五十九秒の未来



『聞いたかい、イギリス!』
 交換手が電話をつなぐなり、にぎやかな声があふれ、イギリスは顔をしかめながら受話器を耳から離した。
 仕事中だというのに、いきなり電話をしてきたかと思えばこれだ。もう少し厳しくしつければよかったな、とかすかに反省する。
「んなデカい声を出さなくても聞こえてるっつの」
『君はトシだから耳が遠くなったんじゃないかと思って、わざと声を大きくしてやったんだぞ!』
「……てめぇ」
 小さいころはあんなに可愛かったのに。思わず回想にひたりかけたが、またやかましく現実に引き戻される。
『って、そんなことはどうでもいいんだよ。君のところにも話は届いてるかい?』
「なんの話だ」
『俺のところで飛んだんだ!』
 興奮すると目的語やら主語やらが抜けるのは相変わらずだ。相手の幼さを象徴しているかのようで、痛むこめかみを揉んだ。
「もっと筋道立てて話せ」
『えー、仕方ないな。飛行機が、俺の家で、飛んだんだ!』
 そういやちらっと聞いたな、と思い当たる。
『しかも、ただ飛んだだけじゃないんだ! 世界初の有人飛行なんだぞ!』
「そりゃすごいな」
 口だけでなく、本当に驚いたので目をみはった。
 空を飛ぶこと、それは人類の長年の夢だ。鳥に憧れ、雲を追い、天空を自在に飛び回ることを目指しながらも、数えきれぬ人間が涙を呑(の)んできた。
 それが実現したというのだから、夢見る心を無くさぬ若いアメリカの興奮も無理からぬことだった。
 しかもそれは自分の家のことだ。さぞ誇らしいことだろう。
「どれくらいだ?」
『五十九秒さ!』
 短い。
 口には出さないまでもそう思った。だが、それは輝かしい短さだ。これからどんどん長くなっていくに違いないのだから。
『信じないっていう人たちもいるけど、俺はすごく誇りに思ってるんだ!』
「そうだろうな」
『いつか君にも見せてやりたいくらいさ』
 その後数分に渡ってアメリカはしゃべり、部下からの視線に耐えかねたイギリスが強制的に話を終わらせるまで続いた。
『まだまだ話はこれからなんだぞ!』
「とにかくもう切るからな。そんなに話したきゃカナダに言えよ」
『でもさ――』
 そのまま受話器を置いた。彼が机に座るのを見て、部下は部屋を出ていく。
 遅れを取り戻そうと、すばやく書類に目を走らせながら、その傍(かたわ)らであてどもなく考えにふける。
 飛行機が運ぶのは、人だけだろうか。商品や郵便は言うまでもない。きっと当たり前になる時代が来るだろう。……だが。
 ――死を運ぶ時代も、やって来る。
 そう思うと、純粋に人類の進歩を喜んだアメリカが哀れだった。滑稽ですらある。自分の血まみれの手で美しいなにかを汚す感触がした。
 五十九秒が飛び立ってゆく未来、せめてその空が青ければいいと、罪滅ぼしのように祈った。


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09/10/08