後ろの正面だあれ
『ハロウィンの午後八時、俺の家に』
それだけのメールが届いたのは一週間前のことだ。宛先を見ると、カナダにも送ったらしい。にぎやかにやるのが好きなアメリカらしい。
『分かった』
イギリスがそう送った理由はただ一つ、誘われたからにすぎない。紳士ならば、いけ好かない相手であっても誘いに応じるものだ。
久しぶりに羽を伸ばして遊びたいと思ったとか、わざわざこの日のためにスケジュールを調整したとか、夜なべして仮装衣装を縫ったとか、そんな事実はない。一切ない。
そしてついに当日、彼は仮装衣装を身にまとい、アメリカの家に約束の時間ぴったりで到着した。
「べ、別に楽しみにしてたとか、そういうんじゃないからな」
誰も聞いていないというのにそんな一人言をつぶやく。インターフォンを押そうとしたそのとき、いきなり背後に気配を感じた。
「誰だ!」
振り返ったそのとき、漆黒の長いマントが風にひるがえった。黄ばんだシャツには黒ずんだ斑点がちらばっている。血痕を模したものだろうか。目深にかぶった帽子で口元しか見えない。
正直に言おう。驚いた。
「お、お前……」
ぎょっとしたまま固まってしまったが、はたと気づく。この時間にアメリカを訪ねるのは、自分以外にはもう一人しかいない。
「なんだ、カナダかよ」
正体が分かれば怖くもなんともない。肩を叩きながら「元気か?」と尋ねると、相手はのっそりとうなずいた。
「ずいぶん手のこんだ衣装だな。すげぇじゃねえか」
感心しつつ、今度こそちゃんとインターフォンを押した。すぐに開いたドアから顔をのぞかせたアメリカの仮装衣装は、どう見ても。
「スーパーマン……?」
赤と青の対比がまぶしいことこの上ない。ご丁寧に眼鏡は外している。
「もちろんさ! だって俺は、世界のヒーローだからね!」
さも当然のように言う。白い歯を輝かせ、実にいい笑顔を浮かべた。
「ハロウィンは仮装パーティーじゃねえよ!」
「そんなこと分かってるよ。色んな家を回って、『トリック・オア・トリート!』、これでオッケーだろう?」
なにか色々と間違っている。どこから訂正したものか。
アメリカも彼の仮装衣装を見た。ぶー、とつまらなさそうに唇をとがらせる。
「君、その格好ダサいよ」
「ダサくねえよ! 俺が徹夜で仕上げたんだからな!」
「徹夜でそれなのかい? うわぁ……」
哀れみの視線が無性に腹立たしい。ネクタイの刺繍など、今までで一番の会心作なのに。
「ちょっとはカナダを見習え!」
そう言って隣を指差したが、そこには誰もいない。いつものように見失ったかときょろきょろしていると、長い爪の手が、アメリカの肩に置かれた。後ろから。
「わぁっ!」
アメリカが大声を上げる。近い距離で叫ばれて耳がきんきんした。犯人はカナダで、驚く様子がおかしいのか身体をふるわせている。
「背後からは卑怯だろう……」
アメリカはぶつくさ言っていたが、彼は内心で密かにカナダへ称賛を送っていた。
三人そろったことなので、アメリカの家と同じ通りに面する家を訪ねて回った。
「トリック・オア・トリート?」
アメリカが元気よく尋ねると、ある老夫婦は目を細めながら、ある少女は衣装に感心しながら、ある赤ん坊は泣き出しながら、たくさんのお菓子を彼らに渡すのだった。
そんなやりとりを何回繰り返しただろうか。ついに通りの家を全部制覇してしまっていた。
「そろそろ帰らないか」
「えー? 次のストリートまで行くんだぞ!」
「もう持てねえだろうが」
塞がっている両手を示しても、承知する様子はない。
「まだ足りないよ。これじゃブレックファストにもならないぞ」
「朝から菓子食ってんじゃねえ。それに、そんなに食ってるからメタボるんだよ、バカ」
十人が十人とも賛同してくれるであろう、まっとうな意見だと思う。だが、アメリカは納得しない。
「自分で作ったのを平気で食べてる君にだけは言われたくないんだぞ」
確かに、彼の家の料理は高名だ。……逆グルメ的な意味で。それは否定しようがない。だが言い返せないのはシャクだ。
「お前こそ、青やら紫やら黄緑やら、エグい色してんのを平気で食ってるじゃねえか」
「なにが悪いんだい? お菓子もカラフルな方が楽しいじゃないか!」
ダメだこいつ、もうどうしようもない。
一体どこで育て方を間違えたのだろう。ため息しか出ない。
「ん? なんだ、カナダ」
カナダが彼の肩をつつく。振り返ると、手のひらを差し出してきた。どうやらお菓子をねだっているらしい。
「ああ、用意してあるぞ」
