No.077
「誕生日おめでとう!」
社長はそう叫ぶと、十七歳になった二人の孫を引き寄せ、頬ずりをした。フェリシアーナはいつにも増して笑顔になり、ロヴィーナでさえいつもの仏頂面をゆるめる。
「ヒゲがじょりじょりするよー」
楽しげにフェリシアーナが言うと、社長は「悪い悪い」と言いながら顔を離す。だが愛でるのをやめるつもりは毛頭ないようで、さかんに頭をなでては目じりを下げる。
祖父と孫二人のスキンシップを見ていたルートヴィッヒの隣で、アントーニョが「ええなぁ」とつぶやいた。なんのことかわからず視線を向けると、苦笑いして見せる。
「俺が同じことしたら頭突きされるやろな、って」
「でしょうね」
彼の目には、社長とアントーニョの接し方には差がないように見えた。だがロヴィーナは、社長相手だと恥ずかしがりはするが頭突きまではしない。肉親なので許せるのだろう。
「妬(や)けるわー。そう思わん?」
「いえ、別に」
相手は祖父である社長だ。少々スキンシップが過剰だとしても仕方ない。
「ふぅん。ほんなら、俺がフェリちゃんにああいう風にしてもええんや?」
「……お好きにどうぞ」
彼女が誰と抱き合おうと、付き合おうと、キスをしようと、関係を持とうと、悪意を持って危害を加える相手ではない限り、彼女の交際について口を挟む権利はない。
――俺はただのボディーガードだ。
心が、膜におおわれる。
「俺からのプレゼントだ」
「わぁ、やった!」
社長がブリーフケースから二つの箱を取り出し、姉妹に渡す。二人は興味津々の表情で包装紙をはがした。出てきたベルベット張りの長方形の箱には、腕時計が入っていた。
「二人とも十七歳だからな。いいモンを持っとけ」
「ありがとう、爺ちゃん! 大事にするね!」
「ありがとう」
二人の時計はよく似たデザインながらも少し違うらしい。名前の刻印が入っているそうだ。
「でも、そしたら結婚したときどうなるの? 苗字変わっちゃうよね?」
何気ないつぶやきは、社長限定で驚異的な威力を秘めていた。豪快に笑っていた顔がみるみるうちに曇り、豪雨に似た滂沱(ぼうだ)の涙を流しはじめる。
驚く二人を抱きすくめて、社長は叫んだ。
「お前ら二人は嫁にやらん! いつまでも俺のところにいろー!」
「で、でもほら、ひ孫の顔が見られるから」
ロヴィーナがなだめると、神妙な顔でうなる。
「ひ孫の顔は見たい。でも嫁にはやりたくない」
フェリシアーナはおいおいと泣く祖父の背をなでる。
「安心してよ、私はまだお嫁に行く予定はないから。姉ちゃんはわかんないけど」
「おい、フェリシアーナ!」
「それはどういう意味だー!?」
一瞬にして涙を乾かしエキサイトする社長のいかった肩を、後ろからある人物がつかんだ。うるさそうに振り返った顔がぎょっとしたものに変わる。
「お久しぶりです、お嬢様方。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。専務さん、お久しぶりー」
その男は会社の専務だった。社長が会社を興す前からの相棒である。肩をおおう長さの金髪にはちらほらと白いものが混じっているが、体格は社長にも引けをとらない。
力関係も同じことを証明するように、きつい目つきでにらみつける。
「社長室にいないと思ったらここにいたんだな」
「くそ、なんでバレたんだ」
ふん、と専務は鼻を鳴らした。
「孫の誕生日をカウントダウンするメモがあったら誰でもわかる」
「ぬかった……!」
歯噛みする社長を専務が引きずっていく。姉妹は苦笑まじりに祖父を見送った。
パーティーの主役である二人の周りには、招待客が引きも切らず集まっている。学校のクラスメイトや習い事の先生など、何回か見たことのある顔ばかりだ。
「お誕生日おめでとうだしー」
「フェリ、来てくれたんだ。ありがと」
「当たり前だしー。小学生のときから祝ってやってんだから」
フェリクスはプレゼントを渡すと、いそいそと料理を食べに行ってしまう。苦笑する間もなく、新たな客が訪れた。
「誕生日おめでとう、フェリちゃん」
「お招きくださりありがとうございます」
きっちりとスーツに身を固めた男性と、セミフォーマル風のワンピースを着た女性が礼儀正しくあいさつする。ピアノ教室の二人だ。
「ようこそお越しくださいました」
