漢の背中



 脱衣所で、オーストリアさんに続いてプロイセンさんに浴衣を着付けていた、のですが。
「日本さんっ」
 そこへ仲居さんがやって来ました。息を切らして、ずいぶん慌てている様子です。
「どうかしましたか」
「女湯に入っていらっしゃったお客様なんですが」
 その「お客様」というのは、温泉観光のことで視察にいらしているハンガリーさんのことでしょう。なにかあったのでしょうか。
「その、のぼせてしまわれたようで……浴場でお倒れになったんです」
「ええっ?」
 お客であるお二人の前だということも忘れ、思わず素の声が出てしまいました。
 湯船に浸かる習慣がない外国の方がのぼせるのは割とよくある話ですが、まさかハンガリーさんまでそうなるなんて予想外です。
 今の会話が聞こえたのでしょう、オーストリアさんが仲居さんに詰め寄りました。
「彼女は重体なんですか? 医者は? 救急車は?」
 あまりの勢いにたじろぐかと思いましたが、さすがプロ。こういう事態には慣れているようで、落ち着いた口調でなだめました。
「身体を冷やして安静にしていればじきに気がつきます。命に別状はありません」
 オーストリアさんはほっと息をつきました。よほど心配だったのでしょう。
 それで、と仲居さんは再び私に目を向けました。
「お客様をお部屋までお連れしたいんですが……あいにく男手は他のところに取られておりまして。いかがいたしましょう」
 つまり、私たち三人の誰かがハンガリーさんを部屋まで連れて行かないといけない、そういうことが言いたいようでした。
 言葉にしなくても分かります。私は、察する文化の日本ですから。
 もちろん、私には無理です。女性一人を運べるほどの腕力はもうありません。これでも二千年を生きた、立派な老体です。
 その上、腰痛もひどいんです。高血圧のせいで朝早く起きて、近所をウロウロしてしまうくらいです。ドイツさんにしごかれたこともあります(そういえばお二人の親戚ですね)。
 まあ、そういうわけで、他を当たりましょう。
 オーストリアさんは……ちょっと、無理そうです。指揮棒より重いものは持ったことがなさそうな方ですから。
 となれば、プロイセンさんでしょうか。そういえば以前、「力には自信がある」とおっしゃっていた気がします。そうですね、彼に頼みましょう。
「プロイ――」
「私が彼女を連れて行きます」
 オーストリアさんはきっぱり言うと、仲居さんを伴って脱衣所を出て行きました。意外な展開に驚いていると、日本、とプロイセンさんに呼ばれました。
「『ユカタ』ってのは、これで完成なのか? すげえゆるいんだな」
 え、とプロイセンさんを見ると、前が大きくはだけています。そういえば着付けの途中でした。あとは帯を締めるだけですが。
「すみません、すぐ終わります」
 苦しくないように帯を調節していると、プロイセンさんがぶつぶつつぶやいているのが聞こえました。
「奴で大丈夫かよ? 女一人運べる腕力なんてねえだろ」
 大っぴらには言えませんが、正直なところ、……同感です。
 男性をこのように表現するのは失礼かもしれませんが、オーストリアさんは華奢というか、線の細い方です。無理をして腰を痛めないかと不安です。腰痛の恐ろしさはよく知っていますから。
 ちょっと心配になってきました。様子をうかがった方がいいかもしれません。場合によってはプロイセンさんに代わっていただきましょう。
 手早く帯を締めて脱衣所を出ると、ちょうどオーストリアさんも女湯から出てきたところでした。
 顔が赤くぐったりした様子のハンガリーさんを、俗に言う「お姫様抱っこ」で抱えています。
 ちなみに、彼女は浴衣を着ていらっしゃいました。おそらく仲居さんが着せたのでしょう。「ちっ」とプロイセンさんが舌打ちした気がしましたが、追及はやめておきます。
 予想を裏切って、フラフラしたり動きづらそうだったりする様子はありません。こう見えても、割と腕力があるんですね。
「おい、大丈夫かよ」
「当たり前です。そんなことよりプロイセン、今布団を敷いてもらっていますから、貴方は氷のうや扇を借りて来なさい」
 きびきびと言って、オーストリアさんは部屋へと向かいました。その背中は大変に力強く、感動すら覚えるほどの気配がみなぎっていたのです。
 あれこそが「漢」なのだろうと、私の中の武士の魂が共鳴していました。くるりと振り返った横顔が大変勇ましく見えます。
「ところで」
「はい」
「私たちの部屋はどちらですか」

 その日の深夜、湿布をもらおうとして旅館内をさ迷う彼を見たことは、ソウルメイトとして黙っておきましょう。


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20000ヒット企画リクエスト「『妄想は掛流し』の男性陣視点」
09/12/08