六月の花嫁
何度経験しても、フェリシアーナのショッピングに付き合うのは苦行だった。
彼女と一緒に過ごす時間が嫌なわけではない。そんなことはあり得ない。ただ。
「これは、アコーディオンプリーツがかわいいし、」
フェリシアーナは右手に持ったドレスを身体に当てる。山吹色で、そではなく、首元からすそまで縦に細かいひだが伸びている。丈はひざ下くらいだ。腰はリボンで締めるらしい。
「でね、こっちは、ミニドレスで、コサージュがかわいいんだ」
フェリシアーナは左手に持ったドレスを身体に当てる。明るいレモンイエローで、腰の少し下まではタイトめだが、そこから先はふわりとしたスカートになっている。
「ねぇ、どっちがいいと思う?」
……この質問さえなければ、といつも思ってしまう。この手の問いかけは何度もされてきたが、完璧な回答ができたことは一度もない。そもそもそんなものは存在しないのだろうか。
「そう、だな……」
偽らざる本音を正直にぶっちゃけて端的に言うならば。
「どっちでもいい」
すると、フェリシアーナはいきなり表情を曇らせた。
「どっちも似合ってない?」
「そっ、そういうことじゃない!」
似合っていないわけがない。彼女はなにを着ても(よほどでなければ)着こなすことができる。似合うファッションの幅が広いのだろう。
さらにどちらのドレスも、可愛らしいが甘ったるくはない。大人の女性にふさわしいデザインだ。精神的に成長しつつあるフェリシアーナの魅力をさらに引き出してくれるだろう。
「じゃあ、どういうこと?」
「つまり……どっちも似合っているから、どっちでもいいんじゃないかと思ったんだ」
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。これは一体なんの羞恥プレイなのだろうか。火がついたかと思うくらい顔が熱い。もう帰りたい。
そんなルートヴィッヒとは対照的に、フェリシアーナは先ほどの沈んだ顔が嘘のように明るい笑みを浮かべた。悪くはない回答だったようだ。恥ずかしいが。
「ありがとう! じゃあ、もう少し悩んでみる」
「……ああ」
まだかかるのか、と思ったのが表情に出てしまったようだ。フェリシアーナは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、すごい時間かかっちゃって。でも、ローデリヒさんとエリザベータさんの結婚式だから、想い出を綺麗に残したいんだ。だから、ドレスは妥協しないで一番いいのを選びたいなって思って……わかって、くれる?」
不安そうにルートヴィッヒを上目遣いで見つめるのはずるい。拒否できるわけがない。返事の代わりに頭をなでると、表情が一変して、また満面の笑みになる。
この笑顔に、結局、いつも負けてしまう。勝てることなどないのだろう。まるで計算ずくのようだが、無意識である。
「……それにしても、黄色系ばかり選んでるんだな。そんなに黄色が好きだったか?」
今度はオレンジのドレスを手に取って、ためつすがめつしているフェリシアーナにそう言うと、彼女は驚いたように振り返ってルートヴィッヒを見つめる。
「忘れちゃったの?」
「なにを?」
「ルーイ、私には黄色が似合うって言ったんだよ」
「……言ったか?」
「言ったよ! だから私、あのワンピース買ったんだもん。ほら、ルーイがまたボディーガードになったときのあれ」
そのワンピースならよく覚えている。フェリシアーナが動くと、花の形に縫い取られた飾りがふわふわと揺れていた。……そういえば、買い物にはじめて付き合わされたのはあのワンピースを買うときだった気がする。
「あのワンピースを買うときに、ルーイに『私は何色が似合うかな?』って訊いたら『黄色』って言ったんだよ。……本当に、覚えてないの?」
「……思い出した」
苦し紛れにそんなことを言ったような覚えがある。まさかあれを真に受けて、今でも黄色を意識的に選んでいるとは思わなかった。
「ずっと前のことなのに、よく覚えてたな」
「うれしかったんだ。ルーイが私のこと考えてくれたのが」
「……すまない」
今さら罪悪感がわき上がってきた。フェリシアーナは首をかしげる。
「なんで?」
「俺のせいで選択肢を狭めさせてしまったのなら、申し訳ない」
「そんなことないよ! 私、元々黄色は好きだし。それに、みんなも『黄色いの似合うね』って言ってくれるよ」
「そうか……それならいいんだが」
フェリシアーナはまたドレス選びに戻った。色とりどりのドレスがずらりと並んだ店内を漠然と眺めているうちに、ふと、疑問がわき起こる。
