ロスト



 ――イタリアは一体なにをやってるんだ。
 屋敷に帰るなり見てしまった奇妙な光景に、神聖ローマは首をかしげた。
 なにやらもぞもぞと身体をよじったかと思えば、きょろきょろと周りの様子をうかがい、しきりに独り言をつぶやいている。
 あきらかに挙動不審だ。あやしい。あやしすぎる。
「どうしようかなあ。どうしたらいいと思う?」
「なにしてるんだ」
 話しかけると、イタリアの全身が面白いくらいに跳ねた。びくびくと振り返る。かなりうろたえている。
「しっ、神聖ローマ! 僕、なにも拾ってないよ! 隠してもないよ!」
「……そうか」
 どうしてこうわかりやすいのだろう。まだなにも訊いていないのに、大体のことが把握できてしまった。
 ここは、知らん顔をするのがいいのだろうか。だが、彼女がなにか困っているのなら力になりたい。悩んでいると、いきなり、彼女の服の中でなにかがもぞもぞと動いた。
「な、なんだ今の!?」
「それは、あのね、だから、そう! 僕、お腹を自由に動かせるんだ!」
 いくらなんでも言い訳が苦しすぎる。さすがにだまされたふりはできない。
 ……少しだけさびしい。なにかあるなら、相談してほしい。大したことはできなくても、力になりたい。そんなに頼りなく見えるのだろうか。
 にゃあ。
 出し抜けに可愛らしい声。
「い、今のは、僕のお腹が……わっ、ダメだよぉ!」
 前合わせから顔を出したのは――茶色くてふわふわして耳がちょこんととんがっていてくりくりした丸い目でこちらを見つめる――子猫だった。

 井戸のそばにいた子猫だと、イタリアは説明した。足にすり寄られて、愛らしく鳴かれてしまっては、とても無視はできなかったそうだ。
「オーストリアが知ったら怒るぞ」
「そうだけど……だ、だって、可愛いから」
 お前の方がよほど可愛い。そう言いかけたがすんでのところで飲みこむ。
「ところで、餌とかどうするんだ」
「え。あ。……考えてなかった」
 あきれ混じりにため息をついて、つい苦笑してしまう。
 後先を考えずに、自分の気持ちにまっすぐ行動してしまうのが、イタリアらしい。
「台所の残り物……は、可哀想だな。自分たちの食事からちょっとずつ分けてやるのがいいだろう」
 ちら、と表情をうかがう。彼女の食い意地はよく知っている。果たして自分よりも子猫を優先できるだろうか。
「う……」
 案の定、困ったような顔で子猫を見つめている。ぺろりと手をなめられ、くすぐったそうにした。
「僕、我慢するよ」
「え」
「だって、ほうっておけないよ。こんなにちっちゃいのに」
 神聖ローマを見つめる瞳は真剣だった。そして、涙でうるんでいた。
「……わかった。俺も手伝う」
「本当!?」
「ああ。二人でこの猫を育てよう」
「ありがとう、神聖ローマ、大好き!」
 大好き。大好き。大好き!
 声が頭の中を駆け巡ってぐわんぐわんと響く。めまいさえ感じた。とてつもない破壊力だ。
「あとは、どこで飼えばいいのかな」
「俺の部屋なら、猫がいても平気だぞ!」
「そっかぁ」
 へにょん。イタリアはほっとしたように笑みを浮かべる。
「……可愛い」
「うん、猫可愛いよね」
「……そうだな」


 その日から、二人と一匹の奇妙な生活がはじまった。
 三食は怪しまれない程度に残し、食べ終わるなり急いで残り物を食べさせる。食べれば当然出すものを出すが、それを部屋でやられると困るので、晴れている日は近くの野原で、雨の日は庇(ひさし)のあるところで、用を足すまで遊ばせる。遊ぶと疲れるのか、夜になると小さく丸まって寝ていた。
 オーストリアが不思議そうに「最近は猫の鳴き声が頻繁に聞こえますね」と言っていたが、そしらぬふりを通した。内心はびくびくしていたが。
 そんな状態が一週間続いた、ある日のことだ。
「このお馬鹿さんが!」
 オーストリアが怒鳴るのが聞こえてきた。一瞬、足が止まったが、胸騒ぎに襲われて、一直線に駆け出した。
 彼の部屋のドアが開いている。オーストリアの声はそこから漏れてきていた。そして、イタリアがしゃくり上げる声も。
 急いで部屋に飛びこんで、いやな予感が的中したことを知った。
 猫を胸に抱えてうずくまるイタリア。それを見下ろすオーストリア。二人の間でおろおろとしているハンガリー。
「俺の部屋でなにをやってるんだ」
「それは私のセリフです」
 振り返ったオーストリアは冷たい目をしていた。
「私に許可も得ずに猫を飼うとは」
「言っても許さないだろ」
「詭弁(きべん)はおやめなさい」
 オーストリアはいらだたしげに足を鳴らした。その音におびえたようにイタリアがふるえる。腕の中の子猫が、のんきに鳴いた。
「元いた場所に戻してきなさい」
「で、でも」
「私の言うことが聞けないのですか」
 イタリアはとうとう泣き出してしまった。オーストリアは忌々しそうにため息をつき、猫に手を伸ばす。
 ――そうはさせるか。
 オーストリアの腕にしがみつく。そして、叫ぶ。
「行け!」
 イタリアは大きく目を見開き、うなずくと、猫を抱いたまま駆け出した。
「イタちゃん、待って!」
 ハンガリーが引き止めるのも聞かずに、一目散に逃げていく。彼女はちらりとオーストリアを見やり、後を追った。だが、イタリアの逃げ足に追いつける者はそうそういない。
 これでどうにか場をしのげた。ほっとしていると、
「このお馬鹿さんが!」
特大級の怒号が耳をつんざいた。
 きんきんする頭を押さえる。にらみつけると、盛大にため息をつかれた。
「なぜ貴方もイタリアも人の話を聞かないのです。いいですか――」
 続くオーストリアの言葉に、神聖ローマははっとした顔になり、やがて、表情を曇らせた。


