「Your Knight 1」サンプル2



一日め


 ――とうとうこの日が来た。
 よく晴れた月曜日の朝、社長の邸宅の前に車を止めた。気合いを入れすぎて予定より早く着いてしまったが、差し支えはないだろう。
 はやる心臓を抑えるため、もう何度めになるかわからないが、一日の流れをまた確認することにした。朝は車で高校に連れていき、授業中は待機、放課後は習い事に行かせる。終われば家に送る。ほとんどが待機の時間だ。だからと言って気を抜いていいわけではないし、そんなつもりは毛頭ない。
 次は地図だ。実際に走ってみたときの目印を頭に浮かべ、小さくつぶやきながら点検していく。……大丈夫だろう。最短経路を割り出してはいるが、もっと近くて時間がかからない道があるのならば訊けばいい。
 確認が終わり、落ち着いてくると、次に頭を占領したのは、一週間警護をする対象――社長の孫娘のことだった。
 見たことがあるのはたった一度だけだ。見たとは言っても、遠目ではよくわからなかった。つまり、今日初めて顔を合わせることになる。
 社長の孫娘は双子だったが、彼がつくのは妹の方だ。姉には彼の先輩がついている。今日は部活の朝練で先に家を出ているそうだ。
 ――それにしても。
 ちらっと腕時計に目を落とす。そろそろ出なければ遅刻だ。一度は静まったはずの緊張がまたぶり返してきた。来ないのならばこちらから呼びに行くべきだろうか。車から降りたそのとき、突然、壊れそうな勢いで玄関ドアがひらいた。
 出てきたのは制服姿の少女だった。スカートのプリーツを乱し、なにもないところでつまづきながら、転がり跳ねるようにやってくる。毛糸玉で一生懸命遊んでいる丸々とした仔猫を連想してしまったが、すぐにその馬鹿な想像を打ち消した。
 ……まさか、とは思うのだが。
 少女はこちらに気づいたようだった。わたわたと門を開け、彼の目の前で立ち止まった。
 ――まさか、その「まさか」なのか。
「おはよう!」
「おはようございます……」
 ゆるやかにウェーブのかかっている栗色の髪が、高い位置でポニーテールになっている。頭を動かすたびに揺れた。背は小柄で、彼の肩くらいの位置に頭がある。
 好奇心を隠さない琥珀の瞳が、じっと見上げてくる。それがあまりに熱心なので、なにもしていないのに、いたたまれなくなってしまう。
「貴方が、私の新しいボディーガードさん?」
「はい」
 戸惑いながらうなずく。彼女は「わっ」とうれしそうに息を詰め、弾けるように笑った。
「やっぱりそうなんだ! はじめまして!」
「……はじめ、まして」
「よろしくね。じゃ、握手しようよー握手ー」
 いきなり手をつかまれ、ぶんぶん振られる。イメージしていた「社長令嬢」とは似ても似つかない。あっけに取られてされるがままになってしまう。
 だが、なぜか、さすがあの社長の孫だ、と感心してしまった。くせのある髪の質や、瞳の色などの身体的特徴はもちろん、かもし出している雰囲気やテンションがそっくりだ。
 いや、感心している時間はない。遅刻してしまう。
「早速ですが、高校までお送りします」
「あ、うん。りょーかい」
 黒塗り高級車の後部座席のドアを開ける。彼女はそのことに疑問を覚えないようで、慣れた様子で乗りこんだ。その態度は確かに「社長令嬢」で、どこか奇怪に思える。ドアを閉め、運転席に乗りこむ。自分も彼女もシートベルトをしているのを確かめて、発車した。
「ねぇねぇ!」
 後ろから元気のいい声が飛んでくる。色々と話しかけたくてうずうずしているらしい。シートベルトをしていなければ、おとなしく座らず、身を乗り出してきていたに違いない。……さっきは仔猫のようだと思ったが、遊びたい盛りの仔犬の方が正確かもしれない。
「どうなさいました」
「まだ名前聞いてなかったよね? なんていうの?」
「ルートヴィッヒです」
「ルートヴィッヒかぁ。じゃあ、『ルーイ』って呼んでもいい?」
 その年ごろならではの、若さにあふれた積極性にたじろいでしまう。相手が誰で、どんな関係だとしても、必要以上に親密になるのは好きではなかった。むしろ、距離を置き、わきまえた交流を持つ方が好きだ。性にも会っている。
 いつもなら冷たくあしらって引き下がらせるのだが、社長の孫娘が相手とあってはそうもいかない。ごちゃごちゃと考えて運転中に気を散らすのは危険でもあるので、ここは曲げて、譲歩せざるを得なかった。
「……お好きにどうぞ」
「やった。あ、私はフェリシアーナ。『フェリ』でいいよ」
「できません」
 それだけは絶対に無理だ。
 短く言うと、口をとがらせる。動作が高校生とは思えないほどに幼い。
「固いなあ」
 そう言われても、これが彼の性分なのだから仕方ない。直せるものならとうに直している。
「せっかくなんだから、お友だちになろうよー」
 友だち。予想外の単語だった。
 彼にとって、彼女は「お嬢様」で、それ以上でも以下でもない。「友だち」という仲になるなどありえなかった。
「私は、お嬢様をお守りするために参りました」
 友だちになるためではない。その意図を含ませて、冷ややかにはねつける。今までは、このやり方で全員引き下がった。彼女も例外ではないだろうと思った、……のだが。
「うん、だから、仲よくなろうよ。ね?」
 むしろ、迫られる結果を招いてしまう。どうやら彼女は文脈というか空気を読めない性格らしい。こういうタイプを相手にするのは初めてで、どう対処すべきかわからない。さすがに面と向かって拒絶はできなかった。
「……努力は、します」
 それが彼にできる最大限の譲歩だ。
「えー?」
 残念そうな顔をルームミラー越しに見て、すぐに前方に視線を戻す。道路はこの時間帯にしては比較的空いている。急げば間に合う。法定速度ぎりぎりまでアクセルを踏んだ。
「ねぇ、ルーイ」
「はい、お嬢様」
 もうすぐ彼女の通う女子高に到着する。遅刻は免れそうだ。
「鞄、忘れちゃったから家に戻って」
「……わかりました」

