ダイヤモンドは泥の中に沈んだ
「おーいイギリスー!」
呼びながら部屋のドアを開ける。返事がないと思っていたら、その主は机に突っ伏して眠っていた。
俺がそうしてると「風邪をひく」とかなんとか説教を食らわせるくせに、自分はなんなんだい。そう思いながら傍らに立つ。
結構大声だったのに、全然起きない。ずいぶん深く眠っているみたいだ。そんなに疲れてるならコーヒーブレイク(彼の場合はティーブレイクかな)でも取ればいいのに、馬鹿だなあ。
当然だけど、寝ている人は俺の相手をしてくれない。つまらないから叩き起こしてやろうと振り上げた手は、ふと脳裏にちらついた記憶のせいで勢いをなくして、ただ肩に乗せるだけになる。
……俺が独立する前、ほんの子どもだったときも、こんな風に彼が居眠りをしていたことがあった。
ちょうど日没のころで、西日で部屋が赤かった。季節の変わり目で風が冷たかった。だから川で遊んでいられなくなって戻ってきたんだ。
ダイニングテーブルにうつぶせになった彼の金髪が赤い光に透けていた。腕のすき間から見える眉毛は凶悪なまでに太かった。
小さかった俺はちょっと考えて、自分の部屋から毛布を引きずってきた。寒いだろうと思ったから。
大人の彼にそうしてやるのは少し得意な気持ちで、それから、起きたら褒められるだろうっていう計算もあった。
だけど俺は子どもだったから、手が届かなくて、どうしても毛布をかけてやれなかった。
背中にかかるように投げても、ずるずると床に落ちてしまう。小さいのが悔しくて、思うようにいかないのに腹が立って、ちょっとだけ涙が出た。
そうこうしているうちに彼は目を覚まして、涙目になっている俺に気づいて驚いた顔をした。理由を聞くから、正直に答えてやった。
彼はなぜだかさびしそうにして、でも笑って、俺を褒めてくれた。
――忘れたと、思ってたんだけどな。
あの雨の日、彼にマスケットを向けたその瞬間に、全部。やさしいものとか嬉しかったこととか、ぬかるむ泥の中へ捨てた気でいたのに。
けれど、ダイヤモンドは泥の中にあっても美しいままだった。輝きをくもらせずに、まばゆくも素朴にそこにある。
「……仕方ないなあ、イギリスは」
ジャケットを脱いで、彼の肩にかけてやる。あのころはひどく難しかったのに、今はこんなにもたやすい。
――大人に、なったんだ。
イギリスが起きたら、きっと、昔みたいにさびしげな笑みを浮かべるのだろう。
↑普通系目次に戻る
↑小説総合目次に戻る
09/12/01 初出(拍手)
10/02/01 再録