「結婚式なら、白がいいんじゃないか?」
「だめだよ! 白は絶対にだめ!」
めったにない強い口調に驚きながら問い返す。
「どうしてだ?」
「だって、白は花嫁の色だもん。だから他の人は着ちゃだめ」
「ああ……なるほど」
言われてみれば、今まで出席した結婚式に、花嫁以外、白いドレスを着ている女性はいなかった気がする。男はスーツを着ていけばいいが、女性側にはそういう不文律があるようだ。
「他の人はカラフルなドレスだから、白いウェディングドレスが目立って、もっと綺麗に見えるよね。……いいなぁ、真っ白なドレス。私もいつか、着てみたいな」
フェリシアーナはほぅ、とうっとりしたため息をついた。なんとなく気まずく、ルートヴィッヒはわけもなく視線を泳がせてしまう。
『ルーイとなら、私は幸せになれる。絶対』
満面の笑みを浮かべて、ためらいもなく彼女は言い切った。ほんの最近のことだ。
そのせいで、さっきのフェリシアーナのセリフにプレッシャーを感じてしまう。言っている本人にその気はまったくないのはわかっている。あのときも、結婚はまだちゃんと考えたことがないと言っていた。深読みのしすぎだ。
――俺はなにをあせっているんだ。
あせる必要などどこにもない。時間はたっぷりある。なにしろフェリシアーナはまだ十代なのだ。もっと社会を学ぶ必要がある。急ぎすぎるのは逆に彼女のためにならない。
それに、ルートヴィッヒの方でも、色々と準備が必要なのだ。主に心の。
「それでは、指輪を交換してください」
司祭が言うと、ローデリヒとエリザベータの二人はリングピローから指輪を取り、お互いに手を握り合った。二人とも少し照れたように笑っている。
いつもおしゃべりなフェリシアーナが、今は嘘のように黙りこんでいる。こちらをちらりとも見ない。冷淡というわけではなく、一瞬たりとも式を見逃したくないのだ。
前の二人はちょうど指輪を交換し終えたようだ。
「私は、二人の結婚が成立したことを宣言します。今私たちの前でかわされた誓約を、神が固めてくださり、祝福で満たしてくださいますように」
司祭が結婚を祝福する。息を詰めていたフェリシアーナは短く息をついた。
「それではみなさんで賛美歌を歌いましょう」
オルガンで賛美歌の伴奏が演奏される。歌にはあまり自信がないのでルートヴィッヒは声を潜めたが、合唱団に入っているフェリシアーナは堂々と歌っていた。
賛美歌が終わると、ついに結婚式は終了だ。
「参列者の皆さんで花道(はなみち)をお作りください」
司祭が呼びかけると、他の参列者たちがごそごそと立ち上がる。ルートヴィッヒたちもベンチを離れ、赤い絨毯のヴァージンロードの脇に立った。すると、前方から手渡しで小さなバスケットが回ってきた。
バスケットの中には花びらのようなものが入っている。一枚だけではない。何枚もある。
「フラワーシャワーだね、これ」
「ああ、なるほど」
周囲を見回してみれば、気の早い誰かはもう花びらを降らせている。だが、二人は少しもたついているようだ。長くすそを引くウェディングドレスでは、少し回るだけでも手間がかかるらしい。
「サムシング・フォーって知ってる?」
フェリシアーナが花びらをいじりながら問いかける。
「いや……」
「花嫁は、新しいもの、古いもの、借りたもの、青いものの四つを身に着けると幸せになれるんだよ。でね、今二人が着けてるリングの内側には、小さな青い石が入ってるんだって」
「なるほど」
「あと、靴の中に六ペンス硬貨を入れるといいんだって」
「詳しいんだな」
フェリシアーナにこんな知識があるとは思わなかった。目をみはると、彼女は照れたように笑う。
「前に、授業で調べたことがあるんだ。これだけは忘れたくなくて」
司祭がざわめきの中でもよく通る声で厳かに告げる。
「お待たせいたしました。それでは、二人をフラワーシャワーでお見送りください」
わっと歓声が上がる。牡丹雪のように花びらが舞う。フラッシュが光る。祝福の拍手が教会の天井にこだまする。
手を叩きながらちらりと隣のフェリシアーナの様子をうかがうと、彼女は元気よく拍手を送っていた。ぽろぽろと涙を流しながら。本当にうれしそうに笑っているのに。
とりあえずハンカチを差し出すと、彼女は首をかしげた。なぜそれが必要なのかわからないという様子だ。涙で濡れた頬を拭くと、驚いたようだった。
「私、泣いてたんだね……気づかなかった」
「どうした」
「すごくうれしかったんだ。ローデリヒさんとエリザベータさんはこれからもずっとずっと一緒にいられるんだなぁ、って」
