学園祭にいらっしゃいませ!



「お帰りなさいませ、ご主人さま!」
 まずは、絶句した。
 聞いてはいたのだ。彼女――フェリシアーナから、「学祭で私のクラス、メイド喫茶やるんだよ」とは。そのときは軽く流したのだが。
 (実用性はほぼ皆無だと思われる)フリルまみれの服に、存在意義が疑わしいヘッドドレス(もちろんレースたっぷり)、そして短いスカートもさることながら、もはや定形句になりつつあるセリフがとどめを刺した。テレビで見るより破壊力がある。色々な意味で。
 隣にいたアントーニョが「うは」と小さくもらした。それが感嘆なのか困惑なのか判断できないくらい、彼の思考は衝撃で麻痺していた。
「お二人様ですか?」
 衝撃からようやく立ち直ってどうにかうなずくと、席に案内された。
 席と言っても、授業に使っている机と椅子にテーブルクロスをかけたものだ。学生に戻ったような感覚になる。
「最近の学祭って、俺らのころとはやっぱりちゃうんやなあ」
「そうですね……」
 心底同意だった。設備はありあわせのものだが、衣装が半端ではない。
 そういう趣味の者はたまらないだろう、と思っていると、ちゃんと心得ていて、撮影コーナーがあった。三百円で指名した女生徒とツーショット可能らしい。なんとも商魂たくましい。
「ロヴィとなら、俺、絶対撮影したんやけどなー」
 アントーニョは残念そうに言う。ロヴィーナは別のクラスなのだ。
「ロヴィーナお嬢様のクラスはなにを?」
「お化け屋敷やて。なんの役かは教えてくれへんかったわー」
「そうなんですか」
「残念やけど、逆によかったのかもしれへんなー。他の男とツーショットなんて嫌やん?」
 嫌だと、即座に思った。そして、自分の内側にあるそんな感情に驚いた。
 彼女の行動を制限する権限などない。そんなことは分かっている。
 だが、嫌なのだ。彼女が自分以外の男の隣に立って笑うさまを思い浮かべるだけで、心がさざめいて落ち着かなくなる。
「二人とも、来てくれたんだ!」
 弾んだ声とともに、話題の彼女がメニューを持って現れた。たっぷりのフリルとレースがこれ見よがしに揺れる。
 ミニスカートからハリのある脚のラインが惜しみなく伸びて、思わずそこに目が行く。男の悲しきサガである。はっと気づいて視線を上げたが、今度は大胆にえぐった胸元だ。なにやら頭が痛い。
「いらっ……じゃなくて、お帰りなさいませ、ご主人様!」
 「お嬢様」と呼ぶ人物から「ご主人様」と呼ばれる、このとてつもない倒錯感。ため息をつかずにはいられない。社長がこの場にいたらなんと言うだろう。
「この格好、可愛くない?」
 不安そうに彼を見つめる瞳は、普段より長いまつげに縁取られていた。少し化粧をしているらしい。口紅でぽってりとした唇がきゅ、と引き結ばれる。たまらなくやわらかそうだ。普段はない艶っぽさがにじんでいて、どきまぎしてしまう。
「いえ、それは……その」
「なに言うとるん! めちゃめちゃ可愛ええよ!」
 程度の差はあったが、大意としては同意だった。うなずくと、ぱっと顔を輝かせる。
「ありがとう!」
 あっという間に彼女は機嫌を直し、またニコニコする。見てみて、と言いながら一回転した。下着が見えるのではないか、ぎくりとしたが、そんなことはない。
「おっふぁーっ! かわえええええ!」
 アントーニョが奇声を上げる。店中の視線が集まった。一緒の席にいるだけで恥ずかしい。
「えへへ、ありがとう」
「せや、写真、俺と写ってぇな」
「あ……それはね」
 彼女はフリルに埋もれかけていたバッジをつまんだ。「通行止め」の道路標識のように、丸の中に斜線が引かれている。
「これをつけてる子は、『撮影お断り』なんだ」
 彼は息を詰め、吐き出した。心臓が素早く脈打つ。少し息が苦しかった。だが、気持ちは落ち着いて穏やかだ。
 安心したのだ。彼女が誰かと写ることがないことに。否定のしようがない。
「なんでなん?」
「うーん、えっと」
 なぜか彼女は彼の顔を見た。まばたきをしながら、なにかを求めている。不自然な間のあと、視線をまたアントーニョに戻す。
「……ナイショ」
「えー!」
「ごめんね」
