碧 囚われ
この作品には、近親相姦をほのめかす描写があります。
また、オランダ×モブキャラ、モブキャラ×ベルギーの描写もあります。
あらかじめご了承ください。
ベルギーにしてみれば、兄・オランダは生活の一部なのである。
世界W学園に併設されている寮で朝食を一緒に摂ることも、そのあと二人で登校することも、ごく当たり前のことだ。授業や部活は別々だが昼は学食を揃って食べ、放課後は自習室で勉強を教わってから下校する。寮に帰ってからは兄の部屋に入りびたり、時間になれば食堂で夕食を共にする。
「兄妹ならこれくらい当たり前やん?」
彼女にしてみれば至極当然のことを言ったまでだったのに、それを聞いた友人たちの反応はすさまじかった。
「ない」
「さすがにそこまでは」
「大丈夫なの?」
即座に否定されたばかりか心配までされてしまった。
「ぜんぜん普通やろ? なにがおかしいん?」
「なにがって言うか」
「自覚のないあたりが」
深刻ぶったため息の意味が彼女には理解できない。
「ベルギーちゃんって実は重度のブラコンだったんだ」
「は? なに言うとるん」
兄は好きだがブラコン呼ばわりされるほどではない。はなはだ心外だ。むくれて見せたが誰もフォローしてくれなかった。
そんなにおかしいやろか。内心でつぶやき頬杖をついて考えてみる。
生まれたころからずっと同じだった。食事も生活もなにもかも。それをあえて変える理由もないので今でも続けているだけのことで、おそらくこれからも続いていくのだ。……なにがおかしいのだろう。
「でも好きな男の子はいるでしょ?」
「お兄ちゃんに劣る男なんかに興味あらへん」
「……そうなんだ」
明らかに友人はヒいている。顔に「さすがブラコン」と書いてあるのが見えたような気がしてあせった。
「だ、だってお兄ちゃんカッコいいし背も高いやん。スポーツもできるし頭もええやろ。ちょっぴり無愛想やけど基本的にはやさしいし。そんな人がいつもそばにいたら他のとこに目ぇいかんて」
「そうだねー」
「なんで棒読みなん」
なにがなんでもブラコンということにしたい悪意が透けている気がして腹が立つ。事実とは異なるレッテルを貼るのはやめてほしい。
「そんなにいい男なら、私、オランダさんにアタックしてみようかな」
思わず友人を止めそうになった。だがすんでのところで言葉を飲みこむ。余計にブラコン扱いされるだけなのは目に見えている。
口にするのは思いとどまったがあせりは心の中で暴れている。ずきずきと痛み出した胸を押さえてうつむいてしまう。すると、その友人が肩を軽く叩いた。
「冗談だってば」
「え、あ、……もう! からかわへんでよ」
友人たちと一緒になって笑いながらも、心底ほっとしている自分を見つけてしまった。
自分から部屋に来たくせにしばらくかまわないでほしいと思っているとき、兄はその気配をするどく感じ取って、そうしてくれる。なにも訊かないし言わない。ひたすら放置してくれる。そういうところが好きだ。他の男にはとうてい真似できないだろうと思う。
そんなに広いわけではない寮の一室で、オランダが読書中にページを繰(く)る音だけが響く。窓の外には紫紺の空が広がっている。そろそろ夕食の時間だ。
「……お兄ちゃん」
つぶやくように呼んだだけで視線が注がれる。
「今日、うち、……告白、されたんよ」
「……」
はりつめるような静けさが部屋に満ちた。それは続きを促しているのだとわかっていたが、口は鉛のように重い。やっとの思いでしぼり出した声はかすれていた。
「どないしよう」
兄は彼女の顔をじっと見つめていた。同じ色の瞳を彼女が見つめていたように。
つながっていた視線は向こうから断ち切られた。
「お前が決めればええ」
「なんでそんなこと言うん」
兄の口から言ってほしい言葉があった。そうすれば「お兄ちゃんがそう言うてたから」と免罪符代わりにすることができた。
