モラトリアム、くゆる



 気持ちのいい眠りは、やかましい音で終止符を打たれた。
「……うるせぇな」
 ベッドから身体を起こす。騒音は掃除機からで、それを忙しく動かしているのはリズだった。
 大学進学のために借りた一人暮らしのアパートに、なんでこいつがいるんだ、なんて愚問を浮かべたりはしない。
 なぜなら、合鍵を渡したのは他ならぬ俺だからだ。
「やーっと起きたみたいね」
 掃除機のスイッチが切られると静かになる。部屋に散乱していた服やゴミはどこにもない。よく聞くと、洗濯機の回る音がしている。カップ麺の容器やビールの空缶はゴミ袋にまとめられていた。
「朝っぱらからよく働くよ、お前」
 昨夜の酒盛りで頭が痛い。二日酔いの感覚も慣れてきた。
「あんたねぇ、今何時だと思ってんの? そろそろお昼よ?」
 リズはため息をつくと、あきれたように首をふる。一つにまとめられた髪が揺れた。掃除機を片づけると、俺のいるベッドに座る。
「だらしないわね。大学生にもなって荒れ放題なんて」
「いっそ一緒に住むか? 安上がりだぜ」
 リズは歩いて数分のアパートに住んでいた。だから、こうしてちょくちょく俺の部屋に来るわけだ。
「お断り。私は家政婦じゃないのよ」
 心底嫌そうに顔をしかめる。さすがにちょっと腹が立った。
「そういうつもりじゃねえよ」
「どうだか。あんたって昔からそうじゃない」
 女ってのはズルい。幼なじみなのをいいことに、昔のことを飽きもせず引っぱり出してくる。
 逆にこっちが利用してやりたくても、付け入るスキがない。どうせ俺はろくでなしだよ、悪かったな。
「講義はちゃんと行ってるの?」
「一応」
 本当のことを言うと、ここ二週間ほどはキャンパスに行っていなかった。そろそろ単位がヤバいのもありそうだ。
 適当にごまかしても、長年の付き合いはすぐに真実を暴いてしまう。眉が今にもくっつきそうなくらいに寄せられた。
「まさかとは思うけど、バイトは?」
「クビになった」
 もう隠したってしょうがない。やけっぱちな気分で言うと、ついにリズのなにかが爆発した。
「アンタ、マジメにやる気あんの!? なんのために親は学費出してると思ってるわけ!?」
 正論すぎて耳が痛い。それに、言われなくても、俺だってバカじゃないんだからそれくらい分かってんだよ。
 ぎゃあぎゃあまくし立てられるセリフは母親のもののようだ。遠慮なんてない。本気でうんざりする。
「んなこと、どーだっていいだろ」
「ちっともよくないわよ。アンタってホントに――」
 お小言はたくさんだ。
「なにが悲しくて、二人きりの部屋で説教を食らわないといけねえんだ?」
 そう言ってやると、ようやく口を閉ざした。だが、瞳は「まだ言い足りない」と雄弁に物語っている。
 手のひらで頬をはさんでキスをした。舌を入れて口の中をかき混ぜ、息継ぎで唇を離す。
「なんか、変な味がする」
 不満そうな気配は消えなかったが、拒絶はされない。それをいいことに、腰を抱いてベッドに招いた。
 ふわり、まとめられた髪が落ちる。


