オーシャン・ブルー・アイ
「……」
受験票を握りしめていた手から、力が抜ける。
周りの音が、すうっと消えた。合格者の受験番号が張り出された掲示板を、棒立ちになって見つめる。
私の受験番号。私の分身。
鼻がつんと痛くなった。目が熱くなって、つうっと頬に落ちていく。
胸の奥から塊がせり上がる。一緒に結果を見に来てくれたルーイが、ぎゅっと私の手を握った。ロボットみたいな動きで見上げると、唇が動いた。
「――」
なにを言われたのか分からない。だけど言葉は一つしかない。いつもまっすぐな口元が、やわらかく、やさしくゆるんで、笑みになる。
その瞬間塊が胸で弾けて、ようやく音が戻ってきた。
前から約束していた。
受験が終わったら、その結果には関係なく、海に行こうって。私の誕生日のお祝いも兼ねて。
三月の海は灰色っぽくて、浜辺には私とルーイしかいない。厚着しろって言われたからマフラーとかコートとかを持って来たけど、海風に吹き飛ばされそうになる。
「誰もいないねー」
「海開きはまだまだですから」
「貸し切りみたい」
なんだか楽しくって、その場で一回転した。見渡すかぎりの灰色っぽい青と、砂浜の白がぐるりと混ざる。
「今年も、みんなで海に行こうね」
「はい。……今年は遅刻なさらないでください」
「分かってるって」
去年は遅刻しちゃったけど、今年こそちゃんと時間通りに行くもん。ルーイはときどき小うるさくなる。特に時間とか体調とかに関して。
今も、ちょっと邪魔になったマフラーを外そうとしたら、「巻いていてください」って言われて直された。暑いくらいなのに。
「いいじゃん、もう受験生じゃないんだから」
「受験生でなくても、無理をしないのは当たり前のことです」
「無理なんかしてないよー」
巻く巻かないで言い合って、結局ルーイが折れた。私のマフラーを持って、ため息をつく。
人がいっぱいいる夏と比べたら、同じ場所なのにすごくさびしい。海の家もないし、カラフルな浮き輪やパラソルもない。
波打ち際を二人で歩いた。変わらないリズムの波を見てたら、なんだかうずうずしてくる。
「タオル、持って来てるよね?」
「一応は」
よし、じゃあ大丈夫。かがんで靴紐をゆるめて、靴と靴下を脱ぐ。
「お嬢様、なにを」
ルーイに止められる前に、勢いよく海に飛びこんだ。
「冷たい!」
くるぶしまでしか浸かってないのに、頭まで寒さが駆け抜ける。自分で自分を抱いて、身震いした。
「当たり前です。なにを考えていらっしゃるんですか」
「ちょっとはあったかいかなー……って」
「そんなわけがないでしょう。もしそうなら、とっくに海開きをしているはずです」
「あ、そっか! 頭いい!」
感心してしまう。素直に褒めたのに、またため息をつかれた。なんで?
それにしても寒くて、身体が強ばる。だけどせっかく海に来たんだから少しは満喫したくて、足で海水を蹴る。しずくがはねて、ルーイにかかった。
「早く上がってください。風邪をひきますよ」
「んー、もうちょい」
楽しくなってきた。寒いけど。バシャバシャやってたら、ルーイがいきなりかがんだ。
なにをしてるんだろうと思ったら、はだしになってスラックスのすそを上げて、こっちに来る。
顔を見てぎくっとした。あれは怒ってる。絶対叱られる。逃げたら追いかけてきた。
「なんで追いかけるのー!?」
「もう帰りますよ」
「もうちょっといる!」
「ダメです」
ルーイの足は早くて、すぐに捕まった。後ろから抱えられて、車まで連れて行かれる。じたばたしたけど、ちっとも敵わない。
「ゆーかいされるー!」
乗せられながら叫んだ。けど、ものすごく冷静な声。
「騒いでも誰も来ません」
それって、時代劇の悪代官のセリフじゃない? 事実だけど。
「うぅ……」
しゅんとしてしまう。せっかく来たのに。海色の瞳を恨めしくにらむ。
「もっと暖かくなったら、また来ましょう」
「海開きしてから?」
「そうです」
「待てないよー……」
海は目の前にあるのに、入れないなんて、悔しい。うつむいて腕を組む。
「我慢です」
肩に手を置かれる。ふと顔を上げた。
間近にルーイの顔があった。ちょっと動けば鼻がぶつかりそうなくらい近い。びっくりして息をのんだ。
目もそらせずに見つめ合ううちに、息苦しくなってくる。ルーイの青い瞳に私が映っていて、どきどきする。
肩を引かれて、顔が近づく。鼻の先端がぶつかる。ゆっくりまぶたを閉じた。私のじゃない息の存在を感じる。
どうしよう。心臓が、壊れそうなくらいに動いてる。だけど、不思議と怖くない。
肩に、痛いくらいの力でルーイの指が食いこむ。
「……」
ふいに、気配が離れた。
「帰りましょう」
目を開けたら、突き放すみたいに肩を押された。割と強い力だった。まばたきしているうちに、ルーイはさっさと運転席に乗ってしまう。
頬が熱い。今の、って。
「……ねえ!」
「はい」
ミラー越しに見る顔はいつも通りに冷静で、さっきのことなんて全然気にしてないみたいに見えた。というか、実際、そうなのかも。
……キス、されるんだと思った。ほっぺにじゃなくて、唇に。だけど、ただの勘違いだったんだ。ルーイにはそんなつもりなくて。
そう思ったら、急に恥ずかしくなった。なんでもない、って首を振ったら、車が発進する。
馬鹿みたい。馬鹿みたい馬鹿みたい! っていうか馬鹿そのものじゃん!
顔が沸騰する。前を見れなくて、窓の外をながめた。全然目に入って来ないけど。
頭の中はさっきのことでいっぱいで、それ以外のことなんて全然浮かばない。なんだかふわふわした気分で、唇をなぞる。
――私、ルーイのこと……。
カーブを曲がると、海は見えなくなった。けれど同じ色をしたルーイのあの瞳が、まだ視界にちらついている。
[中編・完]
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10/02/21