海帰



「ほななー、カメ太郎にカメ花子!」
「……どうかと思うぞ、そのネーミング」
 スペインは連れていかれるカメたちに向かって手を振った。ヤケ酒に付き合ってもらっていたレストランで亀が大量発生する、という珍事から半日近く経っている。
 海岸線を二人で歩いていた。沈みかけの太陽が、海を朱に染める。彼女の頬も同じように赤い。夕陽の照り返しだけでなく、アルコールのせいでもあるのだろう。
「あの子たち、飼えへんのかなぁ」
 表情やしぐさの全てから、残念そうな気配が伝わってくる。
「貴重なカメなんだぞ。無茶言うな」
「せっかくウチになついてくれたのに」
 水面が光をまきちらす。まぶしすぎて目を細める。
 なんとなく立ち止まって、ぼんやりと日没をながめた。生ぬるい潮風が吹き抜けていく。寄せては返す潮騒は時間を刻む。
「可愛いのも見れたし、お酒はおいしかったし、気分がええなぁ」
「俺は逆に酔いが覚めたぞ」
 だが、気持ちがずいぶん楽だ。その理由はとっくに分かっている。
「今日はありがと、な」
 いつも言えないセリフが、するりとこぼれた。俺はまだ酔っているのだろうか。
「当たり前やん。ウチはカメにも慕われる親分やで?」
 ――親分、か。
 彼女はまっすぐに海を見つめている。ビジネス街にいても違和感のない、きりっとした顔立ち。長い黒髪はまとめられて、日焼けしたうなじをのぞかせる。
 小さいころは見上げていた顔も、今となっては見下ろす位置にある。髪の分け目さえ見えるくらいだ。
 それなのに、俺はまだ「子分」なのか。いつになったらその枠組みを取り外すのだろう。
 彼女のことだから、一生そのまま、なんてこともありえる。そんなのごめんだ。
「今度は俺がおご――」
「海見てたら、なんや入りとうなったわー!」
 俺の話を聞かず、いきなりサンダルを脱いで海に突っこんでいく。七分丈のパンツのすそが濡れるのも気にしていない。いやそれどころか、腰まで浸かった。
「馬鹿、着替えどうすんだよ!」
 俺はふくらはぎあたりまでしか入らなかった。ここくらいまでなら濡れても平気だからだ。
「あっ、考えてへんかったわー。まぁええわ、これからロマーノの家行くんやろ? 適当に服貸して」
 黙っていればキャリアウーマンなのに、しゃべらせると考えなしのKYだ。そんなギャップにも慣れてしまうほど、一緒の時間を過ごしてきた。
「あのカメたちはもう、海に帰ってしもたんかなあ」
 水平線を見ながら、唐突に言う。
「多分な」
 間違えてレストランに迷いこんだだけで、あいつらが行くべきだったのは、最初から海だけだ。
 だから、やって来た場所へ帰っていく。
「次に会えるのはいつやろね」
 二度と会えない確率の方がずっと高い。そんなことにも思い至らず、本当に待ち続けるのだろう。
 期待が壊れてしまうのは、あまり見たくない。
「そろそろあがれよ。風邪引くぞ」
 腕を差し伸べると、スペインはうなずいた。こっちに近づいてきたかと思えば、いきなり海水を浴びせかける。
 頭からまともに食らった。髪から海水が垂れる。しょっぱい。
「いきなりなにすんだ、このやろー!」
「あはは、ロマーノ、ずぶ濡れや。子どもみたい」
 いつまでもガキ扱いするな。俺はもう、あのころとは違う。お前が変わらなくても。
 海水を跳ねのけながら近寄る。細腕をつかんで、胸の中に捕らえた。
「なにすんねん」
「うるっせえ」
 きつく抱き寄せた。痛い、と抗議する。
「命令や、大人しゅう放しぃ! 子分やろ」
 んなものくそくらえだ。
「俺は子分じゃねえ。……お前を犯すことだってできる、大人の男だ」
 なにかを言おうとするように、スペインの身体が震えた。ひるんだのか、ハッとしたのか。
 ――海から来たものは、海に帰っちまえ。
 カメも、太陽も、親分と子分の関係も。
「好きだ」
 顔に張りついた髪を払って、唇を重ねた。塩水とも涙ともつかない辛さや苦さも、いつかは海に帰るのかもしれない。


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20000ヒット企画リクエスト「ロマ西♀」
09/08/17