Schwarz und Weiß



 朝露にぬれた薔薇は、ことのほか匂いたつような気がする。
 深いセピアの髪を耳に挟んで、オーストリアは首をかすかに傾ける。競うように美しく咲き誇る中からためつすがめつして、抜きん出たものを剪定鋏で切り落とす。
 ドイツたちの家に居候するようになってから、ダイニングテーブルに飾る花を見繕う仕事を自任していた。
 質実剛健と言えば聞こえはいいが、要は華やぎや潤いがないことをそれらしくごまかしているだけだ。音楽を初めとする、洗練された一流の芸術に抱(いだ)かれて暮らしてきた彼女が、そんな生活に満足するわけがなかった。
 なので、苦い顔をする家主たちにかまわず、毎朝こうしてガーデニングに励んでいる。雑草を抜いたり肥料を調合したり、そういった庭仕事はいつの間にか彼女のものになっていた。手入れはすべてやっているのだから文句を言われる筋合いはない。たとえそれが自分の庭でなくても。
 棘に気をつけながら、花瓶のサイズに合わせて茎を切る。棘と葉を落としていると、荒々しい足音が近づいてきた。見なくても誰なのかはわかっているので顔は上げない。
 気配が近づき、やがてふれるほどの距離になる。それでも無視し続ける。剪定鋏が棘を落とすたび、ぱちん、と弾ける音が立った。
「無視かよ」
「虫などついていません」
「はっ、お上品ぶりやがって」
 最後の棘を落とし終わって、ようやく彼女は顔を上げる。
 腰に腕を当てた姿。逆光で見えないが、ふてぶてしい表情をしているのだろう。尻のあたりまで流れる銀髪が、透明な糸のように光に透けていた。編み上げのブーツや軍服の端々には泥と汚れがこびりつき、正にこの女――プロイセンが戦場から帰還したばかりだということを表していた。
「あたしの戦勝報告は聞いたよな?」
「ええ」
 短く答え、立ち上がる。薔薇の束を抱えて屋敷に向かうと、「あーくたびれた」とこぼしながらプロイセンがあとをついてきた。衣擦れの音が聞こえるので、軍服の上着を脱いでいるのだろう。
 ドイツも姉とともに戦地に赴いたはずだ。だが、その姿は見えない。……おそらく、後をすべてドイツに任せて一人だけ戻ってきたに違いない。
 この女は戦いを好むくせに、その後の細々とした処理を嫌う。ふいごと同じだ。炎を煽るだけ煽って、火消しのときには我関せずという顔をしている。
 昔から変わらないそんなところが、今でも疎ましい。公国から王国に格上げしてやった恩を忘れて攻めこんできたふてぶてしさは絶対に忘れない。
 ドイツに姉と呼ばれていることも気に入らない。本来なら彼女が姉になってしかるべきだったのに、あの手この手で妨害してきたのはこの女だ。もちろんこちらも色々と画策したが、ずる賢さの点で敗北を喫した。
 何百年と互いの足を引っ張り合ってきたのに、今さら同居人として仲よくなれるわけがない。オーストリアがいつ追い出されるか、プロイセンは心待ちにしているのだろう。
 ダイニングに入り、花瓶に薔薇を生けて見栄えを整えながら言った。口調は意図的に刺々しくした。
「ドイツが言っていました。『姉さんの作戦は荒っぽくて困る』と」
「でも勝ったぞ。偶然じゃねぇからな」
 そんなことは知っている。策略にかけて右に出るものはいないだろう。大昔の戦術書や外国の戦略書を読みながら、ああだこうだと策を練っている姿を何度か見ている。皮肉にも、居候することで敵の強さがわかったのだ。
「可愛い妹なら負担を減らしてあげるべきでは?」
 図星らしく、反論もできない様子だ。胸がすく気分で手を動かすうちに思った通りの造形になり、ふと息を抜いた。テーブルのセッティングができたので、次は朝食の準備だ。
 台所で材料の確認をしていると、横からにゅっと腕が出てきた。プロイセンはリンゴを取り、軽くこすってかじりついた。咀嚼(そしゃく)する音が響く。
「お下品です。よく洗いなさい」
「うるせぇな。あたしの勝手だろ」
 まぁ、どうせここは元からドイツたちの家なので、好きにしていればいい。万が一食あたりを起こしても、彼女は痛くもかゆくもない。
 棚にあるのはベーコンとパンと卵、それにバター。大体のメニューは決まったようなものだ。フライパンを探していると、「なに探してんだ」と、声。
「フライパンを」
「上の棚の真ん中の段の一番右だ」
「どうも」
 場所がわかったのはいいが今度は手が届かない。背伸びをして奮闘していると、舌打ちの音。
「馬鹿じゃねぇのお前」
「なにがです」
「あたしに『取って』って頼みゃーいいじゃねぇか」
 確かにそれは一瞬考えたが、すぐに却下したのだ。恩を作るようなことはしたくなかった。プライドが許さない。
