鏡の向こう



 「コンコン」というよりは「ドンドン」に近い強さでノックが響く。のんきに返事をしながら、カナダは玄関に向かう。彼がドアを開けるよりも、来訪者がそうする方が早かった。
「君は本当にのんびり屋だなあ」
 彼と同じ作りの顔がそこにある。あ、と短く息を飲んだ。
 そんな家主にかまわず、客は勝手に上がりこむ。まるで我が家のような振る舞いだ。
 その態度にいら立ちと、かすかに安心を覚えて、彼は後を追う。赤の他人は彼らのことを、(顔立ちからしても)家族だと思うことだろう。
「喉が渇いたんだぞ」
 前触れも約束もなくやって来たかと思えば、ソファにふんぞり返って開口一番がこれだ。いつものことだが。
「紅茶飲む?」
 言ってしまってから、数年前に相手の家の港で起きた事件を思い出す。なんとも言えない沈黙が生まれた。どう取りつくろうかと焦る彼の内心をよそに、明るい声が答える。
「残念だけど、俺はコーヒー派なんだ。あるならそっちがいいな」
 彼の脳裏によぎったのは、幼き日の光景だった。
 忙しい中、上等の茶葉を土産に、新大陸にやってきた彼らの宗主国。誰よりも多くを飲み干したのは向こうだったのに。
「ごめん、ない」
「そう、ならいいや」
 テーブルを挟んで向かい側に座る。場を和らげられるものがないので落ち着かない。自分の家でありながらそわそわする彼とは対照的に、相手はずいぶん落ち着いている。
 手を握ったり開いたりしながら、会話が始まるのを待った。しかしその様子はない。耐えきれず、口を開く。
「今日はなんの用?」
「君を誘いに来たんだ。一緒に、独立しよう」
 半ば予想していた言葉だった。彼を見つめるスカイブルーの瞳は期待と希望に明るく輝き、強い意志を見せている。
「……できないよ」
 答えるのは、鎮痛な響きに満ちた声だ。
 彼は口をきつく引き結んでうつむいた。手を握り合わせる。
「どうしてだい。君はイギリス領だけど、フランス領だったころの方が長いじゃないか。フランスは俺を応援してくれてるのに」
 焦るような懇願するような口調だ。そんな声は初めて聞く。そして多分、これが最後なのだろう。
「……」
 ちらりと前髪越しにうかがうと、相手は目を見開き、眉を寄せていた。瞳の空が、曇る。
「なあ兄弟、考え直してくれよ」
 彼は顔を上げた。意識して、相手の動作を真似た。存在しない鏡をそこに見る。けれど、鏡に映る姿は虚像であって、実像そのものではない。
 誰もが見まがう、同じ顔。
 それでも、彼らは別人だった。意志を分かち合うことはできない。
「それでも僕は、イギリスさんにつくよ」
 だん、とテーブルが叩かれた。いきなりの音にも彼はひるまない。
「……裏切り者」
 ぎらぎらとした視線を受け止めて、スミレ色の瞳は凛としている。いつも気弱な表情をしている彼も、今ばかりはそんな態度を見せなかった。
「それは、君の方だよ」
 客人は腹立たしそうに立ち上がり、足音荒く玄関へ向かう。彼は無言で見送りに立った。
「君と次に会うときは、敵だ」
 ノブを握ってつぶやかれた言葉に、眉尻を下げる。
「……うん」
 扉が、音もなく閉まる。


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09/07/01