震える鼓膜



 じりじりとした陽射しがまぶしく突き刺さる。帽子をかぶり直して、髪とひたいの汗をぬぐった。
 かつての盟友(今でも親しくしているが)である日本の夏は、俺の国と違って湿気が多い。ちょっと外を出歩いただけで皮膚が真っ赤になる。
「ヴェ〜、ちょっとどこかのお店に入って休憩しようよ……俺、もう限界」
 帽子をかぶっていないイタリアはかなりつらそうな表情だ。いつもなら怒鳴りつけるところだが、こっちもこの暑さには参っている。
「そうですねえ、お昼もまだでしたし、ちょっと涼んでいきましょうか」
 日本の提案を聞いて、目をキラキラさせた。ふらついていた足取りがしっかりする。その元気はどこに隠していたのだと問いたい。
 数分歩き、ちょうどよさそうなレストランを見つける。窓際の席に通された。それぞれ注文して、お冷やを飲み干す。
「はぁ……」
 ようやく人心地がついた。
 昼食時を過ぎているからか、店内の客はまばらだった。学生がレポートに勤しんでいる姿も見える。耳から、だらんとイヤホンを垂らして。
「音楽なんか聞いて、集中できるものなのか?」
 二人も俺と同じものを見た。
「俺なら、歌いたくなってムリだなー。そっちに気を取られちゃう。日本は?」
「私は平気です。むしろ、ないと落ち着かないですね。げんこ……いえ、書類を作っているときは特に」
「なぜだ」
「そうですね」
 日本はあごに手を当てて考える様子を見せる。この国そのものである彼の意見を聞けば、あの学生たちの心理が分かる気がした。
「音楽を聞いているわけではないんです。自分と外界との壁にして、雑音をシャットアウトしたいんですよ」
 分かるような分からないような。それでも一応相槌を打つ。
「そう、か」
 俺はそもそも、イヤホン自体が苦手だった。
 戦場での記憶からか、イヤホンからは指令が出ているイメージがあるのだ。それに、雑音にまみれていては周囲の状況がつかめなくなる。軍人としてそれは致命的だ。
「それにしても、みんな音楽を聞いてるんだね」
 外を見ながらイタリアが言った。言われて意識してみると、老若男女を問わず、往来の人々は耳にイヤホンを差しこんでいた。お互いに着けたまま会話している者までいる。
「みんな、なにを聞いてるんだろうね」
「さあな」
「プラグの先には、なにもないのかもしれませんよ」
 不透明な黒い瞳が細められて、その内で面白がる光が躍る。
「なにもつながっていないイヤホンを耳に入れて、聞こえないはずの音をみんな聞いてるんです」
 ジャパニーズホラーの本家が言うだけに、やけに説得力がある。イタリアが青ざめた。俺も心持ち後ろに引いてしまう。そういった話は苦手だ。
「やめてよ日本〜」
「涼しくなりましたか?」
「涼しくはなったけどさ……」
 窓の外をながめる。イヤホンをして歩く姿は、指令を受けて動く操り人形の群れのようにも見えた。話に毒されすぎか、と頭を振ると、視界の端で白いものがひるがえった。
 目を向ける。横断歩道の手前にいる女性のワンピースのスカートだ。光に反射してちかちかする。ご多分にもれず、耳にはイヤホンがあった。
 彼女は携帯をいじりながら信号待ちをしていた。大通りを車が何台も走っていく。まだ渡れるまで時間がかかりそうだ。
「ドイツ、あのさ」
「なん……」
 呼ばれて首を動かしたそのとき、甲高いブレーキ音が響き渡った。
「なに!?」
「どうしたんだ?」
 店内がにわかに騒がしくなる。二人も不安そうに音のした方向に目をやっていた。
 さっきまであの女性が立っていた場所に人垣ができている。叫び声と怒鳴り声が聞こえる。そこに、あの目立つ白いワンピースは見あたらない。
「女の人が車にひかれたみたいよ」
「えっ」
「白い服着てた人」
 ざわめきの中からそんな会話を聞き取る。
 カッコウの声を模した、ひどくのんきな信号音が鳴り始めた。


