白の微笑



 目が覚めて、なにかが違う気がした。
 いつもならまぶしい朝の陽射しが降り注ぐのだが、今日はあまりそれが感じられない。なにかの異変の前触れかと、その原因を探る。
 そして、気づいた。
 ベッドサイドにあるチェスト、その上に、ゆうべ眠るときにはなかったものがある。花瓶だ。それが陽をさえぎっていたせいで、あまりまぶしさを感じなかったらしい。
 むくりと起き上がり、寝ぼけ眼(まなこ)で生けられた花を見る。星形に広がった白い苞葉(ほうよう)、それに守られるように、ワタのようなふくらみが数個乗っている。
 エーデルワイス。彼の国花だ。
「リヒテンか……」
 彼は小さく、妹の愛称をつぶやいた。
 先月の誕生日、悩んだ末に国花の百合を贈った。好物のチーズフォンデュも作った。
 盛大に祝うことはできなかったのだが、それでも彼女はひどく喜び、彼の誕生日も祝うのだと張り切っていた。
 おそらくこれは、そのお返しなのだろう。
『お返しです』
 脳裏に子どもの声がよみがえる。小さく丸っこい手に握られた花。
『あなたはいつも私を迎えにきてくれますから。だからその、お返しです』
 あどけなく笑ったのは少年だ。茶を帯びた黒髪を汗でひたいに張りつけていた。頬や服は泥まみれで。
『だからといって、一人きりで山に登るものがあるか! 結局また我輩が回収に行くはめになるのだ!』
「……せっかくの誕生日の朝っぱらから、なぜあやつを思い出さねばならんのだ!」
 浮かんだ記憶を消そうと、枕越しに頭を殴る。あまりの強さにカバーが破れ、中から飛び出た羽が舞った。

「お兄さま、おはようございます」
 ダイニングに入ってきた足音に気づき、彼女は振り返る。そして、不思議そうに首をかしげた。
「どうなさいましたの? 羽がついてますわ」
 ひょいと手をのばし、金の髪に埋もれていた羽を抜き取る。ふわふわとした綿毛のようなそれは、朝の爽やかな風にさらわれ、窓の外に消えた。
「なんでもないのである……」
 朝から疲れた顔で否定され、彼女は追及したげに口を開いた。だが、思い直したように目を伏せ、つぐんだ。
 それでも次の瞬間には明るい笑みを浮かべ、兄をテーブルにつかせた。朝の祈りを済ませると、いそいそと皿を差し出す。
「チーズケーキを作ってみましたの。召し上がってくださいまし」
「う、うむ」
 起き抜けの空きっ腹には、いかにも魅力的なチーズケーキだった。月のように金色の生地はふっくらとして、口の中でとろけることだろう。
 フォークで切り分け、口に運ぶ。予想以上に美味しい。嫌なことも一緒に溶けてしまう。
「美味しいですか?」
「うむ」
 上手な言い回しができないことを惜しく思いながらうなずく。だが、彼女はとても幸せそうに笑うので、それはそれで大丈夫なのだろう。
 味わいながら、テーブルの中心に置かれた飾り皿に目をやる。サラダを盛りつけるように、ここにもエーデルワイスが生けられていた。
 なんとなくそれを見つめながら口の中を空にする。かすかな甘さがとても名残惜しい。
「……この、チーズケーキは」
 唇を動かしたリヒテンシュタインは背筋を伸ばし、真剣な顔をしていた。フォークを突き刺したまま、動けなくなってしまう。
「お兄さまに助けていただたとき食べたものに、近づけてみましたの」
「そう、か」
 彼女は律儀な性格だ。いつまでも恩を忘れようとしない。
 だが、ときどき、憧れや尊敬や信頼に満ちた視線がこそばゆくてたまらない。ヒナが親鳥のあとをついて回るようだ。
「私、お兄さまが生まれたことを、心から神様に感謝しますわ」
「そう、だな」
 適当な相槌を打ち、ケーキを口に詰めこむ。顔から上が沸騰しかけている。せっかくの味も分からなくなった。
 その光景をとても愛しげにながめていた彼女は、ふと思いついたように尋ねる。
「お兄さま、エーデルワイスの花言葉をご存知ですか?」
「いや」
 国花にしておきながら知らなかったので、首を振る。彼女の口元がほころぶようにゆるめられた。
「『大切な想い出』、ですわ」
 彼にはその笑みが、「高貴な白」の意を持つ花のように、美しく可憐に見えたのだった。


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瑞西誕生日記念
09/08/01