ラバーズリミット



「じゃあ、行ってくるね」
「はい。なにかありましたらご連絡を」
「うん」
 彼女は大きくうなずき、車のドアを閉めた。フレアスカートをひらひらさせながら、待ち合わせの場所であるゲートまで駆けていく。
 受験のプレッシャーからの反動か、大学に入ってから、彼女は休日ごとに外出するようになっていた。今日も、連れ立って遊園地に行くそうだ。
 待ち合わせの相手は、時間よりも少し遅れてやってきた。ラフな格好で、眼鏡をかけ、明るい金髪が目立つ。
 サークルで知り合ったというその男は――彼女の恋人だ。


*


「今日も君は可愛いね! びっくりしたよ!」
 顔を合わせると、アルフレッドはオーバーに驚いたジェスチャーをした。くすぐったくて、くすくす笑ってしまう。
「ありがと。嘘でも嬉しい」
「俺は嘘を言わないんだぞ!」
 ふざけ合いながら、チケットを買って遊園地に入る。休日だからか、やっぱり人が多い。
「はぐれちゃいそうだね」
 本気じゃなかったのに、そう言ったら肩を引き寄せられた。
「こうすれば大丈夫さ」
 なんかこういうのって恋人っぽい。そう思って、本当に恋人だったことを思い出す。付き合ってまだ三日めだから、全然実感が湧かない。
 告白というか、付き合ってほしいと言ったのはアルフレッドの方からだった。
 映画鑑賞サークルで数回顔を合わせたことがあるだけだったのに、いきなりそんなことを言うから、からかわれてるのかと思ったくらい。だけど彼は本気だった。
『二人で出かけたり一緒にご飯を食べたり、そういうのでいいんだ! どうかな?』
 それならいいかな、と思って、うなずいた。「友人」としてならともかく、「恋人」としてはピンと来ないけど、明るくてにぎやかなところは、嫌いではなかったから。
「ここ、行ってみない?」
「もちろんオッケーさ。頂上で撮影されるから、俺はバーから手を放して写るよ!」
「危ないよー」
「これは男のステータスだから、真似しないでくれよ!」
 どうしようもない話で笑ったり、映画の話をしたり、大学の話をしたり、すごく楽しい。男の子ならではの視点や意見もあって面白い。
 恋人ができたって聞いて、ルーイはすごくびっくりしてた。それから、「おめでとうございます」って言った。
 よく、分からないけれど。そのとき……なんだか悲しくなった。
 なにを期待してたんだろう。ルーイがお祝い以外のことを言うはずがない。
 やっぱり、キスのことは、私の勘違いだったのかもしれない。顔になにかついてたとかで、私が好きとか、別にそんなんじゃなくて。
 ――だけど私は、ルーイのこと。
「どうしたんだい、難しい顔して。そんなにジェットコースターが怖いのかい?」
「え。……ううん、なんでもない」
 今は、ルーイのことを考えるのはやめよう。せっかくの休日に、恋人と――アルフレッドと遊んでるんだから、そっちに集中しないと。
「怖がってるのはそっちじゃない?」
「そんなことないんだぞ!」
 バーが身体を固定して、コースターが安全な恐怖に向かって動き出した。

 色んなアトラクションを回ってたら、ものすごくお腹がぺこぺこになった。
 木漏れ日の綺麗なベンチに座って、作ってきたお弁当を広げる。彼は子どもみたいに目をキラキラさせた。一口つまんで、「すごくおいしいよ!」と言ってくれる。
「ありがと。お茶もあるよー」
 水筒からお茶をコップに注ぐ。振り向きながら、差し出した。
「はい、ルーイ。どうぞ」
 アルフレッドは変な顔をした。なんで? 自分のセリフを思い出して、ようやく失言に気づく。
 今、私、ルーイのこと呼んだ。
「わ、ごめんなさい!」
「気にしてないよ。間違いは誰にだってあるからね!」
 あんまり頓着しない性格でよかった。サンドイッチをむしゃむしゃしながら、アルフレッドが尋ねる。
「ところで、ルーイって誰だい?」
「私のボディーガード。すごくムキムキで、真面目で、やさしい人だよ」
 気がついたら思い出し笑いをしてた自分がいて、口元を押さえた。自分のサンドイッチをかじってごまかす。
「間違えるほど似てるのかい?」
「全っ然。金髪で目が青いってところ以外、共通点なんて」
 ルーイは、会うなり「可愛い」って言ったり、手放しに料理を褒めてくれたり、一緒にはしゃいだりしてくれない。
 ――ああ、そっか。
 ボディーガードは、恋人じゃない。だから、キスもしない。当たり前のことなのに、なんで今まで気づかなかったんだろう。
 ……それは、長い時間を一緒に過ごしてきたから。私の隣には、いつもルーイがいてくれたから。
「先生を『お母さん』って呼んじゃう感じかい?」
「あはは、そうかも」
 だけど、逆に、ルーイを「アルフレッド」なんて呼んだりはしない。絶対に。
 確信できてしまうのが、後ろめたかった。