スカートのすそをつまんでよそいきの顔で返事をした彼女は、エリザベータと顔を見合わせると、照れたように笑った。
「はい、プレゼント。集中力を高める音楽と、リラックスできるものにしたわ。勉強中とそのあとに聞いてね」
「ありがとう。がんばるね」
如才なく客の相手をする彼女をぼんやり見ていたが、フランシスとその妻ジャンヌの姿が目に入った。向こうも気づいたらしく、腕を軽く上げ、こちらへやってくる。
「よお」
「お久しぶりです」
もうすぐ一歳になる子どもも一緒だろうかとあたりを探したが、それらしい姿はない。訊ねると、今日は預けてきたそうだ。
「たまには夫婦水入らずで、な」
「もう、フランシス」
ずいぶんお熱い夫婦である。いちゃつくなら彼女の前でやってほしい。きっと喜ぶだろう。
「フェリシアーナと仲よくやってるか?」
なにをもって「仲よく」と言うのかはわからないが、喧嘩をしたり憎み合ったりはしていない。とりあえずそう答えると、相変わらずだと笑われた。
「ルーイ!」
話を終えた彼女が手を振りながらこちらへやって来る。「充分仲よしじゃねえか」とおかしそうにされた。
「あっ、フランシス兄ちゃんにジャンヌさん。来てくれてありがとう!」
「こちらこそ、お招きにあずかり光栄です」
フランシスはおどけた様子で礼をした。女性二人はくすくすと笑う。やはり子どもの話になり、しばらく盛り上がった。
「そうそう、はい、プレゼント」
フランシスは近くのテーブルに置いていた包みを彼女に渡した。腕に抱えるほどの大きさだ。
「ありがとう。なにが入ってるの?」
「バッグよ。お出かけのときに使って」
「うん」
ファッション関係は女性の共通項なので、話が盛り上がる。男二人はついていけずにいた。
「十七歳かー。なにしても楽しい年ごろだよな」
「そうですね」
かつて彼が十七歳だったときも、やはり似たようなものだったはずだ。一日はあくまで一年のぶつ切りで、先につながるものではないと思っていた。
むしろ一日ごとに未来は確定されているとも知らずに。
「おい、バカ妹」
ロヴィーナがジャンヌとフェリシアーナの会話に割りこむ。仏頂面で手のひらサイズの紙袋をぬっと突き出した。
「私からのプレゼントだ」
彼女は目をしばたく。ロヴィーナの顔は少しずつ赤くなっていった。
「いらないならいい」
「ほしいほしい! ありがとう!」
じゃれるようにして紙袋を受け取ると、彼女は自分のバッグを探った。ラッピングされた箱を取り出し、手渡す。
「私からも、姉ちゃんにプレゼント。お誕生日おめでとう。これからも一緒にいてね」
「よかったやん、ロヴィ」
後ろにいたアントーニョがのんきに言う。「うるさい」と肘鉄砲を食らわせたが、ロヴィーナは大事そうに、小箱を胸に押しいだいた。
「開けてもいい?」
「好きにしろ」
「私のも開けてみて」
照れたようにうなずきながら、ロヴィーナも箱を開ける。それぞれの贈ったものを目にすると、二人は顔を見合わせた。
フェリシアーナは口元をほころばせる。そして、姉に抱きついた。
「姉ちゃん大好き!」
「馬鹿、やめろ、恥ずかしい!」
あわてるロヴィーナにかまうどころか、頬にキスまでした。
なにを選んだのかは、買い物に付き合わされたので知っている。だが、彼女が手にしているのは、贈ったものと同じペンダントだった。
「さすが双子やねぇ」
アントーニョが感心したように言う。つまり、この姉妹は同じものをプレゼントに選んだのだ。とんでもないシンクロぶりである。
「ルーイ、着けてー」
「わかりました」
真っ白なうなじが目の前に迫る。ほつれ髪すら計算されたように綺麗だ。どぎまぎして息を殺しながら、慣れない手つきで、何回か失敗を重ねた末にようやく金具を留めた。ロヴィーナもアントーニョの手を借りている。
「姉ちゃんとお揃いだー」
にこやかな妹と対照的に、姉はぷいとよそを向いた。
「絶対外に着けていかねぇ……」
「えー?」
姉妹のやりとりをにまにましながら見ていたアントーニョだったが、フランシスに気づくとひらひら手を振った。
「お前も来とったんかー」
「そりゃあ、『元』がつくけど、俺だってフェリシアーナのボディーガードだったわけだし。なぁ、ルートヴィッヒ?」
そうですね、と気がない声で返事をした。嫌味や当てつけではなく、からかわれているだけだとわかっているが、どちらにせよ愉快な気持ちにはなれない。