 その日は日本の家に泊まった。
 日本の家は同盟を組んでいた当時と同じものだが、今は文明の利器クーラーとも同居しているので、夜は寝苦しいほどの暑さではない。
 それなのに、なかなか眠れずにいた。
 昼間に見た光景が何度も何度も頭によみがえる。イヤホンの絡まる横顔、ブレーキ音、ざわめく人垣。
 状況から言えば、あの女性は自分から道路に飛び出して行ったのだ。そして車にひかれた。簡単に表現するのなら自殺だ。だが、そんな風には見えなかった。
 ――もしかしたら。
 もしかしたら、彼女のイヤホンからはカッコウの鳴き声が流れたのかもしれない。彼女は自分の目で確認することもなく、自分の鼓膜を震わせたものを信じて足を踏み出したのだ。それが死告鳥の声とも知らずに。
 ――考えすぎだ。どうかしている。
 そう自分に言い聞かせても、妄執じみたその想像は頭から離れずに、そのまま、まんじりともせずに朝を迎えた。
「うわ、ドイツひどい顔」
 イタリアはびっくりした顔をする。日本も、変化の少ない表情でもはっきりと分かる心配の色を見せ、もう少し眠ることを勧めてきた。
「大丈夫だ」
「無理しないで」
「朝ごはんを作ったんですが、お食べになりますか? お眠りになっていてもいいんですよ」
 また大丈夫だと繰り返して、食卓の前に座った。だが食欲が湧かない。無理に掻きこんでも、米粒や味噌汁がぐちゃぐちゃになってなんの味もしない。
 俺の箸が進んでいないことに気づき、日本は再び休むように言った。二人が朝の散歩をしている間に眠ればいい、と。
「そうだな……そうする」
 無理をしてもしょうがない。とりあえず朝食は半分食べて、畳の上で大の字になった。布団代わりのタオルを腹にかける。
 バカな想像で眠れなくなるなんて、とんだ笑い話だ。落ち着いて考えれば、突飛な発想すぎる。ようやくそう思えてきた。
 ――二人には余計な心配をかけてしまったな。
 あくびを繰り返して、ゆるゆると眠りに落ちた。


 カラカラと引き戸の開く音。
 まぶたを開ける。重い気分がすっきりしていた。気づかない内に眠ることができたようだ。
「ただいまー」
 騒々しい声が聞こえてくる。上半身を起こして、腕を伸ばした。大きく深呼吸をする。足音が近づく。
「おかえ、り……」
 イタリアと日本は、耳にイヤホンをしていた。心臓が居心地悪そうに身をひねり、ラストスパートをかけて走り始める。
 ――こだわることなんてない。
 自分に言い聞かせても、嫌悪を止められない。
「どうしたんだ、それ」
「日本と買ったんだ」
 耳から黒いコードが垂れている。ねじまがったそれは、今にも首に絡みそうだ。
「外せ!」
「どうしてです?」
「ドイツの分も買ってきたんだよ」
 ずり、と畳の上で後ずさりする。立ちたいのに、足に力が入らない。二人はいつもより大きな声を出してこっちにやって来る。
「私が世界に誇る、日本製のイヤホンですよ」
 日本はイヤホンを広げた。プラグの先にはなにもつながっていない。俺には、首を絞めるロープにしか見えなかった。
「音が綺麗に聞こえるよ。まるで耳元で歌ってるみたい」
「く、るな」
 言葉が喉でかさつく。そんな俺を見て、二人は笑った。
「大丈夫だよ」
「安心してください」
 二人が、もう、目の前。
「やめ――」





「お帰り、ヴェスト」
「ああ、兄さん。ただいま」
「ん? お前がイヤホンなんて珍しいな」
「……兄さんも、どうだ?」


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09/07/19