海は流る
『八月×日 日曜日
<今日の予定>
ロヴィーナお嬢様、アントーニョ・フェルナンデス・カリエドと共に海水浴へ。
8:35 家を出発(予定より五分遅れ)
9:00 ビーチに到着』
「ごめん、お待たせ!」
最後に車に駆け寄ってきたのは、ルートヴィッヒの予想に違(たが)わず、フェリシアーナだった。肩に提げたバッグが揺れ、ビーチサンダルが涼しげな音を立てる。
今日は海水浴だ。ちなみにドライバーは、行きは彼、帰りがアントーニョになっている。
彼女はちらりと車内をうかがった。後部座席には、彼女の姉のロヴィーナと、その専属護衛のアントーニョが乗っている。
「また私がビリかあ」
言いながら助手席に回る。彼はドアをひらき、乗るように促した。すると、彼女は「あ!」となにかを思いついたらしい。
また「あれ」か。内心でつぶやいて身構える。
「えっと、ビリーは足が遅いからビリになりました!」
会心の一撃を放ったかのような、非常に満ち足りた表情だ。彼が反応に困っていると、それがカウンターになったようである。
「え、ダメ? たった今思いついたから、ネタはかぶってないと思ったんだけど」
彼女は何度か同じギャグを言うことがあった。前に一度、かなり迷いながらも指摘して以来、ネタかぶりを気にしているようだ。
そういう問題ではないのだと、それはさすがに言えなかった。
「お乗りください」
「ちぇ、今日もダメだった」
彼女はがっくりと肩を落とし、しょげた様子で車に乗る。ドアを閉め、運転席に乗りこむ。アクセルを踏みながら、頭の中は疑問であふれていた。
穴埋めの七日間のあと、指名によって再び専属になった。それはいいのだが、あれから毎朝会うたび、しょうもないダジャレやジョークを言ってくることには困惑させられた。
彼女がなにを思ってそんなことをしているのかさっぱり分からない。なにか意図があるようだが、聞いてもはぐらかされた。
彼女は謎に満ちた人物だ。適当なようで一貫していて、つじつまが合っているようで矛盾している。一緒にいればいるほど疑問が増えていく。
それすらもなじみはじめていることの自覚は、彼にはなかった。
夏休み、おまけに日曜日であるせいか、道路は混雑している。最初は静かにしていた彼女だったが、空とは違う青が視界に広がると一気にテンションを上げた。
「海だ海だ海だー! かき氷に、アイスに、ジュースに、それから」
彼女は子どものように大はしゃぎだ。前々から指折り数えて待っていたのだから、当たり前の反応かもしれない。
「お前、食うことしか頭にないのかよ。泳ぐのが第一だろ」
呆れた口調でロヴィーナがつっこみ、つーか腹壊すだろ、と付け足す。隣のアントーニョが水着について尋ね、頭突きをされていた。
そうこうしているうちにビーチに到着する。姉妹が着替えている間に、ルートヴィッヒとアントーニョはシートを広げパラソルを立てた。
今日も二人はスーツ姿であるため、周囲からはかなり浮いている。下手をすればヤのつく自営業の方々に見えかねない。
「プライベートビーチもええけど、普通のもええなあ」
今、なにやら聞き捨てならない単語を聞いた。
「プライベートビーチ、ですか」
聞き間違いだろうと尋ねたのだが、知らへんかったんや、と逆に驚かれてしまう。
「ま、今は別荘が改装中とかで、使えへんけど」
彼が浮き輪に息を吹きこみながら資本主義の功罪について考えていると、着替えの終わった二人がやってきた。
持ってて、と身体に巻いていたタオルを手渡される。何気なく彼女の方を見て、びくっとしてしまう。
胸と尻をストライプ模様(緑と白と赤)の布地がおおうだけで、あとは大胆に露出している。「ビキニ」の命名の由来が、今は痛感できた。
逆三角の布でおおわれた膨らみは大きめで形がよく、ウエストは可憐にくびれ、ヒップはハリがあって丸い。凹凸の差がまぶしい肢体だ。
「可愛い?」
「そう、です、ね」
気づかれないように目をそらした。競泳用の水着ですら直視できない彼に、今の彼女のあられもない姿を見ることなど、できるはずもない。
「そっか、よかった」
早く海に入ってほしいと切実に祈った。水の中に入れば水着は見えない。多くの女性が嘆く矛盾に、今は心底感謝する。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょうか」
「日焼け止め、背中に塗ってくれない? 自分じゃ届かなくって」
つまりそれは、『肌にさわれ』ということか。お安いご用……なわけがない。
「そ、それはロヴィーナ様にお頼みください」
「なんで?」
察しないのが彼女の美徳だ。とにかくそれを繰り返すと、不思議そうにしながらもうなずいた。
姉妹はきゃあきゃあ騒ぎながら日焼け止めをお互いに塗り合い、浮き輪を持って海に駆けて行く。
重労働を済ませたあとのように疲れて、彼はため息をついた。
「自分、ムッツリやなぁ」
にやにや笑いながらアントーニョが言う。この男は自分から日焼け止めを塗ることを申し出て、本日二度めの頭突きを食らっていた。
「違います」
「意識しすぎとちゃうん? もしかして童て……うわ痛い堪忍してやもう言わへんから!」
腕をねじられ、アントーニョは涙目になる。同じことは二度と言わないと誓わせて、手を離した。
「俺、先輩やのに」
ちくちくとした視線が突き刺さる。それを受け流し、しれっとした顔で答えた。
「『下剋上』という言葉はご存知ですか」
「お前、めちゃくちゃ出世するやろな」
「ありがとうございます」
二人が海に入ってそろそろ一時間になろうかというころ、フェリシアーナが一人で上がってきた。ロヴィーナはもう少し泳ぐらしい。
濡れた身体を、すぐにタオルで覆わせる。おかげで視線のやり場に困らずに済んだ。
「どうなさいましたか」
「トイレ。あと、ちょっと喉乾いた」
水筒を渡す。おいしそうに飲むと、彼女はタオルを肩にかけたままトイレに行った。
それから十分ほど経ったが、戻ってこない。トイレが混雑しているにしても長すぎる。道に迷ったのだろうか。
「どうなさったのでしょうか」
「もしかしたらナンパされとるんとちゃう? フェリちゃん美人やし」
それは容易に想像できた。休日、海、夏、この三拍子が揃って開放的な気分になる男は多い。ナンパに精を出し、あわよくば、の考えを持つ者もいる。
問題なのは、彼女に警戒心がまったくないことだ。なにか言われれば、ほいほいついて行くタイプである。
「探してきます。行き違いになりましたら、携帯で連絡してください」
「りょーかい」
*
「ねえ、君」
かなり混雑していたトイレを済ませて戻ろうとしたら、いきなり声をかけられた。振り返れば、水着の男の人が二人。
「なに?」
知らない人にはついていかない。すぐにそれが浮かんだ。いつもルーイに言われてることだ。
「俺たち港に行きたいんだけど、道知ってる?」
なんだ、道を聞きたいだけか。それなら大丈夫だよね。
「あっちをまっすぐ行って、それから左に曲がって」
指差しながら説明しても、なかなか分かってもらえなかった。そこは道が入り組んでいておまけに人気(ひとけ)もないから、言葉で説明するのは難しい。
「案内しようか?」
「マジ? 助かる。サンキュ」
お礼を言われると嬉しい。こっちだよ、と先に立って歩いた。ちょっと細い道に入っただけで人がいなくなる。表にはあんなにいるのに、不思議。
「こっちの生け垣を突っ切ったら早いよ」
またいで芝生に入ったら、いきなりタオルを引っぱられた。肩にかけていただけだから、あっさり取られてしまう。
どうしたんだろ、と振り返ると、二人はなぜかにやにやしていた。なんかヤな感じ。
「ねえ、タオル、返して」
「ほらよ」
丸めたのをボールみたいに投げられた。キャッチできなくて落としてしまう。拾おうとしてかがんだ、そのとき。
「お嬢様!」
ルーイの声が聞こえた。立ち上がって声の方向を探る。すぐに見つけた。場違いなスーツ姿だから目立つ。手を振ったら、ものすごい速さでやって来る。
「なにをしているのです」
「道案内。港まで連れてってほしいって」
二人を指差す。ルーイと目が合うとぎょっとした顔をした。見かけの割には怖くないのに。
「私も行きます」
「いいけど」
二人にも聞こうとしたら、もう道は分かったから大丈夫だと言われた。顔が青い。そのまま、走って行ってしまう。そっちは港じゃないのに、と思っていたら、本職かよ、と聞こえてきた。なんのこと?