 そうは言うものの、顔は笑っている。アントーニョも無理に聞き出すことはしなかった。
「そうだ、注文は? はい、メニュー」
 品書きにさっと目を通す。写真も載っていたが、カレーのライスがご丁寧にハートになっていた。注文する者はいるのかと辺りを見れば、結構いた。
 結局彼はざるそばを選んだが、アントーニョは例のカレーを選んだ。「お祭りやし」と言うが、多分、そうでなくても注文したに違いない。
「しばらくお待ちくださいませ」
 オーダーを取って、彼女は席を離れていく。正直、ほっとした。あの格好でずっと近くにいられると、目のやり場に悩んでしまう。
「エラい服やったなぁ」
「そうですね」
「服が変わると印象も変わるなぁ」
「そうですね」
「誰にも見せたくないやろ?」
「そうですね……って、いえ、今のは!」
 さらっと言ってしまった。慌てて否定したが、しっかり聞いていたアントーニョはニヤニヤしている。
「よかったなぁ、フェリちゃんは撮影お断りで」
「……」
 口をひらけば余計に墓穴を掘りそうで、彼はお冷やをぐっと飲んだ。ニヤニヤ顔を見るのはシャクで、視線をよそにやる。隣の席に座っている女性に見覚えがあった。
 薄めの金色の髪に、紫の瞳。……思い出した、保健室の養護教諭だ。名はティナといったか。向かい側に座るジャージの男性は体育教師だ。ゴツい身体で、窮屈そうに席に収まっている。耳が赤い。
「みっだぐね……」
「大丈夫ですよー。ベールヴァルド先生はこのクラスの副担任なんですから、もっと堂々としてていいくらいですって。ほら、みんな可愛い格好じゃないですか」
 体育教師は養護教諭を見つめ、なにか言おうとするように口をひらいた。だが、再び閉ざしてしまう。
「な、なんですか?」
 そういえば以前会ったとき、彼女は仲よくしているのかと聞いていた。なるほど、こういうことだったのか。
 まだ注文したものが来る様子はない。お冷やも飲み干してしまった。お代わりを頼もうと辺りを見回す。
 前髪が一房垂れ下がって、眼鏡をかけている女生徒が目についた。メイド服が似合わなさすぎて、逆に似合っている。撮影お断りのバッジが胸にあった。
「や、やめてください」
 ジャラジャラとアクセサリーをつけた男二人が取り囲んでいた。嫌がっているのに、撮影を迫っている。
「一枚くらい、いいじゃねえか」
「減るモンじゃねえんだからよー」
「で、でも、写真はちょっと……」
「いいから」
 他の生徒は仕事に忙しいのか、誰もやって来ない。少女は助けを求めるように視線をさまよわせる。
 彼以外で事態に気づいたのは養護教諭だった。すっと立ち上がると、つかつかと近づいていき、少女の腕を引く。
 そして自分の背後にかばうと、小さな身体で胸を張った。
「やめてください」
「お前は関係ねぇだろ、すっこんでろ」
 男に肩を押されてよろめいたが、その場に足を踏ん張り、動こうとしない。
「お引き取りください」
「うっせえんだよ、ブスが!」
 男が腕を振り上げる。ブレスレットが鳴った。二人はおびえるように身を固くする。
「……けぇれ」
 しかしその拳を受け止めたのは、いつの間にかやって来ていた体育教師だった。ガタイがよく身長も高いので、威圧感が半端ではない。
 男たちは顔を引きつらせた。そのころには店内の誰もが騒ぎに気づき、白い目を向けている。そこで退けばいいものを、むしろ意地になってしまったらしく、何事かをぎゃあぎゃあ言いはじめた。
「先輩、ちょっといいですか」
 アントーニョはうなずく。二人で席を立ち、男たちの腕をねじり上げた。
「な、なにしやがる」
「これくらいで痛いん? 俺、本気出してへんけど。出す?」
 いつもの表情で、物騒なセリフを吐く。本人は脅しているつもりはないだろう。だからこそ厄介だ。
「くそったれ!」
 力をゆるめてやると、捨てゼリフを残して逃げ出した。
「ありがとうございます」
「あの……私のせいで、すみません」
 養護教諭と少女が頭を下げる。大したことはしていない、と首を振った。
「って、ベールヴァルド先生、血が出てるじゃないですかぁ!」
 体育教師のひたいからは血が流れて、ジャージに染みこんでいた。殴られたときのケガだろう。
