
 そのスキを逃さず、胸に剣を繰り出した。あっちは身を引いたかと思うと、前傾姿勢になって突っこんでくる。
 目が合った気がした。
 有効打を告げる電子音が遠くに聞こえる。
 動けなかった。頭が真っ白で、ゆっくりと瞬きする。上がった息遣いが間近にある。
「アルト!」
 自分の剣先を追う。……ふれてない。じゃあ。
「アタック、トゥシェ」
 体に目を落とす。左胸に細い先端が当たっていた。
「ポアン!」
 ハンガリーの強ばりがほどけていく。マスクをあげて、やって来た坊っちゃんに満面の笑みを向けた。
「よくやってくれました」
「はい!」
 褒められて嬉しくてたまらない、ってか。くそったれ。
 外したマスクを小脇に抱えて更衣室に向かう。入るなりロッカーに投げつけた。物に八つ当たりしてもしょうがないと、頭では分かっていても気持ちがムカムカしてしょうがない。
 負けは負けだ。それについてどうこう言う気はない。
「……」
 継承戦争のときとなにも変わらない。あいつは俺と奴のケンカにいきなり割りこんできて、剣をふるう。自分の身の危険や利益なんて少しも考えずに、ただ奴のためだけに。
 昔よりもなお悪いのは、勝ってもこんな気分になっていたに違いないことだ。


 翌日、また廊下を歩いていると、今度は一人のハンガリーに会った。
 俺の顔を見るなり盛大に顔をしかむ。俺だって同じ気分だ。すれ違おうとするとブレザーをつかまれる。
「勝った方が負けた方に命令できるのよね?」
「なんの話だ」
「昨日のことよ。そういう条件でオーストリアさんにつっかかったんでしょ」
 そういえばそうだったな。途中から奴をとにかく打ち負かしたくてどうでもよくなってたが。
「それがどうした」
「私の命令を聞きなさい」
 ハンガリーは勝ち誇った表情で胸をはった。デカイから目のやり場に困った。
「なんでそうなる。俺がその前提で勝負したのはお前じゃない」
「オーストリアさんが命令できる権利を譲ってくれたの」
 あの野郎。フランスやスペインよりはマシだけど、なんでこいつに。いつか絶対もう一度ぶん殴ってやる。
 決意を新たにして、ブレザーに食いこむ細い指を見る。シワになりそうだ。
「お前は俺に何をさせたいんだよ」
「二度とオーストリアさんに近づかないで」
 予想通りだ。こいつの頭には奴のことしか入ってないらしい。
「そうかよ。おら、聞いてやったぞ、手ぇ離せ」
「聞くだけじゃなくて行動に移しなさいよ!」
「お断りだ」
 ムキになって眉をつりあげる。カッとしやすい性格なのは昔からちっとも変わらない。
 ため息をついて、どうやったら腕の自由を手に入れられるのか、思いを巡らせた。


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