 黙りこんだ彼女を見て、プロイセンは再び舌打ちをする。
「どけよ」
 無理やり彼女を押しのけると、さっさとフライパンを取った。
「これでいいだろ」
「いいえ。もう一つの方が使いたいんです」
「……図々しいな」
「だから自分でやります」
「あーはいはいわかったよ取ってやるから。……ぃよっと。これだろ」
 今度は目当てのフライパンだった。
「ありがとうございます」
「ふーん、お礼言えるのかよ。てっきり無視するんだと思ったぜ」
「感謝の言葉も言えないなんて下品です」
「そうかよ」
 いちいち突っかかられると正直うっとうしい。こちらとしては朝食を作って食べて、そのあとはピアノの演奏をしたいのだ。邪魔をしないでほしい。
 調理中は長い髪が邪魔になるので、胸のあたりにかかっていたものを背中に流す。腕まくりもして、さあはじめようと思ったとき、プロイセンがしゃべりだした。
「なにからなにまで、このあたしの完璧な作戦通りだったぜ。ちょっと押されそうになったこともあったけど、そこも作戦のうちだ。引いてみせることで敵の油断と――」
 適当に聞き流していたが、そろそろ我慢できなくなってきた。
「うるさいですよ」
「あぁ!?」
「なにを必死になっているのです」
「んだと、てめぇ!」
「そんなに理解してほしいのなら、理解されるように努めるべきです」
「っ……」
 息を詰める気配がした。これで静かになるだろうと思っていたが、いきなり胸倉をつかまれる。すみれ色と空色の二色を宿した瞳が、ぎらぎらと彼女を射抜く。
「お放しなさい」
「……知ったかぶってんじゃねぇぞ」
 獣がうなるのに似た低く押し殺した声だ。刷毛(はけ)でなぞられたような感覚が背筋に走ったが、それでも目は逸らさなかった。
 負けたくない。負けられない。
「お前があたしの理解者であってたまるか」
「同感です」
 今は同居しているとはいえ、かつては命を狙い合ったこともある仇敵だ。けして心を許す相手ではない。第一に、そんな関係は築いてこなかった。
 ――今でも、この女が憎い。
 加えて、二人の共通項は少ない。オーストリアが文事を愛するのに対して、プロイセンは武事を好む。艶(つや)やかな黒髪と光を弾く銀髪。
 黒と白、光と影、裏と表、静と動、共存の叶わぬそれらのごとく、自分の範疇にはない存在。決して交わらない存在。
 そのはずだ。
 ――そのはずなのに。
「……わかってしまうのですから、仕方ないでしょう」
 諦観を含ませて、吐き出す。
 ゲルマンの血を互いに継いでいるからだろうか。それとも、相反するものは、同時に、互いが片割れなのだろうか。同居で、今まで見えなかったものが見えたからだろうか。
 わかるのだ。
 プロイセンが人一倍の努力を重ねていることも、自分を理解する人の少なさに孤独を感じていることも、妹のドイツにさえ己を理解せしめずにいることも。
 わからない方がよかった。その方が都合がよかった。ただひたすら、憎しみだけを燃やし続けていたかったのに。
「あたしはお前とは違うんだ」
 対するプロイセンも業腹(ごうはら)らしく、身体をふるわせている。鋭い視線で彼女を切り裂こうとするように、瞳で爛々と感情を燃やしている。
「自分の手を汚すことをためらってハンガリーに戦わせたり、深窓(しんそう)の佳人(かじん)ぶって音楽遊びに浮かれたりなんかしなかった。ずっと、血まみれになって剣を握って、そうやって生きてきたんだ。お前ごときにあたしが理解できてたまるか!」
 服をつかみ上げている手をつかむ。考えたよりもあっさりと離れた。きっとしわになっているだろう。プロイセンの手は冷たく、自分のものとの温度差が不愉快だった。
「……ちくしょう」
 プロイセンの身体から力が抜ける。ふらつく白銀の頭をいきなり肩口にうずめられた。驚いたが振り払えない。
 シルクのようになめらかな銀髪が、織物のように、黒髪と絡まっていく。彼女たちの断ちがたい関係のように。
「……」
 離れろ、と言って肩を突き飛ばせば、たやすくこの女は傷つくのだろう。強がるくせに自ら脆い部分をさらけ出す、相変わらずの愚かしさに付けこむこともできる。
 だが、迷う気持ちすらわき上がって来なかった。
 そんな卑怯な手口は、オーストリアの主義ではない。そんな方法で致命傷を負わせても、きっと自分に誇ることはできない。
 おそらく、プロイセンもそう考えるだろう。
 そう思いついて、嘆息した。真に彼女らの関係はもつれてこじれて、度しがたい。


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