「……そうか」
「うん」
フェリシアーナはハンカチで涙を拭きながら、ようやく聞き取れるような声でつぶやく。
「うらやましいなぁ……」
「……」
フェリシアーナの手を握ると、彼女は目をみはり、ルートヴィッヒをじっと見つめた。そんなに見ないでほしい。きっと耳まで赤くなっているはずだから。
「ありがと、ルーイ」
くす、とフェリシアーナが口元を押さえて笑う。羞恥でいたたまれずによそを向くと、やさしく、だがしっかりと手を握り返された。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
「お幸せに!」
ヴァージンロードを通る二人の上に、無数の花びらが降り注ぐ。髪や肩や腕についたものをお互いに取り合っていて、初の共同作業だと冷やかされていた。
「ローデリヒさん! エリザベータさん! おめでとう!」
目の前を通っていく二人にフェリシアーナが花びらを投げつつ声をかける。彼女の方に顔を向けたローデリヒとエリザベータは、心から幸せそうに笑った。
式のあとは教会の庭で立食パーティーだ。披露宴と二次会を兼ねているのだろう。初夏の陽射しと涼しい風と若葉が相まって、庭はさわやかな空気に満ちている。
食事していたフェリシアーナの肩を、エリザベータが叩く。中座して着替えてきたので、今はウェディングドレスではなく、涼しげなモスグリーンのカラードレスを着ている。
「こんにちは、フェリちゃん。今日は来てくれてありがとう」
「あっ、エリザベータさん! こちらこそ、お招きくださってありがとうございます!」
フェリシアーナはワンピースのすそを軽く摘まんで会釈する。エリザベータはそれを姉のように見つめていた。そして次はルートヴィッヒに目を向ける。
「貴方も、来てくれてありがとう。うれしいわ」
「いえ。関係ない私まで招待してくださり、ありがとうございます」
「貴方がいないとフェリちゃんはつまらないだろうなって思って」
「……え?」
含みのある言葉に戸惑うルートヴィッヒをよそに、フェリシアーナははしゃいでいる。
「天気もいいし、式も素敵だったし、ご飯もおいしいし、神様も二人のこと祝福してくれてるんだね。ジューンブライドだし、エリザベータさんの誕生日だからかな」
「ちょっと恥ずかしいけど、そうだといいわね」
「絶対そうだよ! あっ、ドレス、すごく綺麗だったよ! エリザベータさんに似合ってた!」
「本当? 別のドレスとすごく迷ったんだけど、ローデリヒさんが『貴方にはこちらが似合います』って言ったからあれにしたの」
「そうなんだー」
「フェリちゃんも、そのワンピース、大人っぽくてすごく似合ってるわよ。フェリちゃんには黄色がぴったりね」
「本当? ルーイが私には黄色が合うって言ったから選んだんだ」
「そうなの。……あ、そうだ」
エリザベータは急になにかを企むような顔になる。
「フェリちゃんのラッキーカラーは黄色だと思うわ」
「ラッキーカラー?」
「ええ。いい? 忘れないで、黄色がラッキーカラーよ。迷ったときは黄色を選んでね」
「うん、わかった」
フェリシアーナは不思議そうな顔をしながらもうなずく。
「そうそう、もう少ししたらブーケプルズがあるからぜひ参加してね」
「ブーケプルズ?」
「ブーケトスがくじになったようなものよ。一つだけブーケにつながってるテープがあるの。残念だけど外れちゃったときにも、かわいいストラップを用意してるわよ」
「へぇ、知らなかった! そんなのあるんだねー」
「もちろん、ブーケを引き当てた人が次の花嫁さんよ」
エリザベータはウインクする。フェリシアーナはわぁ、と歓声を漏らした。
「参加する! 絶対!」
「そうこなくっちゃ。……それじゃあ、私、他の人とも話してくるから、またね」
「うん。今日は本当におめでとう!」
「ありがとう」
エリザベータは手を振りながら立ち去る。後ろ姿を見送りながら、フェリシアーナが言う。
「エリザベータさん、幸せそうだったね」
「ああ」
「黄色がラッキーカラーって、なんだったんだろ?」
「さあ」
エリザベータの意味深なセリフの意味は、その数分後に明らかになった。
『これからブーケプルズをはじめます。参加なさりたい方は前にどうぞ』
司会が呼びかけると、フェリシアーナはわくわくした様子で向かった。参加者は全員妙齢の女性だ。フェリシアーナのように期待に目をきらきらと輝かせている者もいるが、闘争心をぎらぎらとにじませている者もいる。
『それではテープをお選びください。一つだけがブーケにつながっています』
