レモンシャーベット



 特に目的があるわけではなかった。ただ、なんとなく街をブラブラしていた。最近やってきた春に彩られて、大路はどこか浮き足だっている。
 ショーウィンドウによそ見していたせいか、前からやってきた誰かにぶつかった。
「すまない」「ごめんなさい」
 俺より背の低い相手が顔をあげる。赤くはれた目が目についた。ほんの数秒でお互いに相手が誰なのかを認識する。
「リズ」「ギル」
 リズは一瞬驚いた表情をした。だがすぐにキツい目つきに変わる。顔をそむけて歩き出した彼女の腕を思わずつかんだ。
「なによ」
「お前、……」
 なんで泣いてんだ、という言葉はなんとか飲みこんだ。訊いたら絶対殴られる。
「俺、いま喉が渇いてんだ」
「はぁ?」
「だから茶店行くぞ。付き合え。おごってやらんこともない」
「誰があんたなんかに、って、ちょっと!」
 返事に構わず、腕を引っ張った。抵抗されたが、男女の腕力の違いは俺の味方だ。しばらくは文句を言われたが、喫茶店に着くころには静かになっていた。
「ご注文は?」
「コーヒー。ブラックで」
「……」
 リズはメニューを見つめて黙っている。何か頼めよ、と言おうとしたら。
「春イチゴのショートケーキと、ミカンとリンゴのタルト、それからアーモンドチョコクッキー、ラズベリーのミルフィーユ、食後にレモンシャーベットを」
 呆気にとられていると、ウェイトレスが飲み物を訊ねた。
「コーヒー」
 挑むような翡翠の瞳が俺を見る。
「ブラックで」
 ご注文は以上ですか、と確認されて、俺はようやくうなずいた。リズはと言えば、頬に肘をついてよそを向いている。
「お前な」
「おごってくれるんでしょ」
 確かに言ったけどよ。限度ってもんがあるだろ。
 注文したものが来るまで、いや、来てからも会話はなかった。どんどん減っていくお菓子を見ているだけで、ブラックのはずのコーヒーが甘くなる。
 ついに最後に残ったミルフィーユを食べ終わると、リズはフォークを置いた。優雅な手つきでコーヒーを飲んで、ふぅ、と一息つく。
「気は済んだかよ」
「まあね」
 相変わらず俺の顔は見ない。おごってもらって何様だこいつ。
「……今日はローデリヒさんと一緒に過ごすはずだったのに」
 予想どおりだった。リズが泣くようなことと言ったら、あいつ関連しかない。当てたのにちっとも嬉しくない。
「だけど、急にダメになっちゃって」
「次があるだろ」
「私は、今日、会いたかった。それに『次』っていつ?」
 声が湿っぽくなって慌てた。おまけに、周囲の女どもの目が痛い。
「泣くなよ」
「泣いてない! こんなのいつものことなんだから!」
 じゃあなんで鼻を赤くしてんだ。
「別れたらいいだろ」
「できない」
「なんでだよ? ツラいことばっかりだろ」
 言いながら、俺にもわかっていた。
 別れられるはずがない。そばにいられない辛さよりも、もっと鋭い痛みが身を引き裂くから。捨てても、何度でも気持ちは揺れるから。
 だから別れられない。この想いとは。
「それでも、すきなの」
 バカみたいだ。世界の大多数には存在さえ知られていないたった一人に、心が占領されているなんて。
 その上、それが自分の全てになりつつあるのだ。これほど愚かで滑稽なことはない。
 何を言うべきか悩んでいると、リズはいきなり手を叩いた。何かと思えば、潤んだ目をこすって深呼吸する。
「あーもー、このことはもうストップ! シャーベットでも食べて忘れる!」
「そんなんでいいのかよ?」
「だってウジウジしてるのはイヤじゃない。何にもならないし」
「それはそうだけどよ」
 そんなことを言い合っているうちに、食後のレモンシャーベットがやってきた。リズはのんきな顔で早速パクつく。
 ウジウジしたくない、か。そうできたらいいんだけどな。ついでにこの気持ちをバッサリ断ち切れたらもっと最高なんだが。
「ほら」
 考えていると、目の前にスプーンを突き出された。黄色い氷が乗っている。
「一口ぐらいはあげる」
 って、金を払うのは俺だぞ。なんで上から目線で恵まれるんだ。
「いらない?」
「……いる」
 スプーンを受け取って、口に入れた。
 甘さのなかに酸っぱさを含んだシャーベットはすぐに溶けて、冷たさがしばらく残った。


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杷樺紗柚さんに捧げます。
リクエスト内容「普洪で暗甘」
09/04/14