赤いペディキュアのお姫様



「コーヒーのお代わりはどう?」
 エリザベータの質問に、時計に目をやる。レッスン終了の時間まであと数分だ。水曜日、今日の習い事はピアノだった。
「もうすぐ帰りますから、結構です」
「わかったわ」
 書きかけの日誌にまた目を落とした、のだが。
「……?」
「あら、事故かしら」
 顔を上げたのは、ブレーキと衝突の音が聞こえてきたからだ。エリザベータも反応したので、聞き間違いや、ピアノの音ではないらしい。
「どこからかしら」
「裏手の駐車場かと」
 窓からうかがう。彼の予想は当たっていて、二台の車がぶつかっているのが見えた。
「ルートヴィッヒさんの車?」
「色が違います」
「よかった。……でも、一応見てきた方がいいんじゃないかしら。こすったかもしれないし」
 それもそうだ。フェリシアーナに事情を説明するように頼んで、駐車場まで向かった。
 幸いにも、車は無傷だった。だが。
 被害者と加害者が今にも殴り合いをはじめそうな様子だった。見過ごすことができず、警察が来るまで二人をなだめ、それぞれの言い分を聞かされるはめになった。
 駆けつけた警察に二人の発言の要点を伝え、その場を離れたときには、かなりの時間が経っていた。
 あせりながらピアノ教室に戻る。入った途端、ふわ、とコーヒーの香りがした。待たされすぎて一服することにしたのだろう。
 どうも気まずい。彼女たちの話がかなり弾んでいることも、さらに登場のタイミングを見失わせる。
「そっか、ついに結婚するんだね。おめでとう!」
「ありがとう。幸せになるわ」
「いいなーいいなー! 私もいつか結婚式挙げたいなー」
「相手はやっぱり、あの人?」
「……そうだといいなあ」
 照れとあこがれの混ざった声が耳を貫いて、その場に立ち尽くしてしまう。
 映画撮影の一件で、彼女には好きな人がいることは知っていた。「恋人」と別れるほど、強い想いを寄せているということも。
 だが、それが誰なのか、彼にはわからなかった。正直に言えば、気になって仕方がない。
 これは決してやましいものではない。彼女の気持ちが利用されることを防ぐためであって、私情はまったくない。絶対に違う。
 ……そのはずだ。
「でも、『奥さん』になる前に、まずは『恋人』にならなくちゃ」
「えええっ? そうなの? あんなに仲がいいから、てっきり付き合ってるんだと思ってたわ」
「そうなったらいいんだけどね」
 声音からどんな表情なのか想像するのは難しくなかった。きっと、満面の笑みだ。誰もが魅了されるような。
「姉ちゃんにも『あいつが好きなんだろ』って言われたんだけど、そんなにわかりやすい?」
「すっごく」
「うう、やっぱりそうなんだ……」
 今のは、重大なヒントではないだろうか。
 ピアノ教室でしか接点がないエリザベータまでもが知っているということは、かなり身近な人物だということだ。
 さらに、別の大学に通っているロヴィーナも知っているのならば、高校卒業までに知り合ったのだろう。なんとも好都合なことに、彼女が通っていたのは中高一貫の女子校だ。これでかなり絞りこめる。
 そうして、彼女の想い人が人畜無害な男だとわかったら、……引き下がる。彼女が望むのならば、手助けもいとわない。
 幸せであってほしい。望むのはそれだけだ。彼以外にもそれができる人物がいるのなら、どうして歓迎しないことがあろうか。
 搾られるような痛みが胸を苦しめるのは、なぜなのだろう。


 それから数日後に、会社の創立記念日を祝う立食会が催された。
 社長の孫姉妹は人垣を作っている。それをなんとなく遠巻きにながめながら、ひたすら彼女の態度を探り続ける。ロヴィーナやエリザベータが見てわかるくらいなら、彼にだってわかるはずだ。
 だが、それらしき人物はさっぱり見つからなかった。
 観察していてわかったのだが、彼女はある程度以上に親密になると、そこから先は誰であれ画一的な接し方になるらしい。むやみやたらに抱きついたりしない。
 肉親である社長や姉はもちろん別格だが、それが最上級に見えた。付き合いは長いであろうフランシスやアントーニョでさえ、ひいき目に見ても、笑っている時間が多いだけ、という印象だ。
 社交的で来る者拒まず、という彼女にも線引きはあるらしい。意外だった。
 バレエや水泳などでの習い事にも男はいるが、あしらいはほぼ同じだ。大学の方は最初から除外していたが、しなかったとしても同じだっただろう。元「恋人」のアルフレッドさえどんぐりの背比べだ。
 正直、手詰まりだった。さっぱりわからない。また一から考え直しだ。
 むしゃくしゃしてきて、ソフトドリンクを一息でのんだ。アルコールなら気が紛れたに違いないが、彼は運転手である。それも、癪(しゃく)だった。
「おいおい、お前さっきからフェリシアーナをガン見しすぎだぞ〜? ちょっとは控えろよ」
 フランシスが酒くさい息を吐きながら肩を叩いてくる。持っているのがアルコールでないことに気づくと、シラケた顔をした。
「なんだ、お前、飲んでないのかよー」
「運転がありますので」
「そーいやそーだったな。ごしゅーしょーさま」
 棒読みだ。まったく気持ちがこもっていない。
 腹が立つのも通り越して、脱力した。悪いことはとことん重なるもので、アントーニョまでやって来る始末だ。
「祝いの席やってのに、辛気くさいわ〜」
 アントーニョも運転があるため、酒は入っていないはずだが、このテンションである。いつものことだが。
「放っておいてください」
「放っとけるわけないだろ、あの熱視線をさ」
 気づかれていたらしい。ぎくりとすると、おにーさんでよければ相談に乗るよ、せやせや言うたったれやー、などとけしかけられた。よろしくもないし、言えるわけもない。
 しかし、袋小路にはまりこんでしまっているのは事実だ。付き合いの長い二人なら知っているかもしれない。それに、背に腹は代えられぬという言葉もある。
 さんざん悩んで、悩んで、断腸の思いで口にした。
「お嬢様の好きな人がわからないんです」
 恥をしのんで口に出したのに、フランシスはぽかんとした。
「え? ……え? は? どういうこと?」
 なにをそんなに不思議がる必要があるのだろう。彼にとっては、それが不思議だった。
「お前とフェリちゃん、付き合っとるんやないの?」
 フランシスの反応の理由も、一体どう思われていたのかも、そのセリフで察した。
 とんでもない勘違いだ。そんなこと、あり得るはずがない。彼女には好きな人がいるのだから。
「言っておきますが」
 一本調子な自分の声が、まるで他人のもののように聞こえて、奇妙だった。心の中は、とても平静と言える状態ではないