愛のWaltzer



 さあ、私と貴方でワルツを。
 宮廷お抱えの楽士が、今宵、私たちだけのために奏でる旋律に合わせてステップを踏みましょう。Eins、Zwei、Drei。
 ステップは言葉なき会話にも似ていませんか。決まりきった動きの中に、様々な問いかけや答えが潜んでいると、私はそう思います。
 握った手も、抱き寄せた腰も、私とは比べ物にならない細さで、私が内心でおののいていたことを、貴方はきっと知っていたでしょうね。
 玻璃(はり)よりももろく見えて、そのくせ存外にしなやかな肢体に、自分でも呆れるくらい目が離せずにいます。
 さあ、ターンを。蝋燭(ろうそく)やリボンや髪のゆらめきは、魔力。残滓(ざんし)を求めれば心を奪われ、深みにはまる。
 私は多くの言葉を知っています。けれど、同時に、多くを知りません。歯がゆさの中でつむぐならば、いつでも真摯(しんし)に貴方にささやきましょう。
 ……ああ、なぜ貴方は悲しげな顔をしているのですか。
 ご覧なさい。こんなに美しい夜なのです。雲一つない群青の空に星が散りばめられて、真円の月が神々しく光を降らせるのに、なぜ瞳を濡らすのです。
 お聞きなさい。ヴァイオリンが歌い、ピアノが踊り、フルートが微笑んでいるではありませんか。神が為す一瞬の美の仕事の極致があるのに、なぜ心を閉ざすのです。
 感じなさい。咲いたばかりの薔薇のみずみずしい芳香を。絹のヴェールもかくやというなめらかさで私たちをくるんでいるのに、なぜ気づかないのです。
 ふれなさい。私の肌の下で脈打つ鼓動は、貴方への気持ちのためにこんなにも熱いのです。伝えたくて抱きしめたのに、なぜふるえているのです。
 ステップを忘れても止まらぬ円舞曲。とめどなく流れ続けるのは、私たちも時間も同じこと。残酷なほどに正常な世界の機構。
 この至福のゆうべが涙で流れて朝になってしまわないうちに、ハンカチで涙をふいてください。落ち着いたら、また、三拍子のリズムに身をゆだねましょう。
 今宵のワルツを、けして忘れません。


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10/04/01 初出(拍手)
10/06/01 再録
 
 

Not gonna get us



 死にに行こうか。
 リトアニアは疲れきった昏(くら)い瞳で私を見て、手のひらを差し出す。ボロボロの皮膚には、薄く滲んだ血。
 吐き出すそばから白く凍りつく息がうっとうしい。からからにかさついた喉も、空っぽで飢えた音を出す腹も、顔にかかる伸びきった髪も、なにもかも嫌だ。
 行こうよ。死のうよ、二人で。
 死んでなんになる。
 少なくとも、「今」から逃げられるよ。悲しさも寒さもなにもかも、俺たちを捕まえられない。
 狂信じみた言葉。けれど、リトアニアは真剣だ。だからなのか、説得力を持って心臓に突き刺さる。
 行こう。
 ……分かった。
 手をつないだまま走り出す。鍵つきのまま放置されていたトレーラーに、一緒に乗りこんだ。助手席の地図は窓から捨てた。必要ないよ、とリトアニアが運転しながら笑った。
 だって俺たち、死ぬんだもん。
 窓にぶつかる雪をワイパーで振り落として、トレーラーはひたすら走り続ける。逃げるために。死ぬために。
 どんなに経っても変わらない銀世界。少し怖くなった。私以外の存在であるリトアニアの腕にしがみついて、何回かうとうとした。
 金なんてない。食事なんてない。燃料なんてない。防寒具なんてない。目的地なんてない。未来なんてない。
 ただあるのは、いずれ殺すための命だけだ。
 何時間なのか何日なのか分からなくなった真夜中、ついにトレーラーは動かなくなった。燃料切れか、それともタイヤがパンクしたのか、理由は分からないが、どうだっていい。
 エンジンの音がしなくなると静かだった。月の光が雪できらきら反射している。それを二人で眺めた。
 ベラルーシちゃん。殺してあげる。
 冷たい手が私の首にふれる。その手に自分のものを重ねた。
 死ぬ前に、セックスしよう。
 ……うん。
 感覚さえ凍る氷点下で、一枚一枚服を脱いで交わった。気持ちいいというよりも、どこからか沸き上がる体温がうざったいだけだった。
 服も着ずに、つながったまま無意味に抱き合って、そのまま横になる。髪をすく指先を感じているうちに、まどろみはじめる。
 一緒に死のう。
 その言葉は、夢の中まで私を追いかけてきた。じわじわと身体が凍りついていく感触は、存在が白くなっていくのに似ていると、さいごに思った。


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10/01/13 初出(ブログ)
10/03/11 再録
 
 

Die schöne Welt



 死の臭いがする。
 血の紅(あか)でまだらになった服を見下ろして、神聖ローマは嘆息する。もう戦いは終わったのに、左手が強ばって剣を握りしめたままでいる。
 見渡す限りに累累(るいるい)と並んだ死体は、敵のものだろうか、仲間のものだろうか。そもそも自分が勝ったのか負けたのか、それすらどうでもよくなってくる。
 疲れた。その単語が思考に上ってくるのにも時間がかかり、よっぽど俺は疲れているんだと、苦く笑った。外からは、頬が引きつっただけにしか見えないだろうが。
 剣を地面に突き立てる。これが何本めに奪ったものかなど忘れた。何人切ったのかも、何人殺したのかも、分からない。どうだっていい。
 右手で、しがみつくように柄に絡んだ左手の指をほどいて、その場に座りこんだ。崩れた、と言ってもいい。
 ――イタリア。
 ある少女の名を、つぶやく。栗色の髪、榛(はしばみ)色の瞳。海と空に抱(いだ)かれた、美しき女神の国。
 ――今、お前はどうしている。
 ……笑っていればいい。大好物のパスタをたくさん食べて、花に包まれて、オーストリアのピアノに耳を傾けていればいい。こんな凄惨な光景など、一生知らぬまま。
 ――イタリア。
 また会いたかった。いつかの昔のように、彼女のそばで眠れたら。そして、また唇を重ねることができたら。それが叶うならば、死ぬことさえ厭(いと)わない。
 美しい、うつくしい彼女の世界。
 ふらつきながら立ち上がろうとした彼の目の前で、白いスカートの残影が躍(おど)った。同時に、明るい笑い声。
「イタリ……ア」
 身の内から突き上げる焦燥と愛しさから思わず手を伸ばした先は、くらんだ視界では分からない。
 地面に崩れ落ちながら、次に目を覚ますときは彼女の隣であればいいと――叶わないと知りながら、願った。


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10/02/02

<補足>
・Die schöne Welt→(独)美しい世界
 
 

アンチ・ハッピーエンド



 ハッピーエンドなんてまやかしだ。
 「そうして二人は一生幸せに暮らしました」というお決まりの締めは心を濁らせてゆく。ため息でページが舞い上がった。
 幸せとか喜びとか、そんな文句でごまかされはしない。現実はえげつなくて薄汚れていて、星ほどのきらめきもない。
 だって、知ってしまった。
 努力してもほんの些細な過ちが台無しにする。淋しくて泣いても、誰もハンカチを差し出してくれない。みんな自分が可愛くて、他人を慈しんだりはしない。
 だからハッピーエンドなんてまがい物だ。くだらないおとぎ話だ。
 いつか壊れてしまう幸せにすがるくらいなら、いっそ、絶望の方が楽でいい。
 シンデレラは舞踏会に行けず、眠り姫はキスをされず、アヒルの子は醜く、赤ずきんは食べられたまま。
 そっちの方が素敵だ。安心できる。希望なんて異物はいらない。暗いばかりの夜を手探りしてゆく。
 それで、満足だ。
「……」
 なぜ涙があふれるのか分からないまま、窓の向こうへ、本を放り投げた。


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09/11/18 初出
10/01/24 再録
 
 

酔っ払い彼女



 先に唇を重ねてきたのは、エリザベータの方だった。
「ん……ふ」
 ふれるだけのもどかしいキス。さっきまで飲んでいたワインの味がした。見つめてくる瞳はとろんとして、白目がかすかに赤くなっている。
 酔っているだけだ。分かっているが、つい腰を引き寄せてしまう。呼吸のたびにひくつく喉に唇を這わせてしまう。酔っているのは俺も同じか、そう自嘲した。
「ギル……」
 甘ったるい声で呼ばれてぞくぞくする。我慢できずにスカートのすそから手を入れて太ももの内側をなでる。抵抗はなく、小さな息づかいが響いただけだった。
 彼女の腕が背中に回って、しがみついてくる。服ごしに伝わる体温が愛しい。
「リズ」
 名を呼ぶと、照れたように首を振り、肩口に顔を押しつける。生暖かい息がくすぐったい。
 いつもより可愛い。そう思って髪を指に絡ませていると、いきなり彼女は顔を上げた。そして、酔っているはずなのにしっかりとした口調で言う。
「トイレ」
「……そうかよ」
 もう、色々削がれた。その気やヤる気や気合いなどの諸々が。
 シラケたムードなど意にも介さず、彼女はよろよろとトイレへ向かうのだった。


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09/11/01 初出(チャット)
10/01/24 再録