ペルソナを忘れて
※ハンガリーが幼少期、ギリシャとともにトルコの家で生活していたという捏造設定です
足音を忍ばせながら、少女と少年はある一室に潜りこむ。
「作戦通りに」
低いささやきに、少年は眠そうなゆったりとした動作でうなずいた。ドアにぴったりと背をつけ、外の気配を探る。
その間に、少女――ハンガリーは、部屋の中央にあるベッドに近づいていく。そこには男が一人、いびきをかいて眠っていた。トルコである。
床に置かれた香炉から甘い香りが広がっている。彼女はそれに顔をしかめ、鼻をそででおおった。
きょろきょろと周囲に視線を巡らせ、目当てのものを見つける。それは、トルコがいつも顔にまとっている仮面だった。
「……」
ニヤリと笑うと、彼女はそれを懐(ふところ)に隠した。合図をして、すぐにその場を立ち去る。
二人は無言のまま、広い宮殿の中を、自分たちにあてがわれた部屋を目指して早足で進む。表情は緊張に満ちている。
自室に入るなり、力を抜いた。
「うまくいったわね!」
仮面を取り出しながらハンガリーは言い、目を輝かせる。普段ぼんやりしたギリシャの顔にも、喜びが見えていた。
「ざまあ見やがれトルコの野郎!」
「ん……トルコ死ね」
「じゃあこの仮面はとっとと証拠隠滅しちゃいましょ。ギリシャちゃん、頼んでもいい?」
仮面を受け取り、ギリシャはうなずく。
「分かった……」
ハンガリーがこの宮殿にやって来たのは最近だった。早くオーストリアの元に戻りたいと思う気持ちからのトルコへの反発は、すぐにギリシャと打ち解けるきっかけになった。
そして、ついに今回、トルコへの憂さ晴らしを実行に移したのだった。仮面を隠すという、大したことはない内容だが、少しでも鼻を明かせるなら、なんでもよかったのだ。
ギリシャが仮面を隠している間、ハンガリーは、目立たないように着た黒衣から寝巻きに着替え、急いでベッドに潜りこんだ。
じきにトルコが目を覚まし、仮面がないことに気づくだろう。普段から激しく反発している二人は間違いなく疑われるに違いない(真犯人だが)。
シラを切るために、さも「今まで自分たちは眠っていました」という顔をしなければならない。まだ興奮していたが、眠らなくては。
「隠した?」
「ん……」
「見つからない場所?」
「大丈夫だと……思う」
「そう。それなら、ギリシャちゃんも眠らなくちゃ」
のんびりとギリシャはうなずき、ベッドに入った。
適度な興奮は目を冴えさせるが、度を越すと疲労になる。二人の場合もそうだった。最初は興奮がちにひそひそと会話していたが、次第に途切れがちになり、やがて消えた。
「ちびども、さっさと起きやがれぃ!」
翌日、怒鳴り声が二人を起こした。眠さで頭のぼんやりしているのにかまわずベッドから引きずり出すと、トルコは仁王立ちした。
「白状しやがれ」
「なんのことよ」
目をこすりつつハンガリーが問う。演技ではなく、素である。隣にいるギリシャなどはこっくりこっくりと船を漕ぎはじめている。
「俺の仮面をどこにやった」
彼女は息をのんだ。眠気があっという間に吹き飛ぶ。心臓がばくばくとうるさくなる。だが、そんな動揺などおくびにも出さず、冷静さを装う。
「証拠があるの?」
「あぁん!?」
「私たちがやるところを、誰か見たの? それとも、私たちのものが落ちてたわけ?」
「それは……」
あからさまにたじろぐトルコの反応に、内心でガッツポーズをして、ハンガリーは続けた。
「じゃあなんで私たちを真っ先に疑うのよ。心外だわ。すごく傷つくわ。これで濡れ衣だったら、どうするつもりなの」
饒舌に畳みかけられ、トルコは言葉に窮した。「あー」だの「うー」だのうなっていたが、急にニヤリとした。
「証拠なら、ちゃんとあるぜぃ」
ハンガリーの頭をがっとつかむと、顔を近づけて、髪に鼻をうずめた。
「な、なにしてんのよ!」
抵抗はたやすくかわされた。そればかりか、くんくんと匂いをかがれる。
「……やっぱりな」
「なんのことよ」
「おめぇから、俺の部屋の匂いがする」
「え。……あっ」
ハンガリーの頭を、匂いがきついと顔をしかめた香炉の存在がよぎった。移ってしまったのだ。
「動かぬ証拠でぃ」
「くっ……」
トルコは、悔しさから歯ぎしりをする彼女から、その隣のギリシャに目を移した。ぼんやりした顔がきゅっとゆがみ、小さくくしゃみをする。
「作戦を立てたのはおめぇだな。このクソガキ」
ギリシャはなにも言わず、トルコを見上げている。
「今なら、心から謝って仮面を返せば、宮殿掃除で許してやらぃ。どこに隠した」
「ギリシャちゃん、言って」
「ん……場所は……」
一秒、二秒と時間が過ぎる。最初にその間に我慢できなくなったのはトルコだった。
「早く言え!」
「さっき……くしゃみしたときに……忘れた……」
「ええっ!?」「はぁっ!?」
ハンガリーとトルコの声が重なる。当の本人は、相変わらずぼんやりとした顔をしていた。
*
「家具の間から、こんなものが出てきたのですが……」
年若い侍女は、首をかしげながらギリシャにそれを差し出した。見覚えはありますか、と言われなくとも、すぐにその正体には気づいた。
「これ……トルコの……昔の仮面……」
「そうなんですか? へぇ、今とは少し意匠が違うんですね」
四百年ほど前のものなのだから、当然である。
「でも、どうしてあんなところに」
再び不思議そうにするその侍女と一緒にギリシャは考えこんでみたが、思い当たりはなかった。忘れてしまったのかもしれない。
なにせ、彼がこの宮殿に来てから数百年と経っているのだ。想い出と呼ぶのは気にくわない記憶が多いのは、逆に、忘れてしまったことが多いことの証拠でもある。
「持って行かれますか?」
かなり嫌そうな表情になっていたのだろう。彼女は戸惑った顔をした。
「俺にはいらないから……後でトルコに……渡しておいて……」
「分かりましたわ」
侍女はうなずき、仮面をポケットにしまうと、箒を片手に部屋の掃除に戻った。
ギリシャは、何百年という時間を過ごした自室をながめる。それに満足すると、荷物の整理を再開した。
明日から、この宮殿に彼の部屋はない。
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10/02/03