 閉園時間ギリギリまで楽しんで、追い出されるみたいにしてゲートを抜けた。帰る予定の時間はかなり過ぎてて、着信が何件かある。ルーイ、きっと心配してる。
 だけど帰りたくない。顔を合わせたら、きっともやもやしちゃうから。だからメールすら送らなかった。
「楽しかったー!」
「俺も、こんなに楽しかったのは生まれて初めてだよ!」
「大げさだよー」
「ひどいなあ、俺は本気なのに」
 今日は一日中一緒にいたのに話題は尽きなくて、立ち話を続けてしまう。遊園地のライトが消えて、あたりが真っ暗になった。
「わ、そろそろ帰んなきゃ。今日はありがとう」
「オッケー、じゃあ、送っていくよ」
「え、でも、近いのに」
「女の子だからね! なにかあったら心配なんだ」
 さりげなく腰を抱かれた。でもいやらしい感じじゃない。まるでルーイがするみたい。……ああ、またルーイのこと考えてる。
 ゲートから駐車場までは本当にすぐだった。うちの車は黒いから、闇に溶けこんでどこにあるか分からない。でも、電話したらすぐに来てくれるはずだ。
「ここまででいいよ」
 そう言ったら、すっと腕が離れた。代わりに肩に乗る。変な感じがしたけど、気にしないで言った。
「今日は、ありがとう」
「こっちこそ」
「じゃあ、またね」
「うん」
 そう言うくせに、肩の上の手は動かない。どうしたんだろ、と思っていたら。
「目を、閉じてくれるかい」
「え」
 アルフレッドの顔が近づいてくる。唇の距離が狭まる。
 キスされるんだって、分かった。今度は私の勘違いじゃない、はず。髪の中に入ってきた指が熱い。
 ――ルーイ。
 もしかしたら見てるかもしれない。そう気づいて、ぎくりとする。ぎくりとした自分に、またびっくりした。
 恋人同士でキスなんて、そんなの当たり前のこと。それを見られたって、なんの問題があるんだろう。ルーイはただのボディーガードなのに。
 だけど頭の中はアルフレッドじゃなくて、ルーイのことばかり。
 ――本当に? 本当に、私は、ルーイを「ただのボディーガード」としか思ってないの?
 もう少しで、ふれる。唇と唇が。私と私の心が。
 ――私は、ルーイのことが。
「っ……や」
 ふれたのは、唇と、間に挟んだ手だった。腕を突っ張って押しのけて、一歩後ろに退いて距離を取る。
「……」
 なにも言わないのが、余計に怖かった。怒られても仕方ない。土壇場(どたんば)になって拒絶なんて、倍以上にショックに決まってる。
「ごめん」
 言葉がふるえる。身体をちぢめて、自分で自分を抱いた。
「嫌いじゃないよ。でも」
 ボディーガードをフランシス兄ちゃんからルーイに変えるって決めたときみたい。罪悪感と、それでも曲げられない気持ちが胸の中でざわざわする。
 ――あのときは、ルーイの笑った顔が見たかっただけだったんだけどなぁ。
「『恋人』とか、そういうんじゃ、ない」
 なんでもっと早く気づかなかったんだろう。色んな人を振り回して、迷惑をかけて。
 ……だけど、気づいてしまったら、もう無視できない。
「あーあ」
 髪をかき上げてから、眼鏡を外して胸ポケットにしまう。素顔はやけに幼く見えた。
「なんとなく、そんな気はしてたよ」
「えっ」
 ――どういうこと?
 大きく目を見開いたら、アルフレッドは苦笑した。あきらめきった口調は、少し遅い。
「俺じゃない誰かのこと考えてるなって、そういうのは見てて分かるよ」
 ぎくっとした。その通りだったから。バレてないはずなんて、なんて失礼なことを思ってたんだろう。
「ごめんなさい」
「謝らないでいいさ。こればっかりは、どうしようもないからね」
「でも」
「今、すごくみじめな気分なんだ。謝られるともっとひどくなる」
 キツい調子に打ちのめされる。泣きたくなるなんて、すごくワガママだ。
 だって私が悪い。自分の気持ちを知らないで、ふらふらしてた。そのせいでアルフレッドを傷つけたくせに、泣いちゃダメだ。
「……ありがとう」
 そう言ったら、アルフレッドは驚いたみたいだった。だけど、いつもみたいな笑顔を浮かべてくれる。
 やさしくて強い人。……ルーイと同じだけど、違う。フランシス兄ちゃんを選ばなかったのも同じ。
「じゃあ、また、サークルで」
「うん」
 軽く手を振って、アルフレッドは行ってしまった。姿が見えなくなるまで見送った。なんの罪滅ぼしにもならないけど、せめてこれくらい。
「お嬢様」
 いきなり後ろから声をかけられてびっくりする。振り返ると、ルーイが立っていた。どこから見てたんだろう。
「お待ちしました」
「ごめんね」
「次からはご連絡をお願いします。心配しますので」
「うん」
 車まで、ゆっくり歩く。ルーイのうなじとか耳とかを、じっとながめた。どきどきして、立ち止まってしまいそうになる。
 今日のこと、絶対に忘れない。ようやくたどり着いた気持ち。
 私は、ルーイのことがすき。


