無窮花



※当時詳細不明だった台湾と香港のキャラを捏造しているため、ご本家のキャラとはやや印象が違います


 出たい出たいと思っていた補習教室だったが、廊下に出るなり夏のむわりとした熱気に襲われ、やっぱり戻ってもいいかもしれない、と早速思いなおした。
 出入り口で立ち止まったヨンスにぶつかってきたのは、同じく補習を食らった幼なじみである。英語は得意なくせに、数学は苦手なのだ。彼は英語も苦手だが。
 さっさと出るように背中を押され、しぶしぶ歩き出す。ため息をつくと、余計に暑さが身体にしみた。帰りにジュースかアイスでも買うんだぜ、と一人決意する。
 そのまま昇降口に行こうとしたが、幼なじみは図書室の方に足を向ける。どうしたのかと問うと、妹が待っているという答えが帰ってきた。
 この幼なじみは男女の双子だ。いつもどちらが上かでもめている。よく飽きないものだ。三人一緒に育ってきたが、寄るとさわるとそのケンカが始まるので、正直食傷ぎみになっている。
「俺も行くんだぜ」
 幼なじみを追い越し、足早に図書室に向かう。
 図書室と言えば、クーラーのよく効いた部屋の代名詞だ。ほんの少しだけでもいいから涼みたい。
「クーラー、マンセエエエ!」
 叫びながら図書室に入る。涼しさが頬をなでた。冷気を大きく吸いこみ、全身に行き渡らせる。それからきょろきょろと、もう一人の幼なじみの姿を探した。
「そうなんですか、博識ですね」
 探していた人物は見つけたが、予想外の人物まで見つけてしまう。カウンターの中に座り、彼女と楽しげに会話しているのは、政経の教師である本田だ。もちろん司書ではない。
 話しながら、彼女はにこにこ笑っていた。頬がうっすら赤い。先端だけがくるくるしているくせ毛を指先でいじくっている。
 いつもの強気な態度など影も形もない、もじもじした様子だ。彼の前では一度も見せたことがない。
 なぜかムッとして、ずかずかと二人に近づいていく。彼女の腕をつかみ、引いた。もはやクーラーなどどうでもいい。とにかく、さっさと帰りたかった。
 抗(あらが)われたが、それでも無理に連れ帰ろうとすると、冷静な声。
「ヨンスくん、もう少しやさしくしてあげてください」
「うるさいんだぜ!」
 反射的に言い返していた。元々、本田のことはあまり好きではない。
「ほら、帰るんだぜ!」
 彼女はいやいやをするように首をふる。動きに合わせ、髪飾りの花がひらひら揺れた。その場に足を突っ張り、あくまで動かない構えだ。
 帰らない。
 かたくなな唇がそうつむぐ。こうして押し問答するほど逆効果なのは薄々分かっていたが、今さらあとにひけなかった。昔からこんな調子でケンカを繰り返している。
 ここで帰ると、本田に負けたことになる。理屈などない。直感だ。
「お前は、俺と、行く、んだぜ!」
 ふっと抵抗が弱まった。ようやくその気になったのかと喜んだのはほんの一瞬で、頬を濡らす涙を見てしまう。
 色めき立ちながらも、手を放す。彼女は両手で顔をおおうと、肩をふるわせた。おろおろしている内に、本田が優しい言葉で慰める。
 ――そんなことすると、余計怒るんだぜ。
 そんなことも知らないのか、と内心でせせら笑う。だが彼女は怒る様子もなく、むしろ甘えているようにすら見えた。足元が崩れてふらふらする。
「俺は、俺は悪くないんだぜ!」
 捨て台詞を吐き、ばたばたと図書室を出る。上履きを替えず、自転車置き場もスルーし、とにかく走った。
 速度はじわじわと落ちて、やがて普通に歩くのと変わらなくなる。
「……」
 涙を見るのは初めてではない。子どものころは毎日のように泣かせたり泣かされたりした。だから今回のことも、気にしなくていい。
 そう思ったが、取り返しのつかない失敗をしてしまったあとのような、焦燥と不安が胸を息苦しく締めつける。
 泣き顔よりも、彼女の花飾りが先に浮かんだ。八重の花びらは豪奢だが派手に見える。もっとシンプルな方が、きっと似合う。
 例えば、と首をめぐらせ、生垣の花が目に止まる。ちょうど知っているものだった。
 ハイビスカスや芙蓉(ふよう)に似た淡紅色の花びら。折りにくい枝などは、まさに我の強い彼女そのものだ。
 朝に咲き、夕方にはしぼむ。次々に開花し、落ち、見た目には絶え間なく花がついているように見える。泣いてもすぐに笑う、せわしない性格と同じだ。
 そうだ。あんな奴より、自分の方がよく彼女を知っている。幼なじみなのだから当然だ。
 なにかに救われた気持ちになって、それから、次に会ったときはどうしよう、と後悔した。


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09/08/15