ブーケを持ったエリザベータが色とりどりのテープの束を参加者たちに差し出す。フェリシアーナはもちろん、全員がどれにしようか悩んでいるようだ。
何色のテープを選ぶのだろう、と外野からながめる。フェリシアーナはふいに、はっとした表情をするなり、あわててテープを選んだ。
すべての参加者たちが選び終わったのを確認して、司会者が言う。
『それではテープをお引きください。さぁ、次の花嫁はどなたでしょうか!』
参加者はいっせいにテープを引いた。ブーケにつながっていないものを選んでしまった女性が残念そうな顔をする。深くため息をつく者もいた。
一人、また一人と、はずれを選んでしまった女性が抜けていき、最後に一人が残る。それが幸運にも当たりのテープを引き当てた者だ。司会が近づいていく。
『それでは、当たりのテープを引いた方にインタビューをしてみましょう。……こんにちは。お名前をお願いします』
「フェリシアーナ・ヴァルガスです」
マイクを向けられて、ブーケを大事そうに抱えたフェリシアーナはうれしそうに笑った。
『今のお気持ちは?』
「スッゴくうれしいです! やっぱり黄色はラッキーカラーでした!」
フェリシアーナはブーケにつながっていた黄色のテープを示す。よく見てみると、はずれのテープは色がかぶっているものもあるが、黄色のテープは当たりの一本しかない。
もしかして、とエリザベータに目を向ける。ルートヴィッヒの視線に気づくと、エリザベータは人差し指を唇の前に持っていき、いたずらっぽい笑みを浮かべてウインクした。……やはりそういうことだったらしい。
『どんな花嫁になりたいですか?』
心臓が弾むのがわかった。全身がなぜか緊張する。
フェリシアーナの視線がまっすぐルートヴィッヒに向けられる。逃げることなどできはしない。真正面から受け止める。
「私は――」
帰りの車の中で、フェリシアーナはブーケを大事に抱えたまま眠っていた。きっと疲れたのだろう。かなりはしゃいでいたことでもあるし。
わざわざ起こす必要はないので、寝かせたまま車を走らせた。家に到着しても彼女は起きなかった。いつものことではあるが。
「フェリシアーナ」
声をかけながら肩を揺する。普通に呼びかけただけでは彼女は起きない。
「うー……」
「家に着いたぞ」
「んぅ……あと五分……」
ため息が出た。なかなか起きてくれないのもいつものことだが。
抱き上げて部屋まで連れて行こうか、と一瞬思ったがすぐに考え直した。……前回彼女の部屋でしでかしてしまったことは、まだ記憶に新しい。社長や彼女が信頼してくれていることはわかっているが、いやだからこそ、危ない橋は渡らないに越したことはない。
「フェリシアーナ!」
怒鳴るまではいかないがやや声を張り上げて名前を呼ぶ。ようやく彼女は目をひらいた。ひらいたとは言っても、ぼうっとしてなにも見ていない。このままではまた眠ってしまう。
「ブーケを活けなくていいのか。しおれてしまうだろう」
「……あ、そっか……うん……」
「起きたか?」
「少し……でもまだ眠い……」
フェリシアーナは倒したシートの上で寝返りを打つ。
「ねぇ、ルーイ……」
眠さのせいかふにゃふにゃした口調だ。
「なんだ」
「やっぱり、結婚式っていいよね……」
「そうだな」
「私も、あんな花嫁さんになれるかなー……?」
「っ、そっ、それはっ」
しどろもどろになってしまうルートヴィッヒとは対照的に、フェリシアーナはまた寝返りを打った。大きなあくびを一つして、ごしごしと目をこする。シートに横になったまま、うっすらと目を開けてルートヴィッヒを見る。
「エリザベータさん、すごく綺麗で、やさしくて、大人の女性ってこういう感じなんだなぁって。でも私はぜんぜん子どもっぽいし、泣き虫だし、なんだか心配になって……」
「……あ、ああ、そういうことか」
彼女が心配しているのは自分が花嫁になるにふさわしい人物か、ということらしい。エリザベータと自分を比べて不安になってしまったのだろう。
「お前はまだ十九歳だし、大学生なんだ。あせる必要はどこにもない。少しずつ社会を学んで大人になっていけばいい」
一人で勝手にプレッシャーを感じてそわそわしてしまった自分は棚に上げておく。頭をなでてやると、フェリシアーナはルートヴィッヒの手をつかんで握りしめた。
「……だって、待たせたくないんだもん」
「なにを」
「ルーイを」
「……」
まさか自分の名前が出てくるとは思わなかった。
「早くルーイにつり合う大人の女性になりたい。ルーイを待ちくたびれさせたくない」
