しあわせの語らい



「……あ」
 妻のジャンヌの小さなつぶやきを聞き逃さず、フランシスは振り返った。不安げな顔で見ているのは、ぽっこりと膨らんだ彼女のお腹だ。
 安定期に入ってしばらくになる。だが、心配性の彼は、彼女を今まで以上に大事に扱っていた。
 今も、足がむくんだ彼女の代わりに夕飯を作っているところだ。ちなみに、料理の腕は彼の方が上だったりする。
「もしかして、陣痛か?」
「もう、気が早いわよ」
 わざとらしいほどに顔をしかめた。だがすぐに笑みを浮かべ、フランシスを手招きする。
 彼はそのまま彼女の元へ行こうとしたが、一旦引き返した。持ったままのニンジンをまな板に戻すために。
 ジャンヌは落ち着かない様子の夫に目を細め、手を取ると、自分の腹にふれさせる。この動作の意味を尋ねようとするフランシスに、唇に指を当てて見せることで沈黙を促す。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……へっ!?」
 唐突にフランシスが奇声を上げる。思わず手を放し、信じられないという表情でジャンヌを見つめた。
「分かった?」
「いいい今、『ぴくっ』て!」
 混乱した様子を隠そうともしない。彼女はくすくすと笑う。愛しげに腹をなぜながら言った。
「赤ちゃんが中からお腹を蹴ってるの」
「うぉ、マジかよ!」
「こんなに元気なら、男の子かしら」
 お腹の子どもの性別は聞いていなかった。生まれてきたときの楽しみにとっておいたのだ。男でも女でもかまわない、という理由もある。どちらにせよ、可愛い子どもだ。
「おてんばな女の子かもしれないぞ。母親に似た」
「女の子だと、お嫁に行くときが寂しいわね、パパ?」
 うっ、とフランシスは詰まった。苦笑しつつ髪をかき上げる。
「……社長がフェリシアーナとロヴィーナにボディーガードをつけさせてる理由が、今、よーく分かった」
「女の子だから、ケガをさせたくないんでしょうね」
「それだけじゃない」
 言わんとすることがつかめず、ジャンヌは首をかしげた。
「……悪い虫がつかないように、もあるんだなって」
「あぁ、なるほど」
 大きくうなずいたが、再び疑問符を浮かべた。
「でも、ロヴィーナちゃんとアントーニョさんは」
「そうなんだよ。アイツ、社長に報告したらしたたか殴られたらしい」
「……貴方も殴る予定なの?」
 彼女は眉をひそめた。暴力ごとは嫌いなのだ。
「相手にもよる。……でも、俺たちの子どもなら、ろくでなしには引っかからないんじゃないかな」
「じゃあ今からそうしつけてね」
 ほら、と腹を張る。「男は狼だぞ」だの「スカートはあまり短くすんなよ」だの言い重ねて、ようやくフランシスは我に返った。
「……まだ女の子だって決まってないのに、なにやってんだ、俺」
 顔を強ばらせていたジャンヌが、耐えかねたように吹き出した。
「やっと気づいたの?」
「ってオイ、分かってたんなら言えよ!」
「だって貴方があんまり熱心だから、邪魔するのは野暮かしらと思って」
「あのなあ……」
 脱力すると、決まり悪そうに頭をかく。彼女はまだ笑っている。
「生まれるのが楽しみね」
「そうだな。……ママのお腹に飽きたら出ておいで」
「失礼ね」
「お許しを、マドモアゼル」
 彼はひとしきり腹をさすり、いきなり尋ねた。
「……イマサラだけど、本当に、聞こえてる、のか?」
「ええ、もちろん」
「それは困るな……」
 あごに手をやりフランシスは考えこむ。ジャンヌはいたずらっぽい笑みを作った。
「私が寝てる間に、この子に私の悪口でも聞かせてるの?」
「そんなことしないさ。……俺が困るのは」
 彼は彼女の耳に顔を近づけた。そっと声をひそめ、ささやく。
「君への愛の言葉を聞いて、この子が君に恋をしたらどうしよう、ってことさ」
 彼女は目を見開いた。やがて顔が赤くなる。ひたいにキスをしている彼の頬を押さえ、目線を合わせる。
「もし、そうなったら」
 そっと腹に手をやり、円を描くようになでる。
「貴方がもっと私を愛してくれればいいわ」
「言うねえ」
「貴方の妻だもの」
 二人は笑い合い、視線を絡め、唇を重ねる。
 再び子どもが腹を蹴った。やってられない、という抗議のつもりだったのだろうか。


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10/01/01 初出(年賀状企画)
10/02/06 改稿再録