手のひらの魔法
イギリスが銀色の針を動かすたびに、白い布の上で、大輪の紅薔薇が息づく。
趣味は刺繍と言うだけあって、その手つきは熟練のものだ。まるで針自体に意思や生命があるかのように動くので、ついつい見入ってしまう。
健康的な桃色をした爪、ほっそりした指、白磁の肌。なんとなくはかなげな手に、いつの間にか目がひきつけられていた。
「君の手は不思議だね」
「どういうこと?」
思わず口に出すと、針を休めずに、彼女はセリフの意味を問う。アメリカも、形作られていく花びらから目をそらさずに答えた。
「同じ手でも、俺じゃ君みたいにうまくできそうにない」
「そう。……慣れの問題よ」
「そうかなあ」
お互い、会話に集中していないので、なんとなくぼんやりした調子になってしまう。
「俺がまだ君の弟だったころにさ」
「うん」
「ぶたれたことがあっただろ?」
「うん。……え、そんなことあった?」
彼女は手を止め、彼を見つめた。首をかしげると、ツインテールにしている金髪がゆらゆらする。
「『日没までには帰ってきなさい』って君に言われてたのに、遅くまで帰ってこなかったから」
まだ思い出せないのか、眉を寄せている。だが、「あ」とつぶやき、目を見開いた。
「バッファローだったかウサギだったかが子どもを産んだから、そばを離れたくなかったんだっけ?」
「うん。それで家に帰ったら、君が飛び出してきて、思い切りぶたれた」
イギリスは気まずそうにした。カッとなりやすい彼女だが、子どもだったアメリカに手を上げたのはその一度きりだ。約束を破ったときは、部屋で謹慎を命じられることが多かった。
「心配だったのよ。引っぱたかずにはいられなかったくらい」
「だろうね」
帰ってきた彼に気づいて走ってきた彼女は、涙目になっていた。原因は自分だというのは言われずともわかっていた。ずきんと胸がうずくのと、頬を叩かれるのとは同時だった。
頬と胸の痛みに我慢できずに泣き出すと、目線を合わせて彼女がかがんだ。そっと手を伸ばしてくるので、また叩かれるのかと身体を強ばらせた。だが。
『ごめん』
自分が叩いた場所をやさしくなでながら、消えそうな弱々しい声で謝られた。
『無事でよかった。おかえり』
我慢できずに彼女に抱きついて、ごめんなさいとただいまを繰り返した。
あのとき彼を叩いたのも、許したのも、刺繍をするのも、ある意味世界一の料理を作るのも、すべて同じ。
たおやかな手をつかんだ。彼よりも一回り、いや、二回りも小さい。ちょっとでも力を入れればたやすく壊れてしまいそうだ。
ふと思いついて、手の甲にキスを落とせば、彼女は刺繍枠を床に落としてしまった。ぱくぱくと口をひらいているのになにも言わないのが愉快で、調子に乗って吸い上げる。ほんのりと赤い痕が残る。まるで紅薔薇のようで、なんだか愉快だった。
「アメリカっ!」
「ん? なんだい?」
「だ、だから! ……もうっ!」
そっぽを向いてしまった彼女に苦笑する。だが、手を離す気はない。
さて、どうしようかな。
「君の手が、好きなんだ」
手始めに今の素直な感情を口にしてみると、彼女はびくりと肩を揺らした。そして小さく、「ばか」とつぶやく。あまりにも予想通りで、笑ってしまった。
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10/07/31 初出(お手紙企画)
10/10/13 再録