Closed paradise
「インド洋の真珠」。そんな二つ名を冠された南の島は、太陽から惜しみない寵愛を受けていた。
白い浜辺に白い波が繰り返し打ち寄せ、すがすがしい潮の香を運ぶ。空は雲一つなく晴れ渡り、海とは違う青を広げる。
正に地上の楽園のような光景をこの目で見る曉幸(ぎょうこう)を得た男――イギリスは、今、パラソルの下で寝ころんでいた。枕は贅沢にも、この島の具現である少女、セーシェルのひざである。
誰もがうらやむ最高の条件下、彼は息を乱していた。せっかくの絶景をまぶたでさえぎるという暴挙まで犯して。
観光客とおぼしき若い男女の二人連れが、彼らの前を通りすぎていく。熱っぽい視線を絡ませ、引き合うように唇を重ねる。
見回してみれば、おそらく今夜は熱い夜を過ごすのであろうカップルでビーチはいっぱいだ。傍目には、彼らもその一員として映るに違いない。
「セーシェル」
そんな状況で、イギリスは口をひらいた。息には熱がこもっている。彼女の手を、かすかに握った。
「お前んち」
風が吹き、ざわざわとヤシを揺らす。葉がこすれる音は涼しげだが、鼓動の高鳴りをますます激しくする。
愛をささやくのに持ってこい、むしろそれ以外はあり得ないようなシチュエーション。
イギリスの唇が、動く。
「暑すぎんだよ。同じ島国なのに俺んちと違いすぎだ」
「はいはい、すみませんねー。気分が悪いんなら、大人しく黙っててください」
彼は顔を真っ赤にしていた。理由は羞恥や怒りやときめきでもなんでもなく、南国のにぎやかな陽射しのせいである。
要するに、バテていた。
セーシェルはため息をつく。彼の頭の位置を動かし、ついでにひたいに当てていた布を裏返す。
「カジキをバカにした報いです」
「だってあり得ないデカさだったろ、あれ……」
とぎれとぎれながらも反論は忘れない。皮肉屋の意地だ。
「それに、なんもないところにあいさつしてたし。幻覚見るほどツラいなら、早く言ってください」
「不思議な言葉をしゃべるのがいたから、あいさつしてたんだよ」
「はいはい、うわ言うわ言」
甘さもへったくれもない二人のビーチにも時間が流れていく。少しずつ日はかたむき、海の色を変える。
彼ら以外の恋人たちは、手をつなぎながらその場を去っていった。日没ならコテージからでも見られるし、そこからあとが本番だからだ。
そのころには彼の体調もほとんど元に戻っていた。起き上がりはしたが、まだめまいは続いている。彼女に肩を支えられながらしばらくぼんやりする。
「同じ島国なのに、俺んちと違うな」
思わずもらした言葉は彼の本心だった。かつて同盟を結んでいたある島国の日没とも違う、それは内心でつぶやく。
そうなんですか、と言ったきり彼女が黙っているのは、自分の国以外は学園しか知らないので、比較対象を持たないからだろう。彼女の世界は、果てしなく狭い。
本国にはまだ連れて行っていなかった。植民地として社交界に出すなら、もっと英語がうまくなければならない。でなければ恥をかくだけだ。
レディらしい教育もまだまだだ。当分、デビューはお預けだろう。
「英語の勉強はやってるか」
「えっ。……まあまあぼちぼち」
おそらくやっていないのだろう。態度で一目瞭然だ。
侵略をほのめかしておどそうかと思ったが、介抱してもらったことに免じて今はやめておいた。
「あっ、でも、歌は覚えたのが一つ」
なるほど、耳から学ぶのも悪くない。子どもは耳から自分の母国語を吸収するのだから。
「歌ってみろ」
くりくりした目がさらに丸くなる。
「え、今?」
「今」
ぶー、とすねるように唇をとがらせたが、やがて息を吸いこみ、音をつむいだ。
「Are you going to Scarborough fair?」
――よりによってこの歌か。
有名な詩集が歌詞になっているから正しい英語が身につくだろうが、内容が内容だ。コック・ロビンに比べれば断然マシだが。
「Parsley, sage, rosemary and thyme,」
前に、特技は歌と踊りだと言っていた。自分で言うだけはあって、歌声は澄みわたり、空気に乗って広がっていく。
夕陽に、首輪が輝いた。彼女が彼の植民地であり、彼が彼女をつなぎ止めておける証拠だ。
「Remember me to one who lives there,」
自分の国に戻った彼女は、学園にいるときよりもいきいきとして楽しげだった。彼女自身が愛している風景に包まれて、何度も笑った。
その様子は、真珠の名をもらった理由を強く納得させるとともに、彼をさいなんだ。
彼は、真珠を手のひらに閉じこめて解放できずにいる。
「For she once was a true love of mine.」
歌い終わると、彼女は視線を向けてきた。
誉めてもらえるだろうか、という期待はほんのわずかで、大部分は、どうせけなされるのだろう、というあきらめで満ちている。
そんな態度を続けてきたのは彼自身だったが、彼女が身につけてしまった痛々しさがむなしい。
「もっと英語を勉強しろ」
歌詞の意味が分かったとき、彼女はなにを思うのだろう。それでもこの歌を歌うのか、それとも。
「分かってますよ」
太陽は完全に隠れてしまったのに、まだあたりはうっすらと明るい。光が闇に抵抗しているように見えた。
その光景を記憶に収め、立ち上がる。パラソルをたたんで辺りを見回す。彼らが最後までビーチにいたようだ。
「また、来てもいいか」
「イギリスさんの好きにしてください。私は植民地なんでしょう」
その通りだ。彼女は彼に逆らえない。おそらく、首輪がある限り、つまり植民地である限りは、……ずっと。
彼女が彼を受け入れるのは、宗主国だから。他に理由はない。その関係がなくなればまったくの他人になる。
「次はバテないようにしてくださいね」
「ああ」
次に来るとき、彼女の首輪がなければいい。
閉ざされた楽園に、夜が落ちた。
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09/09/10
<補足>
歌詞参考 : マザーグースの歌