そんな彼女の気持ちをきっと知っているだろうに、どうして兄は冷たく突き放すのだろう。なぜ助けてくれないのだろう。泣きそうになる。じわじわと熱くなる目頭を見られないように顔を伏せた。
「お兄ちゃんは、うちに彼氏ができても平気なん?」
「俺も彼女いるさけ」
「は!? そんな話聞いとらんで!」
驚きのあまり、憂鬱な気持ちはすべて吹き飛んでしまった。兄の顔をのぞきこんで詰め寄る。面倒くさそうな態度はいつもと変わらない。だからこそいらだちを煽る。
「いつから!?」
「先週」
兄の様子に変わったところはなかったのに、そんなことになっていたとは思わなかった。彼はなにも知らない自分をどんな風に見ていたのだろう。
「相手、誰なん?」
「前、お前と帰っとるときに会った奴や」
すぐに思い出した。やけになれなれしく兄に話しかけていたのでよく覚えている。彼女にも話しかけてきたが、なんとなく好きになれない印象だった。
あんな女のどこがいいのだろう。少し可愛くてスタイルがいいだけだ。
「なんでうちに言わへんかったんや」
「お前に関係ない」
「……っ」
言葉が出ない。オランダの言っていることは正しい。妹に報告したり許可を得たりしてから恋人を作る兄などいないだろう。普段の態度から考えればなおさらだ。
頭では理解できる。しかし感情はついていかない。裏切られたような衝撃だけがすべてを占めている。平然としている顔が憎らしく思えるほどだ。
「ほれから、明日から一人で飯食ったりしねま」
「なんで!?」
今まで兄と一緒にいるのが当然のことだった。一人で過ごすなど想像できない。
「あいつから頼まれたんや」
「……お兄ちゃんはうちより彼女の方選ぶん」
オランダはなにも言わず、彼女の頭をくしゃくしゃなでた。小さいころ、つらいことをベルギーが我慢したときと同じしぐさで。
――ずるい。
こうされるとなにも言えなくなることを知っているくせに。……それほど彼女が大事だと思い知らせて、どういうつもりなのだろう。
指を組んできつく握る。取り返しのつかないできごとがはじまっていくようでめまいがした。
翌日から、オランダの隣はベルギーの指定席ではなくなった。兄の腕には恋人が四六時中べっとりとしがみついて、まるで見せつけているかのようだ。二人だけの世界といった雰囲気である。
「なんやのあれ! 朝から晩までベタベタベタベタして! アホちゃう!?」
「前は貴方とオランダさんがそんな感じだったよ?」
「う……うちらは兄妹やからええの!」
「いやー、あれはさすがに兄妹でも恋人でも行き過ぎだと思うなぁ」
なにも言い返せない。歯がゆいが真実である。
「せっかくだから、これを機会にベルギーちゃんもお兄ちゃん離れすればいいじゃない」
「え」
「そうそう。告られたんでしょ? 付き合っちゃえば?」
「うーん……」
告白してきた相手は顔なじみだった。だが恋愛対象だと思ったことは一度もない。だから彼女が悩んでいたのは告白を受けるかどうかではなく、相手を傷つけずこれからもいい友人として付き合っていける断り方だった。
「もうちょい考える。向こうも『待つ』言うてるし」
ため息をついて視線を窓の外に向ける。ちょうど、兄が一人で渡り廊下を歩いているところだった。
――お兄ちゃん、こっち見て。
念じながら凝視していたが、それが通じたかどうかはわからなかった。恋人が兄に駆け寄るのが見えて、思わず目をそらしてしまったので。
兄に恋人ができてから兄の寮部屋には行かなくなった。来るなと言われている。それに、恋人とべったりしている様子に生理的嫌悪を感じて近づきたくなかったのだ。
それなのに今夜兄の部屋のドアを叩いたのは、どうしても貸してほしい本があったからだ。
「……なんの用や」
ドアを開けたオランダは迷惑そうな顔をしていた。そんな表情をされるいわれはない。あまりの態度に腹が立ち、つっけんどんに言った。
「課題図書。貸して」
「明日の朝渡す」
「今」