 結局、初日早々から遅刻した。


 彼女の授業中は急用や急病に備え、待機することになっている。五分以内で駆けつけられるならば待機場所の指定はないので、今は、遅い昼食のためにファミレスに来ていた。
 今日の日誌を書こうと決めたのはいい。だが、頭痛とため息が止まらない。遅刻についてふれないわけにはいかない。ごまかすことはしたくない。胃が痛い。
 自分の手落ちについて考えていると、会社から支給された携帯電話が鳴り出した。
 すわ一大事かと取ってみれば、
『やっほー、俺俺』
『……番号をお間違えですよ。では』
『ちょっ、ひどいわ! フランシスお兄さんの美声を忘れるなんて!』
 相手はフェリシアーナのボディーガードの前任者のフランシスだった。妻の出産のため、一週間の休暇を取り、それで彼にお鉢がまわってきたのだ。
『うまくやってるか? ん?』
「……実は――」

『そりゃ災難だったな』
 今朝の出来事を話すと、心底おかしそうに笑われた。そこまで笑うか、と顔をしかめてしまうほどである。こらえきれずにため息をもらした。
「先輩はどうしていたんですか」
 フランシスはいい加減に見えても仕事はきっちりやる男だ。コツをぜひ聞きたかった。
『簡単さ、時間になったら電話で起こして、車に乗る前に忘れ物の確認。時間割とか行事のチェックは欠かさずやっとけ。あ、そうそう、制服のリボンはよく忘れるから注意しろ』
 滔々(とうとう)とした言葉にめまいを覚える。聞いているだけでは、まるで幼児のしつけだ。
「……明日は心がけます」
 よほど弱りきった声が出ていたのだろう。仕方ないさ、と一転してなだめる調子になった。
『フェリシアーナはよくも悪くも「お嬢様」だからな。悪気はないから、大目に見てやれ』
「それはわかっていますが」
 わかってはいるが、いきなりの遅刻はかなり痛かった。社長からの叱責は確実だ。彼女を恨みに思うのはお門違いだろうか。
『ま、一週間なんてすぐ終わる』
「はい」
 ――一週間の辛抱、か。
 苦々しい思いで電話を切る。正直に言えば、待ち遠しくてたまらなかった。

 放課後、彼女を再び車に乗せて習い事に向かった。
 ちなみに月曜は華道、火曜は合唱団、水曜はピアノ、木曜はスイミングだ。火曜を除く、月曜から土曜は、他にも学習塾がある。
 月曜日の今日は華道だ。稽古場は閑静な住宅街にある、いかにもそれらしい邸宅だった。
 木でできた門を開けると、玉砂利の敷き詰められた庭園が広がる。いにしえの時を凍りつかせたような光景を見ていると、自然と背筋が伸びた。
 風に揺れる松、玄関までの飛び石、威厳を放つ玄関、すべてが計算ずくのようでありながら、自然に調和を取り、風景の一部となっている。
 引き戸を叩いてしばらくすると、軽い音を立てて戸がひらいた。十代半ばごろの少年に向かってフェリシアーナがあいさつをすれば、大きくうなずく。
「いらっしゃいなんだぜ!」
 家に上がり、チョッチョルーと鼻唄を歌う少年についていく。
 どこからか涼やかな楽器の音が聞こえる。庭には小さな池があった。鯉が数匹泳いでいる。
 歩くにつれて旋律が大きくなることに気づいた。どうやら源に近づいているらしい。少年がふすまを開けた瞬間、解き放たれるように楽の音があふれた。
 肩をおおう黒髪を持つ少女が琴をつまびき、やや長髪の少年が鼓(つづみ)を打ち、性別のわからない風貌の人物が笛をかまえ、着物を着た青年が三味線を抱いていた。
 入って来た三人に気づき、三味線の青年が手を上げる。演奏がぴたりと止まった。
「続きは今度」
 その言葉に、青年以外は楽器を持って退出する。重そうな琴は、ルートヴィッヒたちを案内した少年が片づけを手伝っていた。
「お待たせしました」
「素敵だったよー」
「ありがとうございます。……そちらの方は?」
 黒い瞳が彼を見る。吸いこまれそうな色だと思った。
「ルートヴィッヒです。ボヌフォワの代理を務めています」
「そうですか。私は華道師範の本田菊です」
 頭を下げられ、あわててならう。特に威圧的な様子はないのに、気後れしてしまう。
「準備をして、はじめましょう」
 特にすることもないので、窓の外をながめる。はさみの音が広い室内に響く。
「空間との調和を――」
「花自体の風合いを生かして――」
 時たまの穏やかな声が、散漫になる意識を引き締める。

 華道の後は学習塾に向かった。
 塾は部外者立入禁止のため、車で待機することになる。続きを書こうと日誌を広げた瞬間、朝からのあれこれが思い出された。
 初日からこれだ。この調子で一週間も続けるなど、本当にできるのだろうか。
 ――それでもやるしかない。
 自分に言い聞かせる。なにがあったとしても、とにかくやり抜くのが肝心だ。これは仕事なのだから。割り切ればいい。割り切るしかない。
 そうは思うが、疲労は肩に重くのしかかった。
 彼の一週間は、まだはじまったばかりだというのに。


←前へ

↑オフ活動ページに戻る