「さすけね」
「なに言ってるんですか! 大ごとですよ! ああっ、ちょ、ちょっと動かないでくださいね!」
 養護教諭はポケットからハンカチを取り出した。そして背伸びをして、ためらいなく傷口に当てる。いつの間にか涙目になっていた。
「すまねえなぃ」
「とにかく保健室行きますよ! ほら、早く!」
 二人が出ていくのをなんとなく見ていると、肩を叩かれた。振り返ると、彼女が見上げている。
「ルーイ、料理、持ってきたよ」
「ああ、はい」
 二人で席に戻り、食事を摂っていると、彼女が空いた椅子に座った。当番の交代で、今は休憩になったそうだ。
「着替えへんの?」
「うん、クラスの宣伝になるから。それに、お祭りじゃなきゃ着て歩けないもん」
 それはそうだろう。こんな格好を、あの社長が許すわけがない。
「この後どうするの?」
「俺はロヴィのクラスに行く予定や」
「ルーイは?」
「私は車で待機しているつもりです」
 すると彼女は大げさに目を丸くする。
「えっ、せっかくの学祭なのに、そんなのもったいないよ!」
「ですが」
「なんにも予定がないなら、私と一緒にあちこち見て回ろ? 案内するよ」
 少し迷ってうなずくと、彼女は「やった」と笑った。

 予想通りというか、彼女は目立ちまくっていた。通りがかる人々がちらちらと見ていく。隣にいるだけなのに、やけに恥ずかしい。
「お嬢様、寒くはありませんか」
「うん、ちょっとね」
 今は初秋、少しずつ寒くなっていく時期だ。半そでミニスカおまけに露出度高しとくれば、寒いのは当然だ。
「着てください」
 スーツのジャケットを脱いで渡す。彼女は受け取ろうとしたようだが、ふと手を止めた。
 どうしたのかと様子をうかがえば、ぼんやりした表情でジャケットを見ていた。ためらうように、手をさまよわせる。
 最近、こういうことが増えていた。以前なら当たり前にしていたことを、いつからかためらうようになったのだ。
 嫌われたのだろうか。だがそんな覚えはない。理由が知りたくてたまらないが、口に出せずにいる。少しばかり、返事を聞くのが怖い。こんなに自分は臆病だっただろうか。
「風邪をひきますよ」
「ん、そうだね」
 ようやく彼女は受け取った。わたわたと着る様子に色々な意味でほっとしてしまう。
「おっきい」
 小さくつぶやいて、彼女は余ったそでを折りたたんだ。そで口を顔に寄せると笑う。
「ルーイの香りがする」
 当たり前なのだが、なにやら卑猥に聞こえてしまうなど、どうかしている。
「それじゃ、どこ行く?」
「私はよく分からないので、お嬢様の行きたいところで構いません」
「じゃあ、スタンプラリーやろうよ」
 説明によれば、出し物ごとにスタンプがあり、集めた数によって景品がもらえるそうだ。全部集めた先着三名は、ゴミ袋いっぱいのお菓子(中身はゴミではない)がもらえる。
「一人じゃ食べきれないから、ルーイにも分けてあげる」
「……虫歯にはお気をつけください」
「分かってるって。さ、行こ」
 人ごみの中を彼女が進み、そのあとを追った。見逃すことはないが、人の流れで引き離されてしまう。立ち止まった彼女に追いつくのにも時間がかかった。
「すごい人出だねー」
「そうですね」
「はぐれないようにしなきゃ」
「では、つかまってください」
 彼女は手を取らず、シャツのそでをつかんだ。うつむいて彼の顔を見ない。
「こっちで、いい」
 ふいに、彼女の手を握ってみたい衝動に襲われる。
 どんな顔をするだろう。突っぱねられるのだろうか。……分からない。分かっていれば、そもそもこんな気持ちになどならない。
「さっき、ベールヴァルド先生とティナ先生見てて、思ったんだ」
 再び人ごみの中を進む。流れに揉まれても、指はシャツをしっかりつかんでいる。意外なほどの強さに導かれる。
「『私とルーイみたい』って」
 彼女は顔だけ振り返り、はにかんだ。
「いつもありがと」
 出し抜けに礼を言われて困惑してしまう。なんとも言えずにいると、だって、とポニーテールを揺らす。
「ルーイだって、あんな風に私を守ってくれるから」
「ええ……まあ」