彼女は不安そうな目をしている。いつの間にか眠気は消えているようだ。
「俺はお前のためなら、……あー、その、なんだ」
「なぁに?」
「……お前のためなら、どれだけ待たされても平気だ」
我ながらこっぱずかしいセリフだ。顔が少しほてっているような気がする。
「本当に? 明日とか明後日じゃないんだよ?」
「一年先でも何年先でも俺は待てる」
「そんなに待っても、もしかしたら、大人になれないかもしれないよ?」
「そんなことはありえない。今のお前は、はじめて会った三年前よりもずっと成長していると俺は思う。だから、いつか必ず、立派な大人の女性になれる」
「本当?」
「本当だ。……俺のことを、信じているんだろう?」
少しずるい手を使う。だが彼女は素直にうなずいた。
「うん、信じてるよ。ルーイが言うなら、実現できるような気がしてきた」
そんなに純粋に信じられると、後ろめたさを強く感じる。
――俺は、そんなに素晴らしい人間じゃない。
自分のエゴのために彼女を傷つけてしまったことがある。自分で自分を制御できずに彼女を犯しかけたこともある。
自分の醜さは、自分がよく知っている。
「……俺も、待っているだけではなく、自分自身を鍛えようと思う」
「もっとムキムキになるの?」
「そういうことじゃない! なんというか……もっと心に余裕を持てるようになりたいんだ。あせったり自分を見失ったりすることがないように」
「ルーイは、今のままでも充分すごいと思うけどなー」
フェリシアーナは首をかしげた。
「大人になったら、わかるの?」
「たぶん、な」
「そっかー……。じゃあ、大人になるためには、なにをしたらいいのかな?」
「色んな経験をしたらいいんじゃないか?」
「ふぅん。ねぇ、ルーイは、どんな経験をして大人になったの?」
「どんな? そうだな……」
少し首をひねり、思い出してみる。
「責任を持って一つのことを最後までやり遂げたのは大きかったな。自分の限界を知って、誰かに助けてもらうことのありがたみと大切さを学んだ」
「難しそうだね。私にできるのかな」
「最初は失敗してもいいんじゃないか? 大事なのは、その失敗の原因を分析して、次は同じことをしないように気をつけることだ」
「そうなんだ」
彼女は腕組みをしてなにやら考えこんだ。やがて、よし、と決意に満ちた声で言う。
「私、バイトする」
「え?」
「前からやってみようかなって思ってたんだけど、ちょっぴりこわくて。でも、こわがってばかりじゃ先に進めないよね」
それは同感だが、問題はそこではない。
「バイトするほど金銭には困っていないだろう?」
なにしろ彼女は社長令嬢なのだ。
「困ってないよ。爺ちゃんはお小遣いくれるし」
「それならなんでだ」
「ルーイの話聞いて、色んな経験をしなくちゃいけないなって思ったんだ。ずっとお小遣いもらってるのも爺ちゃんに悪いし。それにね、お金が貯まったら、やりたいことがあるんだ」
「やりたいこと?」
「うん。ねぇ、覚えてる? 爺ちゃんと話したあとに海に行って、そのとき『いつか海の綺麗な場所に二人で行きたいね』って言ったこと」
「ああ」
それは覚えているが、まさか彼女がここまで真剣に考えているとは思わなかった。
「旅行のお金は、自分で出したいなって。旅行代まで爺ちゃんにくださいって言うのは、大人のすることじゃないから」
えへへ、と彼女は照れたように笑った。それを見て、改めて、彼女が心身ともに成長していることを実感する。幼虫からさなぎになり、さなぎから羽化する蝶のようだ。
「……ねぇ、ルーイ。いつか私が、エリザベータさんみたいな大人の女性になったら、そのときは、私のこと……」
言葉の途中で、フェリシアーナはブーケに顔を隠すようにうずめた。耳が赤い。言いながら自分でも恥ずかしくなってしまったのだろう。
『私は、旦那さんをいっぱい幸せにしてあげられる花嫁さんになりたいです!』
昼間の光景がなぜか頭をよぎる。フェリシアーナははちきれそうな笑顔で言っていた。まっすぐにこちらを見つめて。
「フェリシアーナ」
名前を呼ぶと、彼女は顔を上げた。顔を近づけると、目を閉じる。シートを倒している彼女に上半身を覆いかぶせるようにして、そっと唇を重ねた。やわらかくしっとりした彼女の唇の感触は何度味わっても飽きることがない。これから先もそうだろう。
唇を離すと至近距離で視線が絡む。
「……」
「……」
照れたように笑ったのは二人同時だった。
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13/06/08