深くため息をつかれた。どうしたのかなぁ。
「言っているでしょう。知らない人にはついていかないように、と」
「違うよ、私がついて来させてたんだよ?」
「それは誘導です。人通りのない場所へ連れて行くための」
「でも」
説明しなきゃ。あの人たちが悪いんじゃないって。だけど、ルーイは眉をつり上げた。
「もしものことがあれば社長がどれほどお悲しみになるか、考えたことはおありですか!」
初めて聞く怒鳴り声だった。
迫力にのまれてなにも言えなくなる。それに、爺ちゃんを悲しませるなんて、そんなことしたくない。
「あのままでは、お嬢様は乱暴されていました!」
「え」
言われてようやく気づいた。港に行くなら標識がある。それなのにわざわざ私に聞くなんて。今さらだけどぞっとする。
落ちていたタオルを拾うと、ルーイはそれを私の肩にかけた。あたたかいのに、なんだか寒い。
「お嬢様には自覚が足りません!」
「ごめんなさい」
謝るしかない。ルーイがいなきゃ、怖い目に遭ってた。
「ありがとう」
険しい顔つきが、すうっと消えた。いつもの顔に戻る。
「……分かればいいんです。二度としないでください」
ルーイはきびすを返して歩き出した。いつもより早足だ。
「約束する」
ぶらぶら揺れる手を握る。大きくてあたたかくて、やさしい。守ってくれてるんだって、実感した。どきどきする。
「ナイトは、こうでないと」
「……ふっ」
いきなりルーイは立ち止まって息をつめた。どうしたのかな。見上げると、口を押さえて肩を小刻みにふるわせていた。
もしかして、これって。
「ナイトは、こうでないと」
もう一度言うと、指のすきまから息を吐き出す。喉仏がぷるぷるしてる。
「笑った……」
ルーイが、ルーイが笑った!
「す、すみません」
「布団が吹っ飛んだ! このステッキ、素敵ー! 委員会に入っていいんかい!」
ここぞとばかりにギャグを連発した。鋼鉄の表情筋が崩壊して、最後には声を出して笑うくらいになっていた。
眉をぎゅっと寄せて、はにかむようにも泣き出しそうにも見えるくしゃくしゃの、ずっと知りたかった笑顔は、どんな想像よりも素敵でカッコいい。
「コーディネートはこうでねえと! 豚がぶった! シカにシカトされた!」
「お願いですからもうやめて下さい」
笑いすぎたせいか息も絶えだえだ。今カメラがあったら絶対撮ってたのに。せめて記憶のフィルムに焼きつけなきゃ。
「お嬢様が……ダジャレをおっしゃっていたのは……私を笑わせるためだったのですか」
ルーイは息を整えながら言った。私は大きくうなずく。
「そうだよー。だって笑った顔、見たことなかったから」
「言ってくださればよかったのに」
「やだよそんなの」
作り笑いなんて見たくない。心からのものが、なんだって一番綺麗に決まってる。
本当に、頑張ってよかった。うまくいってすごく嬉しい。ずっとずっと、忘れない。
……あれ、でも、フランシス兄ちゃんからボディーガードを変えたのはルーイの笑顔を見るためだったから、目的が果たせた今は、戻さなきゃいけないのかな。
そうしたら、ルーイと……離れることになる。