「それって、スッゴく嬉しいことだよね? だから、ありがとう、って」
 「あの二人の間にあるものと、貴方と私の間にあるものは違います」、そんな野暮なセリフが口から出かけた。
 前者が例えば恋や愛と呼ばれるものなら、彼らの場合は極論してしまえば金銭だ。信頼でもなんでもなく、仕事なのだ。
 そうやってドライに処理しようとした。だが、どこからか反発心が芽生えて妨害する。
 金だけが二人をつないでいるのなら、どうして離れたあともずっと彼女を忘れられずにいたのだ。それは本当に、金銭への執着だけだっただろうか。
 ……違う。金などなくてもよかった。ただ、危なっかしくてうっかり屋な彼女の隣にありたかった。自らの手でなにもかもから守りたかった――
「ルーイ?」
 名を呼ばれ、はっと我に返る。さっきまでぐるぐると考えていたことは綺麗に消えていた。
「どうしたの、怖い顔して」
「……いえ、なんでもありません」
「そう? まぁいいや。あのね、ここのクラスの映画が面白いらしくて」
 楽しげに彼女が話す内容は、あまり頭に入って来なかった。


 映画、迷路、クイズ、ゲーム、科学実験、合唱、劇、朗読、漫才、ファッションショー、ダンス、……。
 彼女と回った出し物は、もう正確に思い出せない。
「その人、彼氏?」
「ううん。ルーイは彼氏じゃなくてボディーガードだよ」
 彼女の知り合いに恋人だと間違われた回数も、同様に分からない。最初は赤くなっていたが、もう慣れた。否定するセリフも定形文だ。
「恋人みたいに、見えるのかな?」
 彼女の口調は普段どおりだが、口の端はいびつに引きつっている。笑うようでもあり、「へ」の字にするようでもある。はにかむのにしてはこわばっていた。
「違うと思います」
 恋人になった自分と彼女は、うまく想像できなかった。他人からはどう見えるかなど、なおさらだ。
「……そっか」
 そでがいっそうきつく握られる。なにかを訴えるように。
 汲み取ろうとまばたくと、あのこわばりを消して、彼女は嬉しそうにスタンプカードを見せてきた。
「見て、こんなに集まったよ!」
 カードはその半分近くが埋まっている。行った覚えのないものまであった。
「次はどこにする?」
 意気ごんだ彼女に答えようとしたとき、さえぎるように校内放送が流れた。今日の展示はもう少しで終わるらしい。
「じゃあこれから行くのが最後かー」
 彼女は考えこんだ。展示案内のパンフレットをせわしなくめくる。
「すぐに見れて、ここから近くて、まだ見てない……あっ、あった!」
「なんですか」
「保健室。『妊婦スーツDEどっこいもっさい!』だって」
「……そうですか」
 そのネーミングセンスはどうなんだと思わなくもないが、黙っていた。特にコメントしないということは、おそらく、普通のこととして浸透しているのだ。
 終了時間が近いこともあってか、人ごみはまばらだ。だが、彼女は手を放そうとしない。そでは握りしめた形でしわになっているだろう。
「明日も一緒に回ろうね」
 依頼でなく、断定の口調だった。隣にいて一緒に行動するのが当たり前だと思っているのだ。
 その考えに間違いはない。ないのだが、なんとも言えない気持ちになった。
「調理部がパーラーやってるから、クレープ焼いてあげる」
「はい」
「楽しみにしてて」
 会話をしているうちに、保健室に到着していた。彼女がドアを開ける。
「こーんにっち……は」
 明るい声は尻すぼみになった。驚いた様子で中を見ている。
 無理もないことだった。妊婦スーツを着た養護教諭が激しく泣き、ふるえる背を体育教師がさすっているのだから。異様な光景である。
「ティナ先生?」
 おずおずと彼女が声をかける。養護教諭は彼らにようやく気づいたという顔をして、涙をぬぐった。
「いらっしゃい」
 鼻声で言い、ティッシュで鼻をかんだ。体育教師の手を借りて妊婦スーツを脱ぐ。教室の件を思い出してひたいに目をやると、ちゃんとばんそうこうが貼られていた。
「どうしたの?」
「大丈夫ですよー、泣けちゃう話を聞いただけですから」
 照れくさそうに笑い、赤くなった鼻をこする。
「妊婦スーツ、着けてってくださいね。……ベールヴァルド先生、手伝いをお願いします」