にらみ合いになったが折れたのは兄の方だった。ため息をつきながら部屋の中を示す。
「入って勝手に取りね。俺は外に出る」
「う、うん」
入れ違いに出て行く兄の背中を目で追う。どうしても二人きりになりたくないらしい。しかしそれはこちらも同じだ。とっとと用を済ませて部屋に戻りたい。
本は棚の予想していた通りの位置にあった。それを持ってさっさと出ようとしたのだが、急ぐあまり足元への注意がおろそかになり、ゴミ箱を蹴飛ばしてしまった。
「やってもうた……」
いくらなんでもゴミを散乱させたまま部屋を出て行くのは気が咎める。ベルギーは小さくため息をついて片づけをはじめた。
「もー、お兄ちゃんてば、蹴飛ばすようなところに置かへん、で……」
あるものが目に留まり、思わず硬直する。
タバコの箱より一回り小さく手のひらに収まるサイズの小箱。パッケージは派手めの極彩色で目を引く。
それがなんの外箱なのか彼女は知っていた。買ったことはないが、大人びた友人に耳打ちされたことがある。それを聞かされて友人とひそやかに笑った自分の声が耳によみがえった。
それは、男女が肉体を交えるときに男性が装着するもの、いわゆる避妊具だ。もっとあけすけに言うならコンドームである。
それが兄の部屋のゴミ箱にあるということは、つまり、兄が使ったのだ。おそらくは……恋人との行為で。
胸がふさがる心地がした。吐き気が徐々にせり上がってくる。「不潔」や「下劣」では表現できないほどの嫌悪感は、虫が全身を這い回るのに似ていた。
片付けはまだ途中だったがこれ以上この部屋にいたくない。目当ての本を持って行くかどうかなど問題ではなかった。兄がさわったものになどさわりたくない。
逃げるように部屋を出て自室に戻った。ふらつく足取りでベッドに横になる。お気に入りのクッションをたぐり寄せようとして、それは兄からもらったものであることを思い出す。
「……っ!」
激しい感情を握りこぶしにこめてクッションを殴った。弾みがついて二度三度と振り下ろす。繰り返すうち、殺戮のように気分が昂揚して呼吸が乱れた。
しかしその昂ぶりは長くは続かず、少しずつ腕の力は萎えて、惰性に変わっていった。ついに手を止めたとき、クッションに点々と涙が落ちた。
兄が汚らわしくて憎くてたまらなかった。頬を爪でずたずたに引き裂いてしまいたい衝動がある一方で、胸の中に飛びこんで全身で存在を感じたい欲求もある。
「わけわからへん……なんでなん……」
お兄ちゃん。
嗚咽まじりに呼んだ瞬間、今までにない強さで胸が締めつけられた。
返事を延ばし延ばしにしていた告白を受け入れて、交際をはじめたのはその翌日のことだ。
感極まった相手に抱きしめられてもなにも感じなかったが、彼女も腕を伸ばして自分の恋人を抱きしめた。目を閉じてあたたかい胸に頬をすり寄せると、思わずため息が出た。悪くない、と思った。
付き合いはじめた当日から、兄がいなくなって空白になっていたポジションは恋人が占めることになった。放課後は自習室で協力しながら課題をやり、寮に帰ったあとは彼の部屋を訪ねた。
彼は恋人となったベルギーに打ち明け話をした。昔からずっと彼女が気になっていたこと。本当はフラれると思っていたこと。その理由が彼女とオランダが男女の関係ではないかと邪推していたためと聞かされて、つい大声で笑ってしまった。
「お兄ちゃんが男として好きなんて頭おかしいやん」
すると相手の表情はわかりやすく安心したものになり、へつらうように笑みを浮かべた。そして彼女の腕を引いて、あぐらをかいた自身のひざの上に座らせた。
宝石を見るようなうっとりした目で、ベルギーの瞳を見つめる。それがくすぐったいのと照れくさいのとでつい唇がゆるむ。
頬をなぞられる。そうするのがいい気がして目を閉じた。肩に大きな手のひらが乗る。彼が首をかたむけるのが見えなくてもわかる。少しずつ近づく。
息を止めたそのとき、唇が重なった。
