最果ては瓶に眠る



 俺が幼かったころ、まだスペインの家にいたころの話だ。
 あいつは「新大陸」に夢中になって、よく家を留守にしていた。「ええ子にしとるんやで」と俺に言って、一ヶ月二ヶ月留守にしてることなんてザラだった。
 主のいない、だだっ広い屋敷はとにかく静かで。使われないままホコリのたまっていく部屋を掃除しながら、耳をそばだてて、「今帰ったで〜」というお気楽な声を待っている自分が嫌だった。
 あんなやつ、いなくたっていい。いない方がいい。そう思うくせに、久しぶりに帰ってきたあいつに頭をなでられると、泣きたいような気分と嬉しさが胸の中でふくらんだ。
「ようお留守番できたな。偉いロマーノにお土産やで」
 スペインが差し出すのは、「新大陸」で手に入れたものだった。金塊、銀塊、先住民が崇拝する神の像、ヨーロッパにはない植物、独特の芳香を持つ香辛料、……一度もかぶったことがない。
 向こうには見たこともないものがもっともっとたくさんあると、スペインは興奮しながら語った。瞳がきらきらと輝いて、本当に楽しそうだった。
「それなら俺も連れてけよ」
 興味が沸いてそう言えば、いつもあいつは困った顔をした。
「うーん、せやけど、航海はホンマ大変なんや。もうちょい大きゅうなってからな」
「俺はもう充分大きいぞ、ちくしょー」
「ごめんてー」
 謝るくせに、いつだって俺は置き去りにされて、一人で屋敷に残っていた。

 そんなことが続いていた、ある日のこと。隣近所に行くような気安さでスペインがたずねてきた。
「明日から新大陸に行くんやけど、お土産にほしいもんある?」
 お土産なんていらないから、どこにも行くなよ。
 言ったって、叶うはずがない。黙っていると、「俺がほしいのは入手困難なもので、だから言い出せずに遠慮している」とかななめ上の方に勘違いしたらしい。どんと胸を叩いて、いい笑顔になる。
「任しとき。ロマーノのためなら、なんでも持ってくるで!」
 この鈍感野郎。
 腹が立ってきて、こうなったらとことん無茶ぶりしてやろうと決めた。
「じゃあ、世界の果てがいい」
「え?」
 さすがに意外だったのか、目を丸くする。ちょっぴりいい気分になって、鼻を鳴らした。
「新大陸の向こうには、地上の終わりがあるんだろ。海が滝になって落ちてるって聞いたぞ」
 だから、世界の果てを持って来い。
 スペインはしばらくなにも言わなかった。やがて、俺の頭をなでる。
「分かった。約束するで」
「本当か」
「当たり前やん。俺は親分なんやで」
 翌日、あいつは「新大陸」に旅立った。

 そうして数ヶ月ぶりに帰ってきたスペインが差し出したのは、瓶に詰められた土だった。
「約束の、世界の果ての土やで」
「本物か?」
「もちろんや。パチもんちゃうで」
 ごく普通の土にしか見えなかった。しょせんこんなもんか。失望が広がる。
「世界の果てはどんなところだ」
「……そこから先は、お天道様も照らせない真っ暗闇なんや」
 寝物語を聞かせるように、低い声。
「下をのぞきこんでも、なんにも見えへん。試しに石を落としてみたんやけど、底にぶつかる音が全然聞こえないんや」
 少しだけ、怖くなった。俺の知らない世界。今に呑みこまれてしまいそうで、ふるえた。
「怖くなかったのか」
「怖かったよ。ここから落ちたら、二度とロマに会えへんやろなって思った」
 「おかえり」って、言うてくれる?
 小さな俺を抱えて、あいつが言った。小さく小さくつぶやけば、ただいま、と嬉しそうに笑った。

 地球は丸くて果てなどないと、今の俺は知っている。
 だから、あのときあいつが持って来たのは偽物だ。見た目通りの、どこにでもありふれたただの土くれ。
 捨ててしまえばいい。そう思うのに実行できないまま、「世界の果て」は瓶の中。


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10/03/17