謎をひとつまみ



 すうっと意識が浮上して、気づくと目が覚めていた。
 寝起きはいい方だ。どこぞの誰かのようにだらだらと二度寝をしたりなどしない。さっと起き上がると、隣に人影があることに気づいた。
 ――また、イタリアか。
 彼女はいつも、気がつくと俺の隣で眠っている。いくら恋人だとはいえ、女が男のベッドに忍びこむのは、倫理的にも貞操的にもどうなんだ。今日こそはそのあたりをしっかり言って聞かせなくては。
 身体を揺すぶって起こす。そうしているうちにブランケットがずり落ちて、むき出しの肩が丸見えになった。
 ――待て、「むき出しの」肩?
 肩から首元に視線を移動する。寝る前に着せたはずのシャツはなかった。か弱そうな鎖骨や白い胸元が朝日に照らし出され、やわらかなふくらみのはじまりがのぞく。
 そのまま硬直してしまう。すると、今日に限って寝起きがよくなった彼女が身じろぎした。そしてまたブランケットは肌をすべり、彼女の身体の曲線をじわじわと明かす。
「イタリアァァァァあアアぁっ!」
 思わず怒鳴った。すると「んっ」とうなり、まぶたを半分開く。
「な、に、ドイツ」
 のんきにあくびをすると、ハグを求めて腕をのばしてくる。もはや胸の頂点があらわになるギリギリだ。かけているのが薄いシーツだったなら、色が透けてしまっていたことだろう。
「お前、ふっ服を着ろ!」
「えー? その前にキスするー」
 気だるげな口調で言うと、俺を寝起きの弱った握力で引き寄せる。そのときだった。
「朝から騒がしいですよ、このお馬鹿さんが!」
 部屋のドアが開く。姿を現したのは、居候のオーストリアだった。
「……」
「……」
 ほぼ全裸状態の彼女から、キスを頬に受けた状態で目が合う。奴はわざとらしい咳払いをすると、なぜか髪をなでつけた。
「お邪魔しましたね。ごゆっくり」
 そのままドアを閉めようとする。慌てて叫んだ。
「待て、誤解だ! 違う!」
「いいんですよ、貴方たちがそういう関係なのは知ってます」
 ドアに隠れながら返事をされる。
「朝から大変熱心なことで」
「違うと言っているだろうが! そもそも俺は家ではしな――」
 動揺のあまり不必要なことまで口走ったことに気づいて、絶句した。そのタイミングを狙いすましたかのように、舌足らずな口調で彼女が言う。
「ドイツってあったかいんだよー。特にムキムキが」
 オーストリアが渋面を作るのがありありと目に浮かんだ。おそらく、それは現実のものだろう。
 ――今すぐこの場から消えてしまいたい。
「お前は黙ってろ!」


*


 昼が近づいたころ、ハンガリーがかねてからの約束どおり、私のところへ来ました。
 ハンガリーとイタリアの女性二人がキッチンで昼食を作りながら、楽しげに会話をしているのが聞こえてきます。
 ずっと昔、何度も繰り返された日常によく似た光景。少しばかり懐かしさに浸りたくなります。
 ただ違うのは、あのころにはいた人物がいなくなり、あのころにはいなかったドイツがいることです。彼は朝のことをまだ引きずっているのか、浮かない表情をしていました。
 二人とも子どもではないのですし、周囲にも広く知れ渡った仲なのですから、そういった行為を恥じることは一つもありません。「誤解だ」と取り繕いたくなる羞恥は分からなくもありませんが。
 そう言っても、ドイツにはなんの気休めにもならないのでしょうね。生真面目な男ですから。
「イタリアが幼かったころは」
 気まぐれな話題で口を開くと、彼はこちらに視線を向けてきました。
「成長したらどのような女性になるのだろうと、ときどき不思議に思ったものです」
 地中海の恵みを受けて、純真そのものに育った彼女。どんな雑用にもめげることなく働き、ときには幼さゆえに肖像画に落書きをする姿を見ては、大人になったときにはその無垢さを失うのだろうかと、早すぎる喪失感が胸を突くこともありました。
 けれどそれは杞憂で、やはり彼女は本来の美しさや清らかさを宿したまま、今の姿になりました。
「それにしても、貴方と恋仲になるとは予想外でした」
 ドイツは苦々しい表情を作りましたが、それは羞恥からくるもので、彼女を悪く思っているわけではないことは知っています。
 こんなに感情表現が下手な彼と、見ているだけで心の動きがつかめる彼女が恋人とは、神も面白いことをなさるものです。
「俺も、自分でときどき不思議になる」
「おや」
 意外な答えでした。ですが、考え直して、それも当然か、と納得しました。
 人の縁、ことに男女の関係は、神から人間に贈られた謎の一つなのかもしれません。
「ご飯ができましたよー」
 ――私も。
 昼食をダイニングテーブルに並べるハンガリーを見つめながら、内心でつぶやきました。
 ――私もやはり、その謎に魅入られたのでしょう。
 かつての敵はやがて召使いになり、さまざまな葛藤を経て、一時(いっとき)は私の妻に。この軌跡は、数奇な巡り会わせと呼ぶことができるはずです。
 神の気まぐれないたずら。それはとても、深遠な意味に満ちた、謎。
「あのね、さっきハンガリーさんと話してたんだけど」
 皆でテーブルに座り、神への祈りをささげて昼食をいただきます。幸せそうに笑いながら、イタリアが切り出しました。
「今度のオフに、四人でどこかに行きませんか?」
 続きは、ハンガリーが引き取りました。
 ドイツと一瞬顔を見合わせ、目を再び女性たちに向け、うなずきました。
「いいですね」
「まあ、悪くない」
 すると二人は嬉しそうに微笑みます。
「やったー!」
「私、バスケットにいっぱいのお昼を作りますね」
 人生のスパイスが愛の謎なら、その日の昼食のスパイスは、幸福だったのでしょう。


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09/08/23