翌朝は寮の食堂で恋人と朝食を食べた。そのまま登校し、授業中以外はずっと一緒に過ごす。教室を移動している休み時間には、誰もいない教室にこっそり忍びこんでキスをした。昼食はもちろん隣の席だ。食べさせ合うのはさすがにやらなかったが。
大っぴらにイチャついていないが、放課後にはすでに彼女たちのうわさは学園中に広まっていたらしい。友人たちにからかわれたと、恋人は照れ笑いをして語った。
彼は自習室内をきょろきょろと見回して誰も見ていないことを確認すると、すばやく彼女の唇を盗んだ。ちょっとした用があるからと名残惜しそうに席を外した彼に小さく手を振って見送った。
ノートを見ようとしたとき、誰かが音を立てて隣の席に荷物を置いた。顔を上げるとその人物と目が合う。
「お兄ちゃん!」
めずらしく、いつもべったりしている恋人は隣にいない。しかし席の上にある鞄は二つ分なので、あとからやって来るのだろう。鉢合わせする前に帰りたい、とこっそり考えてしまった。
兄は仏頂面で隣に腰掛ける。そしてわざとらしく驚いたふりをした。
「なんや。いたんか」
「いるやん!」
「場所関係なくチュッチュしとるサルやと思っとった」
羞恥と怒りが同時に生まれて、兄をきつくにらんだ。この人物にだけは言われたくない。あの女を抱いたくせに。よくもいけしゃあしゃあと隣に座れるものだ。
「あいつと付き合うとるんか」
「なんで言わなあかんの」
「言いねま」
「いや」
兄が腕をつかんだ。ぎりぎりと締め上げる。痛い。顔をしかめたが力はゆるまない。
「離して」
「言いねま」
「っ、お兄ちゃんに、」
振りほどこうとしたがうまくいかなかった。力でいいようにされる悔しさと痛みで泣きたくなる。
こんなにそばにいるのに、昔の二人には戻れない。
「お兄ちゃんに関係ないやろ!」
そう言って兄は彼女を突き放した。だから同じ言葉で突き放して、同じくらい傷つけてやるのだ。
オランダは目を見開いたが、すぐにいつもの無表情に戻る。冷めた眼差しで彼女を見つめ、手を離した。
痕は残っているだろうか。手のひらの形に赤く。
「……うちとあの人のことに首突っこまへんで」
うつむいたとき、話し声がこちらに近づいてくることに気づいた。二つとも聞き覚えのある声だ。目を向けると、予想通り、兄と彼女の恋人たちが談笑していた。
自習は取りやめにしてもう寮に帰ろうと言うつもりだったのに、兄の恋人が口をひらくのが早かった。
「ダブルデートしない?」
「え?」
「彼氏くんと盛り上がったの。貴方たちはどう?」
この女のこういう独善的なところがいやなのだ。絶対に一緒に行動したくない。
しかしあからさまに拒絶して意地悪な女だと思われるのも避けたい。兄が行きたがらないなら彼女もそれに賛同できる。というか兄の性格から言えばいやがるだろう。
そう思っていたのだが。
「……俺はかまわん」
さっきの仕返しのつもりなのだろうか。それとも、彼女とのいちゃつきを見せつけたいのだろうか。真意はわからないが、そっちがそのつもりならこっちも同じだ。
「うちも大丈夫やよ」
「よかった。じゃあいつにしよっか」
話はとんとん拍子で進み、再来週の日曜日に遊園地に行くことで決まった。
そして今日はダブルデートの当日である。
待ち合わせよりもかなり早い時間に、ベルギーはオランダの部屋を訪ねた。兄は案外すんなりと入れてくれた。
「デート楽しみ?」
「お前はどうなんや」
自分の心情を隠し通すのがいかにも兄らしい。
「ようわからん。今日のデートの帰り、たぶん、うち、あの人と、……するんやと思う」
「『する』?」
兄の声はとがっている。ざわざわと心が波打っておぼれてしまいそうだ。
大きくて骨ばった手のひらを見つめた。この手で助けてくれないだろうか。
「決まってるやん、セックスを、や」
オランダはいきなり彼女の肩をつかんだ。暗い情念の宿った瞳で彼女を射るように見つめる。
「許さん」
「お兄ちゃんにそんなこと言う権利ないやん。関係ないんやから」