「ん」
 体育教師はうなずき、いかにも重そうな砂袋、ではなく、妊婦スーツを持った。てきぱきと装着させていく。なんとなく見ていると、そうだ、と明るい声。
「ボディーガードさんも着けますか? 貴重な経験ができますよー。奥さんに子どもができたとき、思い出していたわってあげられますし」
「え」
 あっけに取られてしまう。どこからなにについて言及すべきだろうか。
「る、ルーイが妊婦スーツって……!」
 彼女が吹き出した。聞いていたらしい。むっとして、硬い声がでた。
「着けません」
「えーなんでー? 体験しちゃいなよー」
「いやです」
 フランシスやアントーニョに知れたら、いつまでもからかわれ続けるに決まっている。断固としてつっぱねた。興味はあったが、羞恥が勝る。
「できたど」
「はーい。……うわ、重い!」
 見て分かる。重そうだ。異様に強調された胸と腹部のせいで前のめりになっている。バランスを取るために背中をそらすと、「こうやって腰を痛める妊婦さんが多いんですよー」と納得の解説。
「で、これがマタニティウェアですー。今はそうでもないんですけど、着けるとそれっぽくなりますよー」
 その通りだった。服で隠すと、体型は本物の妊婦だ。顔は十六歳のままなので、アンバランスにもほどがあるが、鏡を見て彼女ははしゃいでいる。
「ルーイ、写真撮って!」
 携帯を渡され、撮ろうとしたとき、手から抜き取られた。体育教師が携帯を持ち、彼女を指差している。撮ってやるから一緒に写れということだろう。
 まるで俺が妊娠させたみたいだ。そう思いながら隣に立った。ピローン、と気の抜ける音が鳴る。
「ベールヴァルド先生、ありがとー」
「ん」
 携帯を受け取って、彼女は「そうだ」と声を上げた。なにかと思っていると、楽しそうな顔で彼に振り返る。
「認知して、アナタの子よ!」
 やると思った。
「あの夜のことを忘れたとは言わせないわ!」
「お嬢様……」
 昼ドラの見すぎではないだろうか。適当にかわすと、頬をふくらませた。
「つれないなあ。予行練習だと思えばいいじゃん」
 一体どんな練習だ。
 それは、まあ、確かに、女性経験がないとは言わないが、もうずっと昔の話であり……いやいや、そういう問題ではない。養護教諭と体育教師は我関せずといった様子だ。
「もっかいいくよー?」
 もう充分です。そう言いかけたそのとき、保健室のドアを開けて誰かが入ってきた。
「先生、スタンプ押したってーな!」
「なんでお前がスタンプラリーに夢中になってんだよ」
 見覚えのありすぎる顔に、マズい、と思ったが遅い。
「ひどいわルーイ、私のことは遊びだったのね! 私のお腹の中には貴方との子どもがいるのにっ!」
「へ?」「……え?」
 この状況にいたるまでの経緯を知らないアントーニョとロヴィーナが目を丸くした。二人に気づき、彼女はのんきに笑いかけた。だが、様子がおかしいので首をかしげる。
「あれ、どうしたの、二人とも」
「……ルートヴィッヒ、てめえ!」
 ロヴィーナが彼のネクタイをつかんだ。ぎらぎらと険しい目で見上げてくる。
「よくもいたいけなフェリシアーナをもてあそんだな!」
 どうしてこう、この姉妹は単純なのだろうか。
「違います」
「あぁ!? しらばっくれてんじゃねえぞ! あの腹はなんだ!」
 妊婦スーツである。
「まあまあ。ルートヴィッヒのことやから、ちゃんと責任取ってくれるで、安心し」
 訂正。単純なのは、姉のボディーガードを含めた三人だ。
 さすがの彼女も、自分の発言が問題になっていることに気づいたらしい。腹を揺らしながら姉をなだめる。
「姉ちゃん、誤解だよー。ただのおふざけだから」
「おふざけで妹を妊娠させられてたまるか! ちょっと体育館裏に来い!」
 頭に血がのぼったロヴィーナは全てを誤解していく。多分、もうしばらくこの騒ぎは続くのだろう。
 痛み出したこめかみを持て余し、彼は大きくため息をついた。


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20000ヒット企画リクエスト「YKで独伊♀+典芬♀」
09/10/20