ぞっとした。想像だけでも耐えられない。そんなのやだ。ずっと一緒にいたいよ。また笑ったり守ったりしてほしい。
「戻りましょう」
「うん」
ルーイの手を、ぎゅっと握った。そうしないと、もう二度と会えなくなるような気がして、怖い。さっきまではすごく嬉しかったのに。
どうしてこんな気持ちを味わうんだろう。……分かんない。
「ねえ、また、笑ってくれる?」
ルーイは沈黙した。どうしよう、ダメなのかな。答えが来なくてはらはらする。
「面白いことがありましたら、おそらくは」
「じゃあ私、一生懸命ダジャレ探してくるね!」
すがる気持ちで、明るく言った。
願いは叶ったけれど、やっぱり私はルーイにそばにいてほしい。だから、フランシス兄ちゃんに戻すことは、多分もうない。
それは裏切りのようで、かすかに胸がちくりとした。
『8月X日 (日)
今日もロヴィはかわええ。もちろんフェリちゃんも。
今日はビーチに行った。二人とも水着がよう似合うとる。海の天使みたいやった。』
ルートヴィッヒがフェリシアーナを探しに行くのと入れ替わりに、ロヴィーナが戻ってきた。タオルを投げて渡しながら、アントーニョは彼女の水着姿を熱心に観察する。
妹は三角ビキニだったが、姉はタンキニである。露出が少なくても、身体のラインは分かる。というか想像してしまうのは男の悲しきサガであるので仕方ない。
小ぶりの胸から続く腰は、折れてしまいそうに細い。尻もきゅっと引き締まり、健康的な感じがする。スレンダーだが、色気のある体つきだ。
舐めるような視線に気づき、彼女はタオルを身体に巻きつけた。横目でにらむ。
「じろじろ見んな」
「せっかくロヴィのナイスバディを目に焼きつけようとしたのにー」
死ね、と言いながら頭をはたかれた。いつものやり取りだ。もはや挨拶にも近い。
「そんなことより喉乾いた。水」
「はいはい」
このお嬢様はいつでも高飛車だ。口に手を添えて「オーホッホッホ」とやれば実にさまになると思う。
だが、中身は案外弱くて人一倍寂しがりであることも知っている。強がりはその裏返しなのだろう。要領よく生きていけなさそうな、損な性格だ。
――だから俺が守るんや。
ずっと昔の約束を思い出しながら、水筒を取り出した。
「ほい」
「ん」
喉がしきりに上下する。よく飲むなあ、と最初は感心していたが、半分を過ぎたあたりではっと気づいた。
「ちょ、俺の分残しといてや」
鼻で笑われる。手渡された水筒は空っぽだった。肩を落とす彼の目の前で、どうだと言わんばかりの表情で彼女はゆっくり飲み干していく。まだ口にあるらしい。
「俺にも分けてや」
頬を手のひらで挟み、唇を重ねる。舌でこじ開け、甘いスポーツ飲料を吸う。相手は驚きで固まった様子だ。そのスキに全てを横取りして、ついでに口の中を味わった。
満足して顔を離すと、ロヴィーナの顔がみるみる内に真っ赤になった。口がわなわなとふるえている。
「て、めえ」
「ごちそうさん。なんやいつもよりうまかったわぁ」
素直な感想を言うと、ますます赤くなる。今にも血管が破れてしまいそうだ。
「このアホンダラ!」
胸に頭突きが叩きこまれる。今日で三度めや、そう思いながら受け止めた。痛い。