「いつからタバコ、吸ってるの」
 いきなり話しかけられてびっくりした。弾みで灰がシーツに落ちる。それを払いながら、寝ていると思っていたリズに振り返る。
 タオルケットを胸まで引き上げて俺を見つめている。眠そうな顔はしていなかった。
「一ヶ月くらい前からだ」
「ふぅん」
 吸い終わるころ、下着と肌着を着けて起き上がると、リズは手を差し出してきた。
「私にもちょうだい」
「やめとけ」
 どちらかと言えば優等生タイプのこいつには似合わない。
「ちょうだい」
 語調は強く、退(ひ)く様子はない。あきらめて新しい一本を渡した。唇にくわえたところで、先端にライターで火をつける。
 す、と細く息を吸いこんで、すぐに吐き出した。
「もっと深く吸うんだよ。肺に入れるみたいに」
「分かった」
 呼吸とともに胸がふくらんだ。が、激しい咳とともにへこむ。内臓まで嘔吐するように見えて、なんだか怖い。それに、火が落ちて火傷をしないか不安だ。
 指からタバコを奪って灰皿で揉み消した。まだ苦しそうな背中をさする。かすれた声がした。
「もう一本ちょうだい」
「お前には無理だ」
 さっきの様子だと、どんなに軽いものでも合わなさそうだ。
 それに、悪い遊びを覚えていないリズにこんなことをさせるのはとてつもない背徳感がある。それに酔えるはずもなかった。
「イヤよ! 私が全部吸って、アンタの分なんか残さないんだから!」
 緑の瞳がにらみつけてくる。涙で濡れていた。迫力に呑(の)まれてしまいそうになる。
「分かった、分かったから。もうタバコはやめる、それでいいだろ」
 買ったばかりのカートンごと没収されることに決まって、ちょっとばかりむなしくなった。最近は高いんだぞ。
 しばらく経っても苦しそうにしていたから、水を飲ませた。だんだん息づかいが落ち着いてくる。よっぽどキツかったらしい。強情だよな、こいつも。
「女が吸うもんじゃねえだろ。元気な子ども、産めなくなるぞ」
「アンタの子ども?」
 気のせいではないだろう、言葉や表情には、わずかに期待が含まれていた。
「……」
 すぐには答えられず、言葉をにごす。
 リズのことは愛している。これから先もずっと一緒にいてほしいと思う。冗談ぽくしか言えなかったが、本気で、一緒に住みたいとも考えていた。
 だが、結婚して家庭を持てるか、ということになるとためらってしまう。リズという人間の全てを受け入れて生きていけるだけの自信がない。
 もっと自分勝手なことを言えば、正直なところ、わずらわしさが勝ることもある。二十歳を少し過ぎたばかりの俺には、自由が愛しい。もしかしたらリズよりも。
 沈黙からなにか感じたようだ。顔を伏せると、下ろした髪がシェードのようになって表情が隠れてしまう。
「ごめん、変なこと言って」
 とりつくろうことすらできず、みっともなく黙りこんだ。すぐ隣にいるはずのリズが遠く思える。洗濯機の駆動音が止まって、部屋は静けさに満たされた。
「……アンタにとって私は」
 小さな声も、空虚な部屋ではよく聞こえる。
「噛みすぎたガムみたいなものなんでしょ」
「どういう意味だ、それ」
「味もないのに、捨てるに捨てられなくて厄介なお荷物」
 さすがにそれは穿(うが)ちすぎだ。
 別に捨てたいなんて思わない。むしろずっとそばに置いておきたい。ただ、俺の気持ちがあいまいで決意できないだけで。
「……」
 口が動かない。どう言えば伝わるのか分からない。ただ、やわらかくも華奢な肩のラインを見つめた。
 ぐぅ。
 今にも弾けそうな間を、腹の虫がぶち壊した。空気がシラケるのを感じる。リズの肩がふるえたかと思えば、笑っていたようだ。
「はいはい、ご飯ね。今から作るからちょっと待ってて」
 手早く服を着るとベッドを抜け出す。ほんのわずかに、身体が小さく見えた。長い髪は、再び、きっちりまとめられる。
「そうだ、アンタんとこも、そろそろ夏休みでしょ?」
「ああ。それが?」
「今年は一緒に帰省しない? 去年は帰らなかったじゃない」
 言われてみればそうだ。正月も盆も帰っていない。
「……そうだな」
 幼いころに駆け回った野原の、青い草のにおいをふと感じる。
 追うように鼻を動かしてももはや残滓(ざんし)すらなく、ただ、リズの背中と狭いアパートの一室だけが残っていた。


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09/08/27