弟の心、姉知らず
「きょうだいっていいなあ」
ドイツとプロイセンの他愛もない会話を聞いていたハンガリーは、唐突にため息をついて、そう言った。
ドイツが眉をひそめる。彼は突然の話題についていくことを苦手としている。
「どういう意味だ」
「だって私にはいないんだもの。ドイツみたいに、気が利いて頼れる弟なんて」
ちら、と横に座る自分の恋人を見やるのは、ある種の当てつけを含んでいるのだろう。それに気づかず、実に嬉しそうにプロイセンは笑った。
「だろ、俺の自慢の弟だぜ」
ドイツはなにか言いたげな顔をしている。それに気づき、彼女は同情の視線を送った。こんな兄を持った弟はさぞ苦労することだろう。
「まあ、一人っ子のお前には分かんねえよな」
さりげなさを装って肩を抱こうと、プロイセンはそろりそろりとハンガリーの背中に腕を回す。
兄の恋路を思いがけず見てしまった弟は、顔を赤らめつつ、自分からその場を立ち去ろうとした、のだが。
「いいこと思いついた!」
やけに楽しそうな声に、男二人は動きを止めた。
「私とドイツがきょうだいになっちゃえばいいのよ!」
「は?」
「おもしろそうじゃねえか」
怪訝(けげん)な顔をするドイツとは対照的に、プロイセンはニヤニヤと笑っている。どさくさに紛れて、ついに肩を抱いた。
「俺の弟はハンガリーの弟、ってな」
そのセリフの含意するところに気づかず、「でしょう?」と彼女はますます勢いづく。瞳を輝かせながらドイツに視線を送った。
「ね、いいでしょ?」
「いきなりそんなことを言われても」
もっともな発言だった。
だが、彼女が残念そうにする様子と、プロイセンの責めるような目を見て、ドイツはたじろぐ。
なにかを言おうと口に言葉を溜めたが、結局、全身の空気を抜くようなため息をついた。
「今日一日だけなら、かまわん」
「本当? ありがとう!」
彼女は言葉を聞くなりいきいきしはじめた。ドイツを自分の向かい側に座らせると、買ってもらったばかりのおもちゃを見る子どものように笑み崩れる。
「で、お姉さんってなにすればいいの?」
ドイツは大真面目な表情をした。
「『姉』というのは存在そのものであって、特定のことをするのではないと思うのだが」
「そういうんじゃなくって」
言いたいことは分かるが、それでは一日限定の「きょうだい」の意味がない。普段と同じになってしまう。
「イタリアちゃんにするみたいにすればいいんじゃねえの」
「そっか」
彼女は手をのばすと、ドイツの頭に置いた。わしゃわしゃと動かす。
「いい子ねー」
「やめてくれ」
手を止めさせたドイツは耳まで赤くしていた。実際、彼女はイタリアにこんな風に接しているが、彼はイタリアではないのだから、能天気に喜んだり、「ヴェー」と謎の音を発したりはしない。
「そうよ、大事なこと忘れてた!」
なでたせいで乱れた髪を直していた彼女は、その手を休める。そして、かなり真剣な顔で言うのだった。
「私のこと『お姉ちゃん』って呼んで!」
「無理だ」
真顔で即答である。
「『姉貴』でもいいから」
なにかと葛藤している弟を尻目に、その兄はニヤニヤと笑っていた。明らかに面白がっている。
「あ、あね、……姉貴」
「……」
なぜか、呼んだ方も呼ばれた方も赤面していた。初々しい恋人のような恥じらいようだ。一人蚊帳(かや)の外のプロイセンは、唇をとがらせた。
「あー、腹減った! メシ食いてえな!」
わざとらしい大声に、ハンガリーはうるさそうにする。だが、確かに、そろそろ夕食の時間だ。食事の担当であるドイツが支度をしようと立ち上がる。
「私も一緒に作るわ。お姉さんだし」
肩に乗っていた腕からするりと抜け出すと、ハンガリーも続いた。一人残されたプロイセンは用もないのに二人を追う。
男物のエプロンは彼女には大きいので着られなかった。長い髪をまとめると、ハンガリーはドイツに、なにをすればいいのか問いかける。
「そうだな、冷蔵庫からザワークラウトのビンを出して、人数分盛り付けてくれ」
「りょーかい」
ためらう様子もなく冷蔵庫を開けた。ドイツがいないときは彼女が料理することもある。勝手知ったる人の家だ。すぐに目的のものを取り出した。
だが、フタを開けられずに苦戦する。火で熱して開ける方法もあるが、コンロは全て使われていた。
「俺に貸し――」
「どうした?」
知らずにプロイセンをさえぎり、ドイツが振り返る。開けることに集中していた彼女は、ドイツのセリフだけに気づいた。
偶然二人から無視された形になったプロイセンは、「けっ」と腕組みする。
「フタが開かなくって」
ハンガリーはバツが悪そうに告げた。指先が白くなるほど力をこめても、少しも動かない。
「貸してくれ」
受け取ると、あまり力を入れた様子もなくやすやすと開けた。彼女の目が輝く。
「すごい! 力持ちね!」
褒められたドイツはまんざらでもなさそうな表情である。男だけの所帯では、これくらいのことで感動する者はいない。
「俺の方が力持ちだぜ!」
いきなり割りこんだプロイセンが、開いたばかりのフタをがっちり閉めてしまう。今度はドイツがなにをしても動かなかった。
自慢げに胸を張った彼の耳に届いたのは、もちろん賞賛ではない。
「余計なことをしないでくれ」
「アンタは座って待ってなさいよ。ダメ兄」
本物の姉弟のように息がそろっていた。
たじろいだあと、プロイセンはぷいと顔をそむけ、そのまま部屋に戻ってしまう。フタの開かないビンを放置して。
ドイツはため息をつくと、ビンを冷蔵庫に戻した。開かないものはしょうがない。ブルストとジャガイモを煮ている鍋にちらっと目をやる。
「ハンガリー」
彼女はその声を聞いたはずだが、返事をしなかった。再び名を呼んでも、空とぼけている。
「……姉貴」
「はい、なあに?」
今度は機嫌よくハンガリーは返事をした。ドイツは呆れた顔をしたが、それでも自分の用件を伝えることは忘れない。
「あとを頼めるか。犬の散歩があるんだ」
「ええ、いいわよ。三匹もいると大変ね」
「すまない。先に食べていてくれ」
一人になって数分経つと、二つとも茹で上がった。皿に盛り付けると食べる用意ができる。
「……仕方ないわね」
ハンガリーはプロイセンの部屋に向かった。軽くノックをして、返事がないので勝手に入る。ベッドがふくらんでいた。
脇に腰を下ろし、頭まで毛布をかぶった彼に話しかける。
「ご飯できたわよ」
「……俺は寝てる。話しかけんな」
嘘だとつっこむ気にもならないほどの嘘だ。
「なにすねてんのよ」
「別に。俺様、兄貴だから弟に嫉妬なんかしてないぜー」
あきれたようなため息が部屋に響いた。
「馬鹿じゃないの」
「違う」
「違わない」
しばらく違う違わないの問答を繰り返し、ついに折れたのは彼女の方だった。
「分かんない? ドイツを大切にしたいのは、あんたの弟だからじゃない」
間があった。むくりと起き上がった彼は満面の笑みを浮かべている。
「だよな、そうだよな!」
そして彼女を抱きすくめ、キスをする。
「ビン開けてよ。アンタじゃないと開けられないんでしょ」
「おう、任せとけ」
どっちが弟なのかしらね、そのつぶやきは幸い、彼の耳には入らなかったようだ。
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09/09/18