「それにしても、ロヴィはかわええと思わん?」
デレデレしながらアントーニョが言うと、ジャンヌが小さく吹き出した。相変わらずなのね、と言うのは、見舞いに行ったときのはしゃぎぶりを覚えているからだろう。
「もー、ホンマかわええんやで。フェリちゃんのプレゼント選ぶん、むっちゃなや――」
「プライバシー保護法!」
ロヴィーナがそんなことを叫びながらアントーニョの後頭部を殴る。
「てめえ、その口の軽さ直さねぇと、マジでクビにすっかんな!」
「姉ちゃん、落ち着いてよー」
「これが落ち着いていられっか!」
後頭部をさすり、唇をとがらせながら当の本人のアントーニョは悪びれもせず言う。
「ひどいなぁ。せっかくプレゼント考えてきたのに」
「え」
ロヴィーナは目を丸くし、再び赤くなった。よかったねー、とフェリシアーナが言うと、別に、と怒ったように答える。わかりやすい照れ隠しだった。
「なににしたの?」
「秘密や。やっぱり誕生日プレゼントはサプライズに限るやろ」
「……言ってる時点でサプライズじゃねぇよ」
そういえば、とフランシス。
「ルートヴィッヒはなにをくれたんだ?」
「まだもらってない」
十の目が彼に集まる。たじろいだあと、苦い気分で言った。
「用意していません」
フランシスがあきれたように舌打ちする。
「マジかよ」
事実だった。
もちろん彼とてプレゼントを贈るつもりでいたが、なにを選べばいいのかさっぱりわからなかったのだ。直接訊ねることもできず、当日まで悩んだ末、結局なにも用意できなかった。
「すみません」
「いいんだよー、気にしないで」
彼女は顔の前で手を振った。がっかりした様子はないので、それが本心だろう。彼女はうそがつけない。すぐに表情でわかってしまう。
気に病むことはないはずなのに、しこりがうまれて、胸につかえた。
「またなー、明日学校で」
「うん、バイバイ」
誕生日パーティーが終わり、彼女の友人を送り届ける。真冬はもう通り越し、あたたかくなってきた季節であるため、日の入りも遅くなってきている。だが、あたりはもう真っ暗だ。あとは彼女を自宅に送れば、今日の任務は完了だ。
「毎日誕生日だったらいいのに」
その明るさが鼓動を乱す。ちらりと時計を見た。日付が変わるまではあと数時間ある。
「お時間をいただけますか」
「いいけど、なんで?」
息を吸いこんで、吐き出す勢いのまま言った。
「プレゼントを買いに行きましょう」
「えっ、今から!?」
驚く声が車内に響き渡る。
「プレゼントのことなら、気にしなくていいんだよー。祝ってくれる気持ちがあるだけで充分うれしいから。本当だよ」
彼女の言いたいことや、それが偽りはないこともわかっている。だが。
――俺がやりきれない。
きっと、いや、必ず後悔する。今でさえ、罪悪感が心の底で焦げついている。だから、少しでも納得できることをしたい。自分の大胆さに、我ながらびっくりはしているが。
「いいの?」
いいのか、と自問する。これは、お前が忌みきらうことではないのか、と。
彼女がどうしてもほしがっているのならともかく、気持ちだけで充分だと言っているのに、自分の感情を優先しようとしている。これがただのボディーガードの行為だろうか。
気持ちがぐらつく。
近づいてきたのは彼女の方だった。最初こそ困惑していたものの、次第に慣れ、とうとう受け入れてしまった。そして今は、自ら彼女に近づこうとしている。
他人を近づけない。そして他人に近づかない。そのルールは一体どこへ行ってしまった。
「本当に、いいの?」
彼女が念を押すように、質問を繰り返す。
「はい」
今日だけだ、と自分に言いわけする。今日は誕生日だ。特別な日なのだから、例外が認められてもいいはずだ。明日からは、また、いつものように戻ればいい。この先ずっと自分を裏切り続けていくわけではない。
禁じ手を使ってしまったことは、わかっている。
「ほしいものはありますか」
「えっと、あのね」
ルームミラー越しに、彼女が考えこむのが見えた。数十秒悩み、困り顔で言う。
「ルーイからなにをもらいたいのか、よく、わからないや」
「ゆっくりお考えください」