「お前に常識はねえのか! こんな、こんなに人が見てる前で、き、キスするとか、バッカじゃねえの……」
次第に口調が弱った。最後は手のひらに顔をうずめて動かなくなってしまう。隠し切れない耳が赤い。後悔も反省もしていないが謝る。
「ごめんてー。そんなに怒らんといてよ」
死ね、とくぐもった声。
「せや、なんか食いたいもんある?」
「私を食いモンで釣ろうたあ、いい度胸だな」
やぶへびだったか、とぎくりとする。彼の特技は、今にも壊れそうな橋を金づちで叩いて破壊することである。
「ただいまー」
明るい声が割りこんだ。ルートヴィッヒとフェリシアーナが戻ってきたのだ。しっかりと手をつないでいる。珍しいこともあるもんやな、と意外な気持ちだった。
顔を上げた彼女も、同じものを見たようだ。不機嫌そうに眉を寄せる。
そして、彼女は手元にあったビーチボールをつかむと、いきなりルートヴィッヒの顔面めがけて投げた。難なくキャッチされたが。
「バカ妹! に、ムキムキ野郎!」
立ち上がり、仁王立ちで二人に指をつきつける。立った弾みでタオルが落ちたが、気にする様子はない。
「うわっ、なに、姉ちゃん」
「私とアントーニョと勝負しろ! ビーチバレーするぞ!」
いきなりの宣戦布告に、二人はわけが分からなさそうな表情を浮かべる。当然だ。
「負けた方の護衛が、四人分の昼飯をおごること!」
勝敗のいかんに関わらず、自分は痛くもかゆくもない条件をさりげなく出すのは、さすがというかなんというか。むしろ得している。
「え、なんで急に」
フェリシアーナの疑問ももっともだ。だが、彼にはなんとなく想像がついた。
彼女は妹が護衛と仲よくするのが気に食わないのだ。普段は「バカ妹」と呼び、くっつかれるとうとましがる様子を見せるが、姉妹への愛着が強いのは実のところ彼女だろう。本人は無自覚だが。
「うるっせえ、断ったらお前の体重バラすからな!」
「そ、それはダメ! 分かったよ、勝負するからー」
こうなったらもう、付き合うしかないのだろう。スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイをゆるめ、彼は腕を回した。
もちろん、負ける気はない。
*
結果から言うと、勝った。
つーか、なんであのムキムキ野郎はフェリシアーナに目を向けないんだ。そりゃ負けるに決まってんだろ。まあ、勝てたからそんなのどうでもいいけど。
負けた足で奴に昼食を買わせるのはすごくいい気分だ。四人分の食事は持ち切れないだろうから、仕方なくアントーニョも同行させてやった。
そんなわけで、今はパラソルの下、妹とぼんやりしている。女の二人連れと見て声をかけてくるバカどもは蹴散らした。
「姉ちゃんの迫力すごいねー」
どうせ、ナンパしてくる奴らの目的は私じゃなくてフェリシアーナの方だ。
「お前は警戒心がなさすぎんだよ」
新しく買った三角ビキニは、バカ妹によく似合っている。胸はそれなりにあるから、私みたいにタンキニに逃げる必要がない。
ちくしょー、大きい胸はどうせ年取ったら垂れるだけだからいいんだよ! うらやましくなんかないからな! 妹のくせに!