*


『こちらは留守番電話サービス――』
 何度も聞いた機械的な声。舌打ちして電話を切る。時計は帰宅予定時間を大幅に越して、もう閉園時間も近い。
 いてもたってもいられなくなる。車を離れ、彼女が待ち合わせにしていたゲートまで向かう。
 その途中で閉園のアナウンスがあり、着くころには、遊園地の照明は落とされ、辺りは真っ暗だった。
 闇の中で目をこらすと、二つの人影があった。男女の組み合わせのようだ。ポニーテールが見えて、彼女だと分かった。
 近づいて行くと、シルエットの頭部が重なる。キスをしているらしかった。
 彼を構成する全てが動きを止めた。その場で棒立ちになる。二人がなにか会話をしているらしいが、まったく耳に入って来ない。
 恋人、と彼女が言ったことが重くのしかかる。
 そういうこと、なのだ。彼女の心は彼ではない別の男のもので、いつかは肉体的な関係を結び、もしかすると人生の伴侶となる。そこに彼が入りこむことはない。
 うぬぼれていた自分を知る。心のどこかで、彼女は恋人よりも自分を重んじるだろうと思っていた。そんなことはあり得ないのだと、今、突きつけられた。
 海でのことが、頭をよぎる。
 あの日、いつも以上に近くで彼女を見た。たまらずに近寄ると、彼女が瞳を閉じた。きゅ、と収縮するまぶたがなんとも言えず愛らしかった。
 熱に浮かされたように、自らの唇で彼女の可憐な唇にふれようとして、気づいた。気づいてしまった。
 ――これは、分不相応な行為だ。
 「お嬢様とボディーガード」の枠を越えれば、なにかが変わる。今までのようにはいられない。ひそかに胸のうちにあったなにかがほじくり出され、白日のもとにさらされる。
 恐怖。困惑。躊躇。それらに負けて、彼女にふれなかった。
 何度か思い出すことはあったが、この判断は正しかったと、自分に言い聞かせてきた。納得もしていた。だが今は、それが根底から揺らいでいる。
 そこからは、まるで他人が操る自分を見ているようだった。彼女に声をかけ、自宅まで送った。着くころには日付が変わっていた。
 到着を告げても、彼女は動こうとしない。黙りこくってうつむいている。眠ってしまったのだろうか。
「お嬢様?」
「……なに?」
 起きているらしい。口調も眠そうなものではなかった。
「下りないのですか」
「下りるよ」
 だがぴくりとも動かない。わけが分からずに戸惑ってしまう。
「ルーイ」
「はい」
 長いためらいの沈黙のあとに、彼女は口をひらいた。
「これからも、ずっと、私のそばにいてくれる?」
「もちろんです」
「仕事だから?」
 言葉に、詰まった。
 ぐちゃぐちゃになりそうになる感情を押さえつけて、普段通りであることを自分に課した。
「そうです」
 息を飲む音がした。強ばった声で「そっか」とつぶやくと、彼女はドアを開く。ひんやりとした夜の空気が、どっと車の中にあふれた。
 久しぶりのような気持ちで大きく息をした。玄関に向かっていく彼女には、一言も声をかけなかった。
 姿が見えなくなってから、整髪料で固めた前髪を崩した。
 ――これでいい。
 「ボディーガード」に過ぎない彼は、誰かに恋をして誰かのものになる彼女を見ているしかない。役目以上の感情を抱いても、決して報われない。
 クッキーの型抜きのように、「ボディーガード」の枠の分だけ感情をくりぬいてしまえればいい。余分な部分はためらわずに捨てて。
 その想像はなかなか頭を離れなかった。できるわけがないと知っていたからだ。


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10/02/24