アメリカとカナダのために一日がかりで作った……わけではないスコーンの入った袋を手渡す。カナダはそれを胸に抱えた。口元が嬉しそうに笑う。素材の厳選に時間を費やしたかいがある。
「お前もいるか?」
もう一つの袋を見せると、アメリカの顔がさっと強ばった。
「い、いや、もうお菓子は充分だよ! 家に帰ろうか!」
「『やる』っつってんだから素直に受け取れ!」
「お断りだぞ!」
「あっ、逃げんじゃねえよ! 待て、ゴルアァァァアァァ!」
追いかけっこをしているうちに、最初の場所、すなわちアメリカの家に到着する。玄関の前でいきなり立ち止まったアメリカの背中に思い切りぶつかった。
「お前、いきなり止まんなよ!」
「『待て』って叫んでたのは君じゃないか」
それはそうだが、ゆっくりとスピードを落としながら「待つよ」と宣言するのが筋だろう。
「って、そんなことどうでもいいんだよ。ちょっと、あれ」
アメリカが指差したのは自分の家の窓だった。カーテンが開いてそこから光がもれて、なんの変哲もないように見える。
「俺にはなんにも変わってないように見えるが」
「イギリス、君、ボケたのかい? 家の電気は全部消して回ったじゃないか」
「……あ」
そういえばそうだった。家が無人であることを知らない、ハロウィンでやって来る子どもたちに無駄足を踏ませないようにしたのだ。
電気がついているということはつまり……中に誰かがいる。
「鍵は?」
声をひそめて尋ねる。不審人物なら下手に刺激しない方がいい。
「閉めたよ。しっかり隠しておいたんだぞ。ほら」
鍵の隠し場所は彼も知っていた。郵便受けの底を二重にしてあるのだが、そこにちゃんと鍵はあった。
「お前、隠し場所をペラペラしゃべったんじゃないだろうな?」
「君と一緒にしないでくれよ。知ってるのは俺と君とカナダくらいさ」
顔を見合わせる。うん、と互いにうなずき、両手いっぱいのお菓子をカナダに渡す。
「俺とアメリカは家に突入するが、お前はここで待ってろ。五分経っても戻って来なかったら他の家に助けを呼べ。いいな?」
カナダはお菓子に埋もれそうになりながらうなずいた。アメリカとともに、武器になりそうな棒や石を手に持つ。おそるおそるドアノブを回すと、案の定、鍵は開いていた。
息を殺しながらリビングに近づく。人の気配と話し声がする。ドアノブに手をかけて、息を整えた。
「行くぞ」
「ああ」
弾みをつけてドアを開けた。ソファーに座っている人物が驚いたように振り返る。
「動くな、不審者!」
「ホルドアップ!」
「めいぷるっ!?」
情けない声が響く。不審者は右手を上げ、左手はなにかを抱えたままというちぐはぐなポーズで固まった。
三角のとんがり帽子や黒づくめの服は、魔法使いに扮装したものだろう。左手に抱えているのはぬいぐるみかと思ったが、よくよく見ると小型のクマだ。
「……あれ?」
頭が混乱した。一房だけ飛び出た髪や、気弱そうな表情は、間違いなく。
「カナダじゃないか」
「そうだよ、仮装してるけど分かるだろ?」
そりゃあもちろん分かる。だが。
「まったく、危ないじゃないか。怪しい奴がいるのに」
アメリカが腕を組む。カナダは不思議そうに首をかしげた。
「怪しい奴って?」
「勝手に家の鍵を開けて電気をつけた奴さ!」
「え? それ、僕がやったんだけど……」
話が噛み合わない。なにやらうすら寒さを覚えて、彼は身震いした。
「俺、外で待つようにお前に言ったよな?」
「そんなこと言われてませんよ」
カナダはクマを揺すった。ちなみにクマもしっかり仮装していて、目や耳が黒くなっている。パンダのつもりだろうか。
「君に渡したお菓子は?」
「なんのこと? 僕はずっと、ここで二人を待ってたんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。最初から説明してくれるか」
はい、とわけが分からなさそうな顔でカナダはうなずいた。
「僕がここについた時、二人はいなくて電気も消えてたので、とりあえず鍵で家に入って電気をつけて待ってたんですけど……」
「な、なにを言ってるんだい、君。ジョークはよしてくれよ」
「本当だよ!」
珍しくムキになってカナダが言い返した。
「じゃあお前は、俺たちと一緒に家を回ってない……んだな?」
「はい。ずっとここで待ってました」
アメリカと顔を見合わせる。顔が青ざめていた。
「じゃあ、俺たちと一緒にいたカナダは……」
「本当は……」
絶句する二人の肩に、後ろから静かに手が乗せられた。
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09/10/31