道しるべになれたら
※「二人のシンフォニー」に収録している「方向音痴の恋心」のイタリア視点です。
ネタばれを含みます。
「俺も、役者だなぁ」
イタリアは独りごちて、はにかむように笑った。
さっきまで一緒にコーヒータイムを過ごしていたオーストリアは、今はいない。妻であるハンガリーの元へ向かったのだ。イタリアが持ってきたお菓子を持って。
そう仕向けたのはイタリアだった。むしろ、それが狙いでここへやって来た。
「……」
数日前のできごとが、頭をよぎる。
ハンガリーがオーストリアの元を去ったという噂も、円満だと装うあの二重帝国のメッキがはがれたのだという皮肉も、最初は笑って受け流せた。
一緒に暮らして近くで見ていたのだから、無責任な他人よりもイタリアの方がよく知っている。二人は相思相愛の仲だ。それこそ、妬けてしまうくらいに。
だが、両国が揃って登場するのがふさわしいような公式の場に現れたのはオーストリアだけだったという話や、ハンガリーはプダペストの自宅で静かに公務をこなしているらしいという情報が、不穏なざわめきを伴って耳に届くようになった。
二国が一つの国としてまとまるのは難しいことを、イタリアはよく知っていた。兄弟であっても各地で大小の衝突が起こるのだ。況(いわん)や、元は主従関係にあった二人においてをや。
だが、そんなはずがないのだ。ハンガリーは見ているこちらがくすぐったくなるくらい真剣にオーストリアを愛していた。自分から離れていくわけがない。
いやな胸騒ぎがして、イタリアはハンガリーを訪ねた。突然の来訪に彼女は驚いたようだった。そして、少しさびしそうだった。彼女が待っているのは彼ではないと、ぎこちない微笑がそう告げていた。
いきなり本題を切り出すのはためらわれて、最初は他愛ない雑談をしていた。少しずつ話題が尽きて、ついに二人で黙りこんだ。
疑問をぶつけるには丁度いい頃合いだった。だが、その勇気が出ずに口ごもってしまう。何度も口を開け、閉じた。
ハンガリーのことが心配だからここに来た。だが、それは野次馬根性の隠れ蓑だったのではないだろうか。そう思うとなにも言えなくなる。
ふいに、彼女が笑った。そよ風のようなやさしげな吐息を漏らして。
『……意地悪なことしちゃって、ごめんね』
『え?』
『本当はわかってたの。イタちゃんがどうして私のところに来たのか』
『あ、……うん』
せっかく水を向けてくれたのだ。精一杯の勇気を振り絞って、言った。
『オーストリアさんと、……なにが、あったの?』
『……私が悪いのよ』
彼女は指を握り合わせた。指先が白くなるほどの力をこめて。
『期待しちゃいけないってわかってたのに、勝手に期待して、それが裏切られたことが許せなかったの』
要領を得ない。しかし根掘り葉掘り訊くことができない雰囲気が彼女に漂っていた。
『夫婦って関係なんか、あの人にはお飾りにすぎないってわかってた。わかってたけど、でも、私は……』
――オーストリアさんがすきなの。
こんなに痛々しい愛の吐露を、イタリアははじめて見た。
彼にとって「愛」というものは、春の陽射しのようにあたたかくやわらかく降り注ぐもので、太陽そのものではなかった。だが、彼女の声には苛烈で激しいものが含まれていた。ふれただけで火傷をしてしまいそうなほどに。
『……オーストリアさんも、ハンガリーさんのこと、すきだと思うよ?』
なぐさめではなく、イタリアは本気でそう思っていた。
二人は同じような目をしてお互いを見つめ合っていた。見ている彼の心をあたためてくれた。
しかし彼女はのろのろと首を振る。
『そんなはずない。だってオーストリアさん、私にキスしたこと、忘れなさいって言ったの』
『……』
見えてしまった。二人の問題点が。部外者だからこそ。
オーストリアは自分がハンガリーをすきだということを無自覚で、彼女は彼女で自分の片想いだと思いこんでいる。なんとももどかしくじれったいすれ違いだ。
つまり、オーストリアが気づき、ハンガリーに想いを伝えればいいのだ。
『……ハンガリーさんは、もう、オーストリアさんのところに戻らないつもりなの?』
訊ねると、彼女は叱られた子どものような表情になった。
『いつまでもここで拗ねてるわけにはいかないってわかってるわ』
でも、と彼女はつぶやいた。緑の瞳には期待がひそかに息づいている。
『オーストリアさんが来てくれるって希望を、捨てられないの』
「ちゃんと、行かせたからね」
そろそろ、ハンガリーの元に兄が着いているはずだ。そしてオーストリアを迎えに行くことだろう。
「オーストリアさんを、ちゃんと道案内してあげてね」
イタリアは立ち上がり、窓を開ける。風景は幼いころとずいぶん変わってしまった。だが陽光のうららかさやぬくもりは変わらない。
風が髪を舞い上げる。声を乗せるようにつぶやいた。
「……だって、ずっと待ってるのは俺だけでいいんだ」
↑普通系目次に戻る
↑小説総合目次に戻る
11/09/24 初出(イベント特典)
12/01/03 改稿再録