幸せは貴方の隣



 夕食を作ろうかとキッチンに入りましたら、お兄さまがやってきて、素早く私の前をふさぎました。
「休んでいてもいいぞ」
「でも、今日の当番は私ですのに」
 普段、食事は私とお兄さまが交代で作っています。昨日はお兄さまの番でしたので、今日は私がその役目を負うはずです。
「た、たまには、我輩が二日連続で作ることがあってもよかろう」
 いつもはあんなに規則に厳しいお兄さまですのに、そんなことを言うなんてとても不思議です。思わず首をかしげてしまいました。
「よろしいんですの?」
「ああ」
 早く出て行ってほしい、と言うように、お兄さまは私の肩を押しました。いつもと違う態度に戸惑ってしまいましたが、ここは従うのが一番でしょう。
「分かりましたわ。お手伝いができることがありましたら、言いつけてくださいまし」
「うむ」
 やることがなくなってしまいましたので、とりあえず自分の部屋に戻りました。
 お兄さまはどうなさったのでしょうか。思い返してみれば、ここ数日はいつもと様子が違っていた気がします。ぼんやりと物思いをしていたり、なにかを言いかけてやめたり、やけにそわそわしていたり。
 ただでさえ早起きなのに、今朝はいつにもまして早い時間に起きてどこかへ出かけていたようです。「お仕事ですか」と尋ねたら、違うとのことでした。
 どうやらお兄さまは、私になにかを隠しているようなのです。
 教えてくださらないのは、きっと、私がまだまだ未熟に見えるからなのでしょう。最初にお会いしたときから、ずっと大切にしてくださいましたから。
 ――でも、お兄さま。
 今日は私の誕生日なのです。追い越すことなどできませんが、一つ歳を重ねて、ほんの少し、ですが確実に貴方に近づいているのです。
 お兄さま、私は。……私は、貴方の隣に立ちたいのです。「妹」というだけでなく「大事な仲間」として。庇護を受ける立場に甘んじたくありません。
 いつかの未来、肩を並べられるようになりましたら、そのときは私にもお兄さまを大切にさせてくださいまし。


「リヒテン」
 やさしい声が聞こえて、まぶたを開けました。新緑の瞳が私を見下ろしています。
「お兄さま……?」
 目をこすりながら、いつの間にかベッドに横になっていた身体を起こしました。ふわりと、おいしそうなチーズの香りがどこからか漂ってきます。
「夕食ができたのである。寝起きだが、食べられるか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
 意識してみれば、お腹がぺこぺこでした。それにお兄さまがせっかく作ってくださった食事なのですから、できたてを食べたいものです。
 連れだってダイニングに入りますと、食事とは違う甘い香りが感ぜられました。その源はダイニングテーブルの中央に置かれた花瓶です。
 ドレスのすそのように優雅に花びらが広がって、清潔そうな白が雰囲気と調和しています。それは、百合の花でした。
「きれい」
 顔を寄せると、みずみずしく香りました。まるで、たった今摘んできたばかりのように。
「……リヒテンの好きな花が分からぬから、国花にしたのだ」
「お兄さまからいただいたものなら、なんでも好きになります」
 お兄さまは表情を和らげました。目元があたたかくて、とても幸せな気持ちになります。
「どこの花ですか?」
 お兄さまが言ったのは、家から数時間はかかる、山の中腹でした。
 それで私は合点が行ったのです。今朝、お兄さまはこの花を取るためにわざわざ早起きなさったのだと。尋ねれば否定なさるでしょうが。
「ありがとうございます、お兄さま」
「う、うむ」
 椅子を引いてもらって、座りました。並んでいるのは私の大好物ばかり(お兄さまが作ってくださるなら、それだけで好きなのですが)。もちろん、チーズフォンデュもあります。
 神に、そしてお兄さまに感謝して、夕食をいただくことにしました。お兄さまは少しぎこちない様子です。
「……誕生日、おめでとうなのである」
 そのお言葉が嬉しくて、私の心にも、百合が咲き乱れるような心地がしました。
「ありがとうございます。お兄さまのお誕生日は、私がお祝いしますね」
「気を遣わなくともよいのだぞ」
「いいえ、私がしたいのです」
 いつも感じているこの感謝を、うまく表すことができる、最高の日なのですから。
「……好きにするがよい」
 一口食べれば、おいしさが広がります。ご自分も危なかったのに私を助けてくださった、お兄さまの優しさが染みこんでいます。恐慌で今にも死にそうだった私を救ってくれた味は、今でも変わりません。
 同じく変わらないものが、この胸の中に。ずっとずっと、お兄さまをお慕いするこの気持ち。
「お兄さま」
「なんだ」
「私、今、とてもとても幸せです」
「……そうか」
 いいえ、やはり変わったのかもしれません。
 この気持ちは日増しに強くなります。
 幸せと感謝が、血よりも熱く速く全身を駆け巡って、胸をあたためました。
 お兄さま。貴方の誕生日に、この想いを必ずお伝えします。


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列敦士丁誕生日記念
09/07/12