でこぼこプロミス
もう夕方だっていうのに、夏の風はじめじめとうっとうしい。扇風機を強めて、ため息を一つ。テレビを見てたけど、全然面白くない。
チャンネルを変えたら、お決まりの心霊特集だった。思わず座り直す。オカルト系は割と、というか結構好きだ。
心霊スポットで次々と起こる怪奇現象、霊能力者の意味深なセリフ、そして、ついに……!
……そこでいきなり電話が鳴り出した。
「もしもし」
いいところだったのに、誰よ。不満で声が少しとがる。
『アリスさん?』
聞き覚えのある声に目をみはる。テレビなんてどうでもよくなった。そんなわけない、って一応予防線を張って、おそるおそる口に出す。
「もしかして……菊?」
返事は、あっけないくらい気軽だった。
『そうです。お久しぶりですね』
「うん……」
そう言ったきり、唇が動かない。
菊。本田菊。私より二つ上の、お隣さん……だった人。春に進学して大学の寮に入ったから、もう、そうじゃない。
声を聞くなんて、久しぶりだった。私は彼の見送りに行かなかったから。行きたかったけど、泣いてしまいそうで、そんな顔は見られたくなかった。
うだうだ悩んでるうちにタイミングを逃して、それっきり。
連絡先すら聞かなかった。菊の家族に聞けば分かったんだろうけど、そんな度胸があったら、そもそも見送りにでもなんでも行ってる。
『元気にしていらっしゃいますか』
「うん……。……菊は?」
『私もです』
「そっか、よかった」
そこで話が途切れてしまう。久しぶりすぎて、なにから話していいのか分からない。とりあえず、オーソドックスに行こう。
「大学は、どう?」
『もう慣れました。最初は自炊が大変だったのですが』
「そう……頑張ってるんだね」
『ええ』
当たり障りのない会話が続く。ふれられない感覚にイライラする。
「電話してきたってことは、なにか用があるんでしょう?」
可愛げもなくストレートに聞いてしまって、自分でヘコんだ。
『ええ。今、時間はありますか』
菊はいつも遠まわしに聞いてくる。じれったく思うことも多かったけど、今は、話してる相手が菊なんだな、って実感できてむしろありがたい。
「あるけど」
『よかった』
向こうでほっと息をつく音が聞こえた。
『近くの神社で、縁日をやっているでしょう』
ちょっと考えて、そういえばそんなポスターを見かけたことを思い出した。今日が最終日だったはずだ。
「それが?」
『一緒に行きませんか』
なにを言われたのか一瞬分からなかった。
「……はあっ!?」
思わず奇声を上げてしまう。頭が一気にパニックになる。
「だ、だって、菊は今、大学の寮にいるんでしょ?」
『帰ってきていますよ。閉寮なので』
「嘘ォ!?」
『なんならそちらのリビングからうちを見てください』
ダッシュでリビングに向かう。カーテンを開けて菊の家を見れば、窓越しに手を振る姿!
(つけっぱなしだったことすら忘れていた)テレビからの金切り声と、私の声がハモった。
「帰ってきてたんなら早く言ってよ!」
「すみません、聞いていると思っていたので」
あれから私は光の速さでお風呂に入って、身支度を整えて、菊の家に飛びこんだ。早いですね、って言われたら、ヘナヘナ笑うしかない。
さっそく行こうとしたら、「縁日に行くなら浴衣がいいんじゃねえあるか」という菊のお兄さんの一言。
それで、一度浴衣セットを取りに戻った。着付けができなかったから、恥ずかしくてしょうがなかったけど、菊にやってもらった。
いざ行こうとしたら、履いてるのがスニーカーなことに気づいて、家に帰って下駄を探してもなかなか見つからなくて……。
紆余曲折の果てに、ようやく神社に着いたときは夜が深まって、人出のピークを迎えていた。いつもは閑散としてるのに、今は別の場所みたい。
「昔は、縁日があるごとに皆さんで来ましたね」
「うん。アルが屋台を全部制覇しようとしてお腹を壊したり」
「アリスさんが金魚を捕まえられなくて大泣きしたり」
「そ、そんなこと忘れてってば!」
小学校のときのときの話じゃない、引っぱるのはやめて! 顔が真っ赤になったのが分かる。きっと、人の熱気よりも、私の顔の方が熱い。
……だけど、そのあとどうなったか、菊、覚えてるかな。家に帰ってもまだ泣いてたら、菊がやって来て、袋に入った金魚をくれた。