「許さん!」
「お兄ちゃんやって、あの人と『した』やろ!?」
無表情の顔に、動揺が走った。しかしそれすらも呑みこんで、ますます目に力がこもる。
「お兄ちゃんは、うちよりあの人のこと選んだんやろ」
「……」
「うちら、ただの兄妹なんやろ?」
それは賭けだった。
兄の真意が知りたい。彼女の中でくすぶるものが彼の中にもあるのか、知りたい。
「うちのこと妹やと思ってるんなら、なにも言わんで」
予感が駆け抜けて、全身がふるえた。こわい。こわくてこわくてたまらない。
それでも、確かめたい。知らずにはいられない。
――お願い。お願いやから。
「ベルギー」
「……」
「俺は、お前を」
兄が彼女を見ている。瞳の中には彼女の姿がくっきりと映りこんでいる。自分が囚われていること、兄が囚われたこと、両方を同時に悟った。
同じ瞳の色。同じ碧。生まれたときから今まで、二人同じだったことをなぜ忘れていたのだろう。彼が彼女で彼女が彼で、境の消えた混迷のうちでとろける。言葉では言い尽くせないほどのあたたかさと心地よさが身体の奥から湧き上がって拡散していく。
大きな手が頬をつつむ。皮膚と皮膚がふれた瞬間、わなないた。ぞくぞくする。身体が熱く燃え上がる。
顔が近づく。首に腕を回して、つま先立つ。
唇がふれる瞬間も、目は閉じなかった。愛しい人の顔をずっと見つめるために。
心地よい疲労に満ちた身体が眠りに落ちるのを、しつこく鳴り続ける携帯の着信音が許そうとしない。熱がこもったベッドの中の身体へと、何度も意識を引き戻す。
電源を切ろうか迷ったが、彼の腕の中から抜けるのはどうしてもいやだったのでやめた。直接ふれ合っている肌と肌を通して、体温が一つに溶ける。こんなにあたたかくてやさしいのに、逃れられるわけがない。
首を動かすと、じっとこちらを見ていた彼と目が合った。唇の端を上げて微笑すれば、やさしく頭をなでられて、ふれる程度の軽いキスをされる。物足りなく思っていると、あいた唇のすきまから舌が入ってくる。歯や舌を嬲られても、苦しくはない。それどころか、一度収まったはずの興奮がまたよみがえってきたくらいだ。
「しよ……?」
息を整えながら言うと、彼はうなずいた。碧の瞳の中に熱が渦巻いたのがはっきりとわかる。獲物を狩るような獰猛な眼差しを綺麗だと思った。
身体を回されてうつ伏せになる。うなじや肩や背中を慈しむようになぞられた。上から身体がかぶさる。全身のどこもかしこも、ひどく熱かった。彼の引き締まった腹が尻にふれる。なにもかも神の教えに背き続けることにスリルを感じた。
「ぁ……んっ」
彼の指の動きが思考をどろどろにする。嬌声を上げてシーツをつかんでつま先でもがいた。
そのとき。
『ケータイの音聞こえたよね? やっぱり二人とも部屋にいるんだよ』
部屋の外から声が聞こえてくる。鍵をかけないままのドアがノックされた。その音はまるでギャベルだ。
『ねぇ、いるんでしょ?』
『おーい』
一瞬にして熱が下がる。身体がこわばる。
「うちらのこと、頭おかしいって、思うんやろね」
「……ほんなこと考えなま」
彼女の耳を、彼は舌で愛撫した。途端に、邪魔なノイズなど聞こえなくなる。存在は彼だけになる。
「愛しとる」
耳元で直にささやかれてふるえた。元のように全身が火照りだす。手を探って握ると、強く握り返される。
余計なことなど考えなくてもいい。今大事なのは、彼と一つになることだけだ。期待と熱狂とで、呼吸は浅く速い。腰を上げて、彼を迎え入れる体勢になった。
――愛してる。あいしてる。
彼の口づけを受けて、彼以外のなにもかもを拒んで。
碧は囚われた。
碧に囚われた。
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11/05/04 初出(「Bloemen bij het venster」に収録)
12/12/25 再録