「うん、ルーイにも同じこと言われた」
聞きたくもない名前にイラつく。顔に出たのか、フェリシアーナは首をかしげた。
「姉ちゃんはルーイが嫌いなの?」
直球な質問だな。少しはオブラートに包めよ。
「当たり前だろ」
「えー、なんでー?」
「なんで」って、そりゃあ……! ……それは、えっと。
「無愛想でムカつく」
とりあえず思いついたのを言った。考えてみればいつもしかめっ面だ。いつもヘラヘラ笑ってるアントーニョの爪の垢でも煎じて飲め。
「でも、今日、笑ったよ」
「はぁ!?」
嘘だろ。あの能面男が? つーかあいつに表情筋があったのかよ。世紀の大発見じゃねえか。
「あのね、実はね」
聞きたくもない話をまとめると。
変な奴らに襲われそうになったらヒーローよろしくアイツが登場、めちゃくちゃ叱られたあとで思わずギャグを言ったらツボって笑った。
なんだそれ。
「ってやっぱりお前、警戒心が足らねえじゃねえか!」
ほっぺをつかんで上下に動かす。くそ、マシュマロみたいにふにふにしてやがる。
「りぇ、りぇもヒューイが助けてくひぇたよ」
「バカ! それは運がよかったんだよ!」
でも無事でよかった。そこだけは認めてやってもいい。
手を離すと赤くなっていた。痛そうにさすっている。少しは反省しろ。
「ルーイの笑顔ってね、なんだか、すごくカッコいいの」
夢見るような、ぼんやりとした表情。まるで魂を奪われてしまったようだ。恍惚にほんのわずか混ざっている、哀しみのその理由は分からない。姉妹なのに。
面白くない。私の知らないフェリシアーナをあいつが知ってるなんて、気に食わない。
「……好きなのかよ、奴のこと」
「え」
表情がぶれて、しっかりとしたものになる。殴られて起こされたらこんな顔になるんだろうか。
戸惑うように数回まばたきする。ぎゅっと自分を抱きしめて、口をつぐんだ。
そんな様子を見ていたら、胸で苦さが弾けた。じわじわと心臓に染みて痛い。思わず鳩尾を押さえていた。
「分かんない、よ」
溺れた人間が空気を求めるような、苦しげな息遣いをしていた。泣き虫だからすぐに瞳がうるむ。
「私は、姉ちゃんもアントーニョ兄ちゃんも好きだもん。だけどルーイは、似てるけど違うの」
言い終わって、首を振る。ちくちくした毛先が首筋にはりついて、痛そうだと思った。
「ううん、同じ気もする。ねえ、この気持ちってなんなのかな」
多分私は、その答えを知っている。いつだって身近にある感情だからだ。特に、アイツの近くで。
言ってやれば楽になるんだろうか。それとも、苦しくなるだけなんだろうか。
私はフェリシアーナじゃないからよく分からない。一番の答えをあげたいのに、それができない。
「あのな――」
「お待たせー! 買うてきたでー!」
アントーニョの、お気楽にもほどがある声がその場の雰囲気をぶち壊す。
だけど、もう胸の苦しさはない。細く息を吐いて、頭を昼食のことに切り替えた。
昼食を食べてからまた一泳ぎして、さすがに疲れたから帰ることになった。炎天下で放置した車内の暑さには参った。
来るときからはしゃぎまくっていたバカ妹は、後部座席で奴にもたれて眠っている。奴は窓の外を見ているけど、目元が赤い。くそったれ。
「ロヴィも疲れたやろ? 寝た方がええんとちゃうん?」
帰りのドライバーはアントーニョだ。私はやっぱりこっちの運転の方が落ち着く。荒いけど。
「平気だ」
本当は結構体力を消耗していた。水の中だと楽なのに、上がったら急に身体が重くなる。助手席で睡魔と戦い続ける。
ルームミラーをにらみつける。ちょうどブレーキがかけられて、フェリシアーナの身体が前にかしいだ。奴が肩をつかんで引き寄せる。自分のスーツのジャケットをかけてやっていた。
「気になるん?」
後ろには聞こえないような大きさの声だった。珍しい気遣いだ。
「別に。あんなバカ妹」
「ロヴィはワガママやなぁ」
そんなこと分かってる。だけど、どうしても取られたくないんだから仕方ないだろ。
「俺がおるからええやん」
「うっせえ、黙ってろ」
「はいはい」
シートベルトに頭をあずける。じわじわとまぶたが重くなる。やっぱり睡魔には勝てない。
潮の香がどこからか流れこむ。海の水面(みなも)がオレンジに輝いてまぶしい。
続きへ⇒
↑20000ヒット企画に戻る
↑「Your Knight」目次に戻る
20000ヒット企画リクエスト「YKで独伊♀と西ロマ♀のその後」
09/09/06