私たちを閉じこめて流れゆく
スプーンでジャムをすくって、口に含んだ。広がっていく甘さをのばすように紅茶を飲む。ごくりと飲み干すと、うっすらとした甘さが残った。
テーブルの向かい側で、同じようにしていた姉さんが深く息をつく。私の視線に気づいて、「なぁに」と首をかしげた。色素の薄い髪がさらりとこぼれる。
「いえ、別に」
姉さんと一緒にティータイムを過ごすなど、とても久しぶりのことだった。お互い、ソビエトの一員として忙しく過ごしているからだ。
口に残っている甘ったるさを消すために、また紅茶を一口すする。姉さんはちらちらとドアに目をやっていた。
「ねえ、ロシアちゃんが私たちを呼んだ理由ってなんだと思う?」
「分からない」
数日前、この時間にこの部屋に来るように伝えられた。姉さんも同じらしい。兄さんが遅れているのは、ソビエトのリーダーとしての仕事が多いからだろう。
一体なんの話なのか、私には検討もつかない。だが、仕事よりも優先するようにと念押しされたくらいだ、相当の話に違いない。
逆に言うと、そうでもない限り私たち三人が集まる機会はない、ということだが。
姉さんはスプーンにほんのちょっとだけジャムをすくう。それに比例して飲む量も少ない。正直、我が姉ながらしみったれていると思う。
「紅茶はたくさんある。好きなだけ飲めばいい」
見かねて口を出すと目をしばたく。ようやくそれに気づいた、というように。そうね、とうなずいて、困ったようにスプーンを回した。
「それは分かってるんだけど、ついついケチっちゃうのよ」
そして、細くため息をついた。
「昔は、ほしいものが好きなだけ手に入ることってなかったから、そのせいかしら」
昔。私たち三人がまだ子どもだったころ。幼かった私のおぼろげな記憶には、寒さと白さのイメージが、きつく焼きつけられている。
いつも三人一緒だった。お互いにあたため合わなければ生きていけなかったからだ。戻りたいとは思わない。懐かしくもない。
そのとき、待ちかねた姿がドアを開いて現れる。テーブルまで来ると、姉さんはイスを勧めて座らせた。
「……」
兄さんはうつむいて、一言も話そうとしない。紅茶やジャムにも手を出さなかった。
なにがあったのだろう。重苦しい雰囲気から察するに、吉報ではなさそうだ。心の準備をしておくべきか。
「ごめんね」
最初の言葉は謝罪だった。謝られるようなことをされた覚えはない。戸惑っていると、兄さんのほおを涙が濡らしはじめる。
「どうか、したの?」
おそるおそる、といった口調で姉さんが尋ねた。
「約束、覚えてる?」
――約束?
一体なんのことだ。それは姉さんも思ったことだったらしく、不可解そうな表情をしている。
「小さいころに、『雪の降らない、ひまわりの咲いてる場所に三人で住もう』って言ったよね」
そんな覚えはなかった。だが姉さんにはあったようで、あ、と小さくつぶやく。
「ドニプロー川のほとりの?」
兄さんは涙を拭こうともせずにうなずいた。
『「ひまわり」って花があるんだよ』
声変わりする前の兄さんの声が頭に流れる。それが絵画のようなイメージを呼び起こした。
あてどもない彷徨(ほうこう)。ドニャプロー川に吹く白い風。三人で手をつないで作った輪。その内側にこそあった夢の楽園。
『ねえ、僕、約束するよ』
とぎれとぎれながらもよみがえった記憶にハッとする。
――そうか、だから兄さんは南下しようと躍起になって。
「だけど、僕、守れないみたい。約束したのに、叶えられないよ」
「え?」
私は黙っていた。うすうす、感じてはいたのだ。
「本当に、ひまわりの咲く家に住もうと思ったんだ。雪なんて絶対降らない、暖かい場所で、三人一緒に」
大きな肩がふるえた。ひどく幼いしぐさだ。
「ごめんね」
どうすればいいのか分からずにいると、姉さんは腕を広げて兄さんの頭を抱いた。
涙を自分の胸に受け止めながら、姉さんも泣いていた。
「いいんだよ、ロシアちゃん」
私は兄さんの手を握った。昔よりもずっと大国になったから、私よりもはるかに大きい。
「私たちのために、ロシアちゃんはがんばってくれたんだね。嬉しいよ」
だが、兄さんはますます激しくむせび泣く。
「でも守れなかったよ……!」
握った手に爪を立てて、食いこませる。兄さんはかすかに眉をしかめて私を見た。
「私は今のままで満足です」
「でも、ベラ」
「兄さんはもう充分やってくれました。これ以上なにも望みません」
それ以外に、なにが言えただろう。気休めなんて言えるほど、私たちきょうだいは器用ではなかった。
ありがとう。
ほぼ同時に私と姉さんはそう言っていた。兄さんは目をみはると、嬉しそうに笑って、また涙をこぼした。
泣き続ける二人を見ていたら、私は泣くに泣けなかった。唇を噛んでこらえながら、ただ、ぎゅっと兄さんの手を握った。
――ドニャプロー川が見たい。
なにも変わらない流れなら、あの輪の中に閉じこめられた瞬間まで心を巻き戻して、解放してくれる。
愚かな錯覚は、結局流れた涙に溶ける。
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09/08/25
<補足>
・ドニャプロー川(Дняпро(辺))=ドニプロー川(Днiпро(烏))=ドニエプル川(Днепр(露))