Mein Herz
ランプがゆらめく灯りを与えている。やわらかなそれは、刺々しいまでの陰影を投げかける。
「……馬鹿じゃないの」
つぶやくと、ハンガリーは消毒液の染みこんだ脱脂綿をピンセットで挟み、プロイセンの傷口に当てた。
「いてっ」とのうめきが部屋に響き、白い綿にうっすらと血の赤がにじむ。
彼女はうつむいていた。長い髪が肩からこぼれ落ちて揺れる。そして光をさえぎる。
「どうして私をかばったりしたのよ」
彼ほどではないが、彼女にもいくつかのすり傷ができていた。だがすでに乾いて、かさぶたになりかけている。
「死ぬかもしれなかったのに」
無骨な指が彼女の髪をすくい、背中に流す。あらわになった頬は白い。傷はなくつるりとしている。にぶく輝くのが濡れているようだ。
「俺は死なねえっての」
「どこにそんな保証があるのよ!」
声をあらげ、彼女は素早く顔を上げた。眉を下げながらも、視線はきつく彼を射る。指からピンセットが落ちて、硬質な音を立てた。
いまだピンセットを持った形のままで、彼女の手はふるえている。ごまかすように片手で押さえたが、ふるえは止まらない。
「……」
赤紫の瞳で見つめていた彼は、彼女の手をつかむと自分の胸に当てさせた。
「なあ、聞けよ」
「……」
「お前が俺の心臓なんだ」
ハンガリーは虚を突かれたようにまばたきする。そして、自分がさわっているものをじっと見つめた。
しばらく、沈黙が流れる。
「……動いてる」
「だから、だ」
再び彼女がまばたくと、涙が一粒、瞳から落ちる。
「馬鹿よ、あんた」
「なんとでも言え」
涙をぬぐいもせず、だだをこねるように首を振りながら、彼女は繰り返す。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
「やっぱりちょっと控えろ」
影が一つに重なって、その瞬間ランプが燃えつきた。
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20000ヒット企画リクエスト「普がカッコいい普洪」
09/10/12
膝の上
「ハンガリー」
ソファーで本を読んでたら、後ろからいきなり抱きつかれた。肩に頭が乗る。重くはないけど、驚いた。
「いきなりなによ!」
身体をよじっても包囲から抜け出せない。こういうことに関しては器用だ。生暖かいため息がうなじにかかってぞくっとした。
「疲れた……」
「じゃあベッドで寝れば?」
「お前も行こうぜ」
当たり前みたいに言われて頬が熱くなった。
「アンタ、今何時だと思ってんの?」
「そういう意味じゃねえよ。それにそんな元気ねえし」
ますます顔が火照(ほて)る。一人で空回りして恥ずかしい。
「じゃあどういう意味よ」
「一人でいたくないんだよ」
プロイセンはそう言って、私を抱きしめる腕に力をこめる。縄のように締めつけられる。
「お前、あったかいから、そばにいてほしい」
いつになく素直だ。どうやら、本当に弱っているらしい。
さすがに心配になった。手にふれてみると冷たい。温もりがほしいのも道理だ。
「つか、ベッドに行くのもダリぃ」
「ちょっと、大丈夫?」
「全然」
甘えるように私の首筋に顔をうずめる。唇が肌をこすった。熱と愛しさで身体の奥がうずく。
「ひざ枕してくれ」
かすれた声は、あどけなくさえある。甘え方もそれらしい。
弱いところを見せるなんて、きっと私の前だけ。そんな風にうぬぼれてしまう。
嬉しいなんて、それこそ末期だ。
「……分かった」
「助かる」
のろのろと移動すると、プロイセンはひざに頭を乗せた。馬鹿のくせに、頭はずしりと重い。一体なにが詰まっているのよ。
しょぼしょぼした瞳で私のお腹を見つめていたかと思うと、猫が足にするように、お腹に顔をこすりつけた。
「ちょ、ちょっと」
くすぐったいというか、変な感じだ。そのまま潜りこもうとしているように見える。
「女ってすげえな」
「え?」
その言葉の意味を考えあぐねているうちに、寝息が聞こえてくる。目を閉じた横顔は静かだ。
「……」
身体から力を抜く。銀髪にふれながら、思い知った。
――私は、恋をしている。
そんなの、今さらすぎることだった。
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20000ヒット企画リクエスト「普←洪で甘甘」
09/10/04
傷になる
腰に抱きつきながら、彼の背中に、そっと頬を寄せた。
銀色のうぶ毛がうっすらと生えて、汗にぬれるときらきらする。体温はわずかに高い。熱が私に移ってくる。