突然言われて困惑するのは当然だ。決まるまで待とうと、適当な場所で停車した。しかし、そのまま数分が経ち、だんだん心もとなくなってきた。それに、自分の言い出したことで相手を悩ませるのは気まずい。
弱気が、ちらりと顔を出す。愚行をあざ笑い、さっさと車を出して彼女を車で家まで送ってしまえと耳打ちする。
――プレゼントなら明日でもいい。来年だってある。今日にこだわることはない。
静寂を破って、にぎやかなメロディーが流れた。フェリシアーナの携帯の着メロだ。
「はい、もしもし。……姉ちゃん。どうしたの」
内容まではわからないが、電話の声がかすかに聞こえる。やりとりは短く、数分もしない内に用件は済んだようだ。
「姉ちゃんとアントーニョ兄ちゃんは寄り道してくんだって」
「そうですか」
パーティー会場で話したとき、アントーニョはプレゼントを考えたと言っていたが、一体どうしたというのだろう。
「あっ、そっか!」
なにごとかと思っていると、彼女はスーツのそでをつかんで彼を引き寄せる。至近距離にある瞳がきらきらと輝く。どうやら、ほしいものは決まったようだ。
「ケータイのアドレス教えてよ!」
「知ってどうするのですか」
つい、とがめるような口調になった。だが、今の彼女はそれに気づかないほど、自分の思いつきに興奮しているようだ。
「『どうする』って、電話したりメールしたりする他になにかあるの?」
「それは、そうですが」
彼女がほしがるのならば、なんでも贈るつもりだった。だが、物質ではなくつながりを要求されるなど予想外だ。そのせいか、抵抗を感じてしまう。
彼女との関係を思い切ることのできない自分がうっとうしい。どれくらいの距離感を保ちたいのか、自分でもよくわからなくなる。
「毎日顔を合わせていますから、必要ないのでは?」
「そんなことないよ。緊急の連絡とか、用はないけど声が聞きたいときってあるじゃない」
「ですが」
渋る気配が伝わったのか、しゅんとうなだれた。スーツをつかむ指先がやけに白く細い。
「お願い」
ごり押しされるなら、簡単に断れた。だが、憐れみを誘うような頼み方には弱い。すげなくすると、まるでこっちが悪人だ。
「私、ルーイともっと近づきたいよ」
彼女はおそろしい人物だ。
他人との間に引いたラインを踏み越え、どこまでも彼を追いかけてくる。他人に執着しないと決めた彼を否応なく惹きつけ、侵略するように、深淵に居座って動かない。それらをすべて無自覚のまま為(な)している。
「……わかりました」
「本当? ありがとう!」
苦々しくなるかと思ったが、気分は案外さわやかで軽い。
個人用の携帯を取り出し、彼女に渡す。迷った時間を笑うように、赤外線通信であっさりと彼のアドレスは彼女に送られた。重々しさなどまったくない。
そういうものか、と大発見をしたような心境だ。
現実は彼が思うよりも、単純でそっけない。破壊するほどの威力など秘めていない。壊れてしまったと思うかどうかは、彼にかかっている。本当はそうでなくてもそう感じたのならば、真の破壊者は彼自身だ。
「じゃあ次は、私のアドレスをそっちに送るね」
次は彼女のアドレスが彼の携帯に送られた。ピ、ピ、と操作音が鳴る。
「登録、っと。……あ!」
最後の言葉は、なぜか驚きと歓喜にあふれていた。
「どうかしましたか」
「私のアドレスの登録ナンバーがね、七十七だったんだ。ラッキーセブンだよ」
そんなことか、と気が抜けた。だが、そんな他愛ないことを喜ぶのは彼女らしい。
またなにかに気づいたのか、ぱちんと手を叩く。楽しげに微笑む。
「今日は十七日で、私は十七歳で、登録ナンバーは七十七なんて、偶然だけどすごいね」
かなりはしゃいだ口調だ。彼女が言うと、どんなささいなこともかけがえのないもののように思えてくる。
「私がラッキーセブンづくしだから、きっとルーイも幸せになるよ!」
「それは……ありがとうございます」
うきうきした様子で、彼女は携帯を彼に返した。
「電話帳の登録数が増えると携帯は重くなる」、どこかで聞いた風説を裏付けるように、携帯はほのかに重く、彼女の手のぬくもりを宿してあたたかかった。
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09/11/28 初出(コピー誌「No.077」)
10/11/21 改稿、同人誌再録
11/05/15 サイト掲載