合図を送るよ



「私のこと、好きになってくれますか」
「え」
 おしゃれなカフェで楽しい会話、おいしいブランチ、テンプレ通りだけど王道なデート。それは唐突な言葉で壊された。
「私のこと、好きになってくれますか」
 もう一度、何気ない口調で言った。
 だけど目が本気(と書いて「マジ」と読む)だ。浅黒い肌に映えて、獣のように爛々と輝いている。
「それはどういう意味?」
「そのままの意味です」
 彼女、セーシェルは実にあっけらかんとした態度だ。カップのコーヒーを飲むと、ソーサーに置いた。かちゃ、と陶器がぶつかる音は、まるで撃鉄(げきてつ)を起こしたかのようだ。
「どうなんですか」
「どうって……お兄さん、セーシェルのことはもう好きだよ?」
「そういう意味じゃありません」
 ごまかしが効かなかった。いつまでも子どもだと思ってたのに、いつの間にこんなに成長したんだ。
「私のこと、『女』として見てほしいんです」
 さっきまでは和やかにやってたのに、今ははりつめた空気の漂う、一種の修羅場だ。前触れなんてありゃしない。
 ため息をつくと、どうなんですか、と追い撃ちがやってくる。
「率直に言ってください」
 こりゃ逃げられそうにない。ホールドアップだ。
「じゃあ言っちゃうけど」
 瞬間、瞳がはっとしたように輝いた。不安よりも期待が勝っているように感じるのは気のせいではないだろう。
「ごめん、できない」
「……そうですか」
 がっかりした声は耳に痛い。だけど事実なのだからしょうがない。
『私は貴方の為に戦っているのです』
 もう何百年も昔、俺のために剣を握った子がいた。外見は目の前の彼女とちょうど同じか少し上くらいの年だったのに、意志はどんな大人よりも固く、強かった。
 俺はあの子を愛していた、……と思う。
 いまだに分からないのだ。咲き始めのユリのような初々しい瞳で見つめられるたび感じた、もどかしい奇妙さの名前が本当に愛なのかどうか。
 キスさえしなかった。交わるなんてとんでもない。あの子は、聖女だったから。
 今まで何人もの女の子たちを抱いてきた。遊びだったこともあるし、わりと本気だったこともある。俺はあの子への感情の正体を探してたんだ、と気づいてからはぱたりと止んでしまったけど。
 改めて彼女を見る。健康的に焼けた顔。つややかな黒髪を二つに分けて赤いリボンで結い、ヘーゼルの眸(ひとみ)を悲しげなまつげに縁取らせている。
 あの子と彼女を引き比べるような、そんな馬鹿なことをするつもりはない。二人に失礼だ。タイプは違うけど、二人とも大切な存在だから。
 俺もカップを持ち上げてコーヒーを飲んだ。苦い味と香りが広がる。
「でも、さ」
 悪いクセで、安っぽい慰めがあやうく口から出かけた。彼女が求めているのはそういうものじゃない。ナイフを舌先に当てるような切迫さだ。だから俺もそれに応えなくちゃいけない。
 心臓を、少し、めくった。
「そういう気になれたら、合図を送るよ」
「え」
 彼女はまばたいた。やがて、笑顔を作る。
「見落とすなよ」
「はい」
 それはウィンクだったり、笑顔だったり、態度だったりするのかもしれない。けれどいつか必ず、俺は彼女に合図するのだろう。
 想う相手をうしなって悲しんでも悔しがっても、人はまた、新しい別の誰かを想う。そんな風にできている。そりゃあもう愚かなほどに。
 だから、けじめをつけられたそのときは、きっと。


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09/05/30 初出(ENU)
09/07/27 改稿再録