いい歳なのだから。



 シャン、シャン、シャン。トナカイの蹄が空中を蹴るたびに鈴の音が響き渡る。今乗っているソリがどんな原理で空を飛んでいるのかわからないが、詳しく調べる余裕はなかった。そんな気も起こらない。
 ドイツの頭を占めているのは、目の前の事象についてではなかった。
 ――兄さん。オーストリア。
 突如侵入し、二人をさらっていった人物。いや、人なのかどうかもわからない。窓を突き破って外に放り投げたのにダメージを受けた様子もなく、逆に兄を連れ去った。その頑強さは人だとは思えない。
 世界各地で同じようなことが起こっていると、キューバが言っていた。だが、おそらくキューバにも奴らの目的や正体はわからないだろう。
 胸がつかえて、大きくため息をついた。白い塊はすぐに吹き消される。
 ――どうしてこんなことに。
 普通のクリスマスになるはずだった。遅れてきたイタリアたちを叱って、みんなでシャンパンで乾杯して、オーブンから焼きたての七面鳥を出して、オーストリアが奇怪な音を立てながら作ったシュトレンを食べて。聖なる夜を精一杯楽しもうとしただけなのに、どうして。
 やり場のない怒りとともにこみ上げてくるのは後悔だった。
 兄の背後に迫っている影に気づいていれば、みすみす目の前でさらわれたりなどしなかった。もっと早く事態に気づいていれば、オーストリアも助けられたかもしれない。
「くそっ……」
 歯がゆさに耐えかねて、太ももに拳を打ち付ける。すると、肩に手が乗って、やんわりとドイツをいなした。
「落ち着かなくちゃ」
 ハンガリーだ。月明かりに照らされた顔は病的なほど色白で、声には同情の念がこもっていた。
「気持ちだけあせったってしょうがないわ」
「だが」
「大丈夫よ。きっと二人とも無事でいるはずだから」
「……」
 反論しようとしたのだが、彼女の表情を見てなにも言えなくなった。
 泣くのを必死にこらえている瞳。それでも気丈にふるまう彼女を支えているのは、確信ではなく祈りなのだろう。
 大切な人の行方がわからずに、不安や心配で苦しいのは彼一人ではないのだ。彼女もそうだし、アイスランドも兄や仲間が消えて心細いだろう。
 友人や家族などの安否を気にかけている者はもっといるはずだ。もしかしたら、さらわれた者たちも、自分がどうなるのかわからず戦々恐々としているかもしれない。
 自分の感情でいっぱいで、視野が狭くなっていた自分が情けなくなる。
「……見苦しい姿を見せてすまない」
「ううん、気持ちはわかるもの」
 彼女はゆるやかに首を振った。ドイツの隣に座ると、わざとらしいくらい明るい声で言う。
「腹立つわよね」
「なんのことだ」
「プロイセンのことよ。オーストリアさんなら頼まれなくたって心配するけど、あんな奴、頼まれたって心配したくないのに、心配させるんだから」
 そんな言い方をすることが、彼女が兄のことを気にかけているなによりの証拠だった。本人は気づいていないようだが。
「もう、馬鹿みたい。あんな奴なんか……」
 彼女は膝を抱え、顔を伏せた。


「俺様の無事を泣いて喜べよ、けせせせ!」
「誰もあなたなんか心配してないわよ、時代錯誤野郎!」
「いーだ」
「いーだいーだ」
 事態が収束してからやり直したパーティーで、兄とハンガリーは相も変わらずいがみ合っていた。事件が起こる前とまったく同じようなやりとりを見つつ、ドイツはため息をつく。
 ハンガリーが心配していたことを兄が知らないように、きっとハンガリーも知らないのだ。目覚めた兄が、真っ先に彼女の安否を尋ねたことを。
 そんな風にすれ違っているのは、はたから見れば微笑ましいと言えなくもない。だが、いい加減、自分の気持ちに素直になるべきではないだろうか。
 二人ともいい歳なのだから。


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11/08/21 初出(イベント無料配布本)
11/10/29 再録