すごく嬉しかった。今でも覚えてる。あのときもらった金魚は、一週間後に死んじゃったけど。……オチが最低すぎて、一人でヘコんだ。二回め。
あーあ。ため息をついたら、おいしそうな匂い。焼そばとかたこ焼とか焼き鳥とかの屋台からだ。
「ご飯は食べましたか?」
「ううん、まだ。こっちで食べようかな」
これが縁日の楽しみだよね。家に持って帰って食べたらビミョーなのに、がやがやした雰囲気の中だと、なんでおいしく感じるんだろ。
「おごりましょうか?」
「えっそんな、いいよ! お財布あるし」
でも、巾着(きんちゃく)の中身は携帯だけだった。急いで来たから忘れちゃったんだ。バカじゃん私。ヘコむ……。三回め。
「これでもバイトで儲けてますから、お気になさらずに」
いいのかな……。迷ったけど、ありがたく好意をいただくことにした。あとでなにか埋め合わせすればいいんだ。
かいでるだけで空腹感が強くなる焼そばとかたこ焼は魅力的だけど、パス。「青のり、前歯についてますよ」なんて言われたら立ち直れない。絶対。
選んだのはかき氷だった。夏と言えばこれでしょ。いちごシロップをたっぷりかけてもらった。
「どこか座れる場所に行きましょうか。立ったままでは食べづらいでしょう」
「うん」
「……そうだ、久しぶりに、あの場所に行きませんか」
「あの場所」っていうのは、私たちが小さかったころに見つけた穴場だ。人目に付きづらくて、座れる場所があって、まるで秘密基地みたいに思ってた。
「まだ、あるのかな」
「行って確かめてみましょう」
「うん」
記憶を探りながら向かったそこは、ちゃんとそのまま残っていた。何年も経ってるのに、不思議。
かき氷の変わらない味にちょっと飽きてきて、器を菊に差し出した。
「食べる?」
って、これ、菊のお金で買ったけどさ。
「では、いただきます」
シャク、シャク、と氷にスプーンが入る音。それだけがこの場の音になる。人混みから離れているから静かだ。ざわめきはときどきしか聞こえてこない。
っていうかこれ、二人きり? しかも暗がりだし。今さら気づいて、いきなり緊張する。だけど、どきどきもした。
シロップの甘みがまだ口の中に残ってるから、引きずられて、気持ちまでそうなってしまう。ドラマや漫画の主人公みたい。
恋人みたいに、ううん、本当に恋人になって、菊と色んなところに行ってみたい。海とか、映画とか、遊園地とか。
……だけど、菊は、もう私のお隣さんじゃない。知らない街で生活する人。もしかしたら恋人もいるのかもしれない。
色んなことを聞いてみたいし話してみたいのに、なにも言えない。ぐるぐる悩んでるだけ。菊を見送りに行けなかったときみたいに。
ヘコんでばっかりいるのは、もう嫌だから。……勇気を出さなきゃ。
「菊」
怖い。怖くても、頑張れ私。
「はい」
「あのね……携帯のアドレス教えて」
まずはここから。細くても、つながってる糸がなくちゃ。
「教えてませんでしたか?」
「聞きそびれちゃって」
お隣さんだったときは知る必要はなかったから。用件があるときは、家に電話をするか、あるいは直接伝えればよかった。
でも、今はそうじゃない。
「ダメ?」
「かまいませんよ」
「本当? ありがと」
携帯を取り出して、その場でアドレスを交換した。緊張して手が震えた。
でもここで終わったら、きっとメールも送らないままになる。もっともっと、足を踏み出さなきゃ。
「次は、いつ帰ってくるの」
「そうですね……年末です」
年末、と小さく繰り返す。
「そのときは、ちゃんと教えて。お迎えもお見送りもするから」
「そんな、いいですよ」
「私がしたいの。……」
菊のことが好きだから。そう言いたかったのに、ためらってしまう。ああもう、肝心なところで意気地なし。ヘコむ。今日何回めよ?
「とにかく、絶対だからね! 教えなかったら、許さないから!」
反動で強い口調になる。彼はちょっと驚いてから、うなずいた。
「約束します」
「じゃあ、指切り」
小指を出すと、菊のが絡まった。
「指切りげんまん、嘘ついたら――」
歌いながら、自分とも指切りをした。
ヘコんだら、その分より気持ちを膨らませられるくらい、強くなる。絶対。
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10/01/16