五十三回めは必ず
敗走してゆく背中の、心臓の裏側を狙ってハンガリーは矢をつがえた。
狙う相手はオーストリア。五十二回もボコボコにされながら、飽きることなく戦いを挑み続けてくる少年。
目障りでしょうがない。視界の端をちょろちょろされるとうっとうしい。それに、もうこれ以上の茶番はごめんだ。だから、息の根を止めてやる。
弓弦(ゆづる)を限界まで引きしぼり、集中して視野を狭める。髪の毛の一本一本すら識別できるほど、きつくにらんで。
標的が振り返った。
アメジストの瞳とエメラルドの瞳がぶつかった。
「……!」
逃げているはずなのに、無様なところはまったくなかった。むしろ勝者のような威厳に満ちている。鷲(わし)や鷹(たか)の猛禽類にも勝る強さだ。
心臓を絞られるような戦慄が走った。突然なにもない世界に放り出されたような不安と空虚さにみまわれる。
手の力が緩んで、矢が風を切り裂いて飛んでいった。狙いを大きく外して尻に命中する。土ぼこりを上げて少年は倒れた。その姿は不格好そのものだ。
今のはなんだったのか、理解できず混乱する頭を無理に押さえつけて、矢をもう一本取り出した。
なんにせよ、これがとどめだ。
……だが。
「ちっ、救援か」
蹄(ひづめ)の音を聞き、ハンガリーは舌打ちする。ここで深追いすると、こっちの分が悪い。「撤退だ」と仲間に告げ、駆け出す。
ちらりと振り返ると、金髪の少年――スイスと言ったか――がオーストリアに駆け寄るところだった。
時間が経てば経つほど、疑問は増える。
あんなにひょろひょろとして、剣さばきすらおぼつかないオーストリアに、あんな気迫があるわけがない。自分や銀髪赤目の友人にだってそんなものはないのに。
……あの目を見た瞬間、なにかのイメージが浮かんだ気がした。いつか自分はあの少年に征服されるという、確信じみた畏怖が。
「はっ、んなわけねえっての」
ヤキが回ったかと頭をかく。ズキリと胸が痛んで顔をしかめた。最近はこの痛みに悩まされている。
「よぉ、俺様の顔を見せに来てやったぜ!」
いきなりやって来た腐れ縁のプロイセンはふてぶてしく手を上げた。はぁ、とハンガリーは深くため息をつく。
「……お前は悩みがなさそうでいいよなあ」
「馬鹿にすんな。俺にだって悩みくらいある」
「言ってみろよ」
どうせないだろ、と意地悪く尋ねる。すると、困ったように目を泳がせた。
「なんだよ、気持ちわりぃ」
「……うん、ちょっとな」
揺れる視線は、ハンガリーの胸元や顔を行ったり来たりする。
「女々しいヤツだな、さっさと言え」
肩を軽く小突く。見つめてくる赤い瞳には、オーストリアが見せたような気迫はない。なんか違うんだよな、と内心でつぶやいた。
「あのさ、本当はお前――」
正直この友人の悩みなどどうでもいいので、右から左に流した。
「うじうじ考えててもしょうがねえ、直接殴りこみに行くか!」
決めれば即行動だ。なにやらしょげている友人などかえりみず、走り出した。
野原で見つけたオーストリアは、色とりどりの花を摘んでいた。だから女々しいんだ、と鼻を鳴らす。
「おい、お前」
目前に立ちふさがっても、慌てる様子はない。それどころか、にこにこと挨拶した。
「こんにちは」
「……逃げねえのか」
「今は、戦いではないでしょう?」
それはそうなのだが、ちょっとは警戒してもらわないと、こっちの調子が狂ってしまう。こういうなよなよしたヤツは苦手だ。
とっとと用件を済ませて帰ろう。そう決め、オーストリアのあごをつかんで顔を上げさせた。
「な、なんですかっ」
うろたえつつも手足をばたばたさせる彼をにらむ。
「るせえ、黙ってろ。殴るぞ」
ブドウやスミレに似た紫。……だが、ねじ伏せられるような迫力はない。ひょろひょろとお上品に頼りなく、ハンガリーを映すだけだ。
やはりあれはただの見間違いだったのかもしれない。今も心の奥底に、すくんだ名残があるとしても。
「……だよなぁ」
手を放し、突き飛ばした。尻もちをつき、ぽかんと顔でオーストリアはこちらを見ている。
「あの」
「もう用はねえよ。失せろ」
殴りこんで来たのは自分なのだから、立ち去るべきは自分だと、言ったあとに気づく。だが今さら退(ひ)けない。
向こうも気を遣えばいいものを、「なら、ちょっと待ってください」と言うなり、忙しく手を動かしはじめる。茎で輪を作り、花を編みこんでいく。
その手つきはまるで職人のようで、すぐに引きこまれた。弱っちくても、器用な人間は嫌いではない。
できあがったのは花冠だった。赤や紫や黄色の花びらが可憐に揺れる。
「差し上げます」
笑顔でハンガリーにそれを握らせると、オーストリアは立ち上がって自分の領地へ帰ろうとする。
「差し上げますって……おい、俺はこんなのいらねえよ!」
背中に向かって怒鳴ると、不思議そうに首をかしげる。
「どうしてですか? 似合うのに」
そのセリフで、頭にがっと血がのぼった。
「馬鹿にしてんのかお前! 男がこんなの着けて歩けるわけないだろ!」
「え? でも貴方は」
「お前がかぶってろ! この男女(おとこおんな)!」
無理矢理押しつける。花びらが千切れて風に舞った。足音荒くその場を立ち去る。逃げるのにも似ていて、ますますいら立つ。
「いつか、今よりもっと似合う日が来ますよ!」
「来るかボケ!」
大声で言い返す。
もし五十三回めがあるならば、必ずギッタギタにしてやろうと、そう決意した。
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09/12/14