 逃げたイタリアがたどり着いたのは、子猫を拾った井戸だった。
 腕の中の子猫の毛は、涙でかすかに湿っている。泣いているイタリアをなにも知らない目で見つめるのが悲しくてたまらなかった。
 こんなに小さくて可愛いのに。どうしてオーストリアは「飼っちゃだめ」と非情なことを言うのだろう。
 ふいに、頬にあたたかくてざらざらしたものがふれて、イタリアは激しくまたたいた。猫が慰めるように彼をなめていた。
「……ごめんね……っ!」
 嗚咽が喉をふさぐ。息ができない。苦しい。このまま死んでしまいそうだ。
 うすうす、わかっていた。猫はオーストリアに取り上げられるだろう。今までもそうだったように。
 大切なものはみんな、奪われてしまった。祖父亡き今は、唯一の肉親である兄。絢爛の文化。豊穣の大地。弱さゆえに、守りきれなかった。
 また、同じことが繰り返される。それをただ見ているしかできない。痛い思いはしたくない。
「イタちゃん」
 やさしい手のひらが、頭巾越しに頭をなでる。顔を上げなくても、ハンガリーだというのはわかっていた。
「ぼ、ぼく、ねこが、かわいそう、だなって」
「うん」
「かわいい、し、ちいさい、から、ひとりじゃ、かわいそう、だから」
「やさしいのね」
「なんで、かっちゃ、だめ、なんですか」
「それはね――」
 ハンガリーは言葉を半ばで止めた。二人分の足音が近づいてきたからだ。「大丈夫よ」と小さくささやき、オーストリアの背後に控える。
「イタリア」
 オーストリアの厳しい口調に、身体が強ばる。それでも、ありったけの勇気を振り絞って、言った。
「や、やです」
「……イタリア」
 今度は神聖ローマだ。味方の登場に、ほっとした。黒い服のすそを、ぎゅっと握る。
「その子猫を、放してやれ」
「な、なんで……!」
 裏切られた。
 真っ先にそう思った。神聖ローマなら、いつでも自分の力になってくれると信じていたのに。
「ひどい、ひどいよ! 神聖ローマまで、この子を捨てろって言うなんて」
「違う、話を聞いてくれ。その子猫には――」
 にゃうん。
 鳴き声が聞こえたのは、彼の腕の中からではなかった。源は、井戸のそばにある大木の陰からだ。
 みにゃあ。
 答えるように子猫が鳴く。すると、一匹の猫が陰から飛び出した。途端に、子猫はもぞもぞと暴れだす。
「よく考えなさい。そんなに小さな子猫は一匹で生きていけません」
「あ……」
「ならば、親猫とはぐれたとするのが妥当でしょう。ここ最近は猫の鳴き声がよく聞こえていましたし」
 親猫は子猫をじっと見つめながらこちらへ歩いてきたが、ある距離になると、ただ鳴くだけになった。人間を警戒しているのだろう。
 うにゃあ。
 うみゃあ。
 猫の言葉はわからない。それでも、なにを話しているのか、わかるような気がした。
「……」
「放してやれ」
 神聖ローマが繰り返す。子猫は明らかに親猫のところへ行きたがってもがく。小さな爪が腕の内側を引っかいた。
 奪われる痛みを、イタリアはよく知っている。だが、奪う痛みは、初めて知るものだった。
「……ばいばい」
 腕の力をゆるめる。子猫はするりと抜け出した。まっしぐらに親猫の方へ走っていく。そして、ようやく再会した二匹は、顔をすりつけて喜び合った。
 二匹はそのまま野原へ歩き出す。イタリアに振り返ることはなかった。
「……行っちゃった」


 こってりと搾られたイタリアと神聖ローマが屋敷に戻って行くのを、ハンガリーはオーストリアの隣で見送っていた。
 きつくつり上がった眉。それが、彼の素の表情でないことは知っている。少しためらい、口をひらいた。
「あの、オーストリアさん」
「なんですか」
「子猫を飼っちゃだめ、ってイタちゃんたちに言ったのは、親猫のことがあるからだけじゃ、ないですよね?」
 厳しい面持ちは変わらなかったが、あえて彼女は続けた。
「あの子猫はそのうち成猫になって、そして老いて、……死んでしまう」
 国の化身である彼女らの老化は、国土や内政などの状態にもよるが、人間に比べればはるかにゆるやかだ。依代(よりしろ)が消えない限り、ほぼ永久を生きる。
 人間の形を取りながら、決して人間ではありえない身がどういうものであるのか、幼いイタリアたちはまだよく知らない。
 愛するものに先立たれる悲しみや、残される我が身のつらさを、あの子たちはいつか知るのだろう。それを少しだけでも先に引き伸ばしたいと思うのは、愚かなことだろうか。
「オーストリアさんなりの思いやりなんじゃないんですか?」
「貴方の言っていることの意味がわかりません」
 はねつけるように言い切り、オーストリアも屋敷に向かって歩きはじめる。孤高の背中を見つめて、ハンガリーは小さくため息をついた。


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10/10/10 初出(イベント無料配布本)
10/12/09 再録