白い肌には、ちらほらと、淡い桃色の傷痕がある。真新しくて薄っぺらで弱そうな皮膚の周囲は引きつれて、強ばって見える。
無数にあるそれの中から一つを無造作に選んで指でなぞった。でもこすってもあたためても消えることなくとどまっている。
ふいに、癇癪(かんしゃく)を起こして泣きたくなった。
――私も傷になりたい。
そうすれば、きっと、いつまでも彼とともにいられる。醜さをさらしながら背中に負ぶわれていたいのに。
唇でふれたあと、舌を這わせる。汗はしょっぱくてほんのり苦い。吸えば硬い皮膚がのびる。
「いてえ」
腹筋の上に乗せていた手の上に、彼の手が重ねられる。じんわりと熱い。指先がびりびりとしびれる気がした。
ゆっくりと指を絡めとられる。動きだけで頭が溶けてしまう。ひたいを肩胛骨(けんこうこつ)のくぼみにうずめて、息をぶつける。
「変な体勢、だな」
微妙そうなトーンがおかしい。それに、そんなことを気にしていることも。
「ちょっと、手、離せ」
拒絶に似た言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。おかしさなんて吹き飛んで、怖さが代わりに現れる。
「どうして」
「顔、見たいから」
きつい拘束がゆるんで、せき止められていた安堵が一気に流れる。言われた通りにすると、くるりと振り返って、見慣れた顔が視界に飛びこんでくる。
髪に手を入れられて、唇を重ねる。呼吸を奪って、深く荒く。
すがりついた背中を爪で引っかいた。うめき声が口の中に響く。だけど私を離すことはない。
――傷の中に、私を加えてよ。
このキスが終わったら、そう言ってみよう。どんな反応が返ってきても、傷は消えないから。
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09/09/22
デザート・イン・ザ・デザート
踏み出した一歩は、深く、砂に埋もれる。
サングラスや帽子を着けていても、砂漠の陽射しはきつい。目を細めながらただ歩き続ける。乾ききった喉が張りついて痛む。汗が首を伝って服に吸いこまれる。そのうち、汗すらかかなくなるだろう。
さく、さく。歩くたびに音が鳴った。なんとなく振り返れば、インクを垂らしたような足跡が茶色い砂丘に点々と残る。
リュックを背負い直して前を見た。陽炎に揺らめくその先は、今までと変わらない光景がきっと続いている。
頭が熱を持って朦朧とする。腰に提げた水筒に手をのばしかけて、やめる。
そんなことを何度も繰り返していた。立ち止まって最後の一滴まで余さず飲み干してしまいたい欲求が、膨れ上がって破裂のときを待っている。
極限状態でガスを抜いてくれるのは、いつもアイツの想像だった。
亜麻色の髪に指を絡めて、赤い唇を吸って、細い身体を抱いて。それを果たすまではヤケになれない。そう自分に言い聞かせると、身体の動きがスムーズになる。単純さに苦笑したつもりだったが、疲労で表情筋が動かない。
思い描くアイツは、オアシスというよりも、砂漠の中の甘ったるいデザート。
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09/06/23 初出(ブログ)
09/07/25 改稿再録
道化の扉と背中
残念や。
背後からの声で少女は唇をふるわせる。翡翠の眼差しの先に瀟洒(しょうしゃ)な扉。先ほど乱暴に閉められた余韻は、向こう側の空間にうずくまっている。
兄妹やのに、どうして。
ほんの少し前までここにいた人物は彼女の兄だった。髪と瞳の色を共有しているが、二人はあまり似ていない。内に宿る意志が印象を変える。
どうして、一緒にいられへんのかなあ。
男の言葉がむなしく、そらぞらしく漂う。兄妹を分けたのは、この男に従うか否かという点だった。兄は反旗を翻し、妹は留まることを選んだ。
つらくあらへんの?
彼女はゆっくりと首を振る。兄妹間に亀裂が生じても世界は流れゆく。その残酷さ、兄から投げつけられた罵倒、それらをひたすらに受け止めようとしていた。
男は口をつぐみ、少女の背中をながめる。伸びた背筋は剣よりもまっすぐで鋭い。男の日焼けした顔には、戸惑いが浮かんでいた。
静かな時間が流れて、凍る。
扉に再会を、背中に本心を、もがきながら見出そうとする二人の道化を嗤(わら)うように。
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09/05/24 初出(ENU)
09/07/23 改稿再録