ほろ苦いらせん



 始まりは、いつだって些細で唐突だ。
「くたばれ!」
 振り上げたフライパンは、プロイセンの頭に見事にヒットした。倒れた背中を踏みつける。
 世界会議の休憩時間。オーストリアさんとお話しようと思っていたら、こいつが彼にちょっかいをかけていた。マリアツェルを引っぱりつつ。
 もちろん、私がそれを黙って見逃すはずがない。だからこうして不届き者を成敗したところだ。
「いつになったら懲りるの」
 フィニッシュはどうしようかしら。そう思っていたら、燃える赤紫の瞳が私をにらんだ。
「お前は坊っちゃんのなんなんだよ」
「え?」
 いきなりのことに、虚をつかれてしまう。思わずオーストリアさんを見た。彼にも聞こえたらしく、探るような目つきをしている。
 ――私と、彼の関係、は。
「それは……」
 言葉に窮したのを見抜いて、プロイセンは意地が悪い笑みを浮かべた。踏みつけられたまま。
「坊っちゃんは一人じゃなにもできないもんな」
「なんですって!」
 侮辱の言葉を聞き逃せなくて、足にもっと体重をかけた。ぐえ、とか言いながらも口は閉じない。往生際の悪い奴。
「でっかい赤ん坊の面倒を見てやってるなら、子守り女だな」
「違う!」
 反射的に言い返したけど、気持ちがざわめく。そうこうしているうちに休憩時間の終了を知らせるベルが鳴った。
 ああもう、こいつのせいで結局一言も話せなかったじゃないの!
「死にさらせ!」
 トドメは、後頭部に。


 会議後は、オーストリアさんのおうちにお邪魔した。
 嬉しいはずなのに、プロイセンの奴のセリフのせいで気持ちがすっきりしない。待ち望んでいた会話をしてもどこか上の空になってしまう。
「ハンガリー?」
 はっと我に返る。目の前にいる人をほったらかしにするなんて失礼だ。
「ごめんなさい」
「お気になさらず」
 そう言われてもやっぱり気になる。怒ってはいないと思う。そっと顔色をうかがった。
「今朝焼いたザッハトルテがあるのですが、召し上がりますか?」
 あ、気を遣わせちゃったかな。申し訳ない気持ちになったけど、引きずるのはもっとよくない。
「はい。お手伝いしましょうか?」
「座っていて結構ですよ」
 彼が奥に引っこんだら、私は広い部屋に一人きり。することがないと、思考がずるずると引きずられていく。
 ――私たちの関係って、なんなんだろう。
 真っ先に浮かんだのは「恋人」だったけど、なんだか違う。それはもっと初々しいというか、瑞々しい感じがする。別に枯れてるってわけじゃないけど。
 いきなり行きづまった。結論を急ぐんじゃなくて、最初から順に思い出してみよう。私とオーストリアさんのこと。
 一番最初は「敵」だった。忘れてしまいたいけど、五十回以上ボコボコにした。ものすごい暴言を吐いたりしたし、お尻に矢を射ちこんだことすらある。
 私が支配下に置かれてからは、「主人と召使い」。彼は今よりも雰囲気がギスギスしていてかなり厳しかった。それなのにふと見せるやさしさが意外で、とても嬉しくて、気がつけば好きになってた。
 イタちゃんの独立とかプロイセンとの戦争とかケンカとか、色々あった末、私たちは「夫婦」になった。反抗心と恋の間で揺れることがなくなりはしなかったけど、それでも毎日が幸せだった。
 最初の大戦の後、私たちに別れが訪れた。でも数十年後には同じ枢軸側としての「同盟仲間」になっていた。
 その後、冷戦で離ればなれに。毎日心細くて、彼のことを想わない日はなかった。長い長い数十年が流れて、再会を果たせたのが、二十年ほど前。
 今は世界遺産の管理とか、色々共同でやってる。それにEU仲間。
 こんなに色々あった複雑な関係になんて名前をつければいいんだろう。
 「友人」でもない。たぶん今夜は、ベッドを共有して泊まることになる。普通の「友人」の範疇じゃこんなことしない。肉体関係のある「友人」もあるけど、そんなんじゃない。……と、思いたいけど。
 考えすぎて疲れてきた。プロイセンの奴が変なこと言うからよ。今度会ったらただじゃおかないんだから。
「お待たせしました」
 タイミングよく、オーストリアさんがトルテとコーヒーを持って戻ってくる。一人で考えてもらちが明かないのは今ので分かったから、彼に聞いてみることにした。
「オーストリアさん、私たちの関係って、なんだと思いますか?」
 ああ、と彼はつぶやいた。
「プロイセンの言っていたことが、気にかかるのですか?」
「……はい」
 あいつの言ったことに振り回されるなんて、シャクだ。
「真に受けちゃって、すみません」
「いえ、私も考えていました」
 意外だった。彼は泰然としていて、どんなことにもたじろがない人だと思っていたから。
 ――そんなことも分かんないなんて。
「オーストリアさんは分かったんですか」
「ええ」
 うそ、すごい。バイオレットの瞳はすべてを知りつくしているんだ。
 聞かせてください、と言うと、彼は焦らすようにコーヒーを飲む。
「私の結論は、こうです。『私たちの関係に、名などなくともよい』」
「えぇっ?」
 なんだかはぐらかされた感がある。つい、不満げな声が出てしまった。
「それって、どういうことですか?」
「関係に名があると、逆に、それに縛られてしまうだけです」
 それは思い当たりがあった。
 召使いをしていたときは、主人に恋をするなんて身のほど知らず、って自分の気持ちを押し殺した。夫婦のときは、彼につり合うようになりたくて肩肘をはってばかりいた。
 今は、昔よりもずっと自由に彼を想うことができる。人目を気にしなくてもいい。誰かに後ろめたく思うこともない。
「ときに『友人』、ときに『恋人』、ときに『仲間』。それではだめですか」
 首をふる。可能性がたくさんあるみたいで、なんだか嬉しい。見方を変えればすごく不安定なんだろうけど、私が彼を想う気持ちまで不安定になるんじゃないって、やっと気づいた。
「冷めないうちに召し上がってください」
「はい」
 ミルクと砂糖を入れて混ぜる。円を描いて黒と白が溶け合うのを見ていたら、ふいにひらめいた。
 ――ああ、そっか。
 私たちのつながりや想いは、複雑に渦まきながらも途切れることはない。
 ――らせん。
「味はいかがですか」
 さっき浮かんだばかりのアイディアを、どうやって彼に伝えよう。想像だけで楽しくなる。笑みがこみ上げるのを止められない。
「おいしいです」
 どこかの時代で経験したほろ苦さは、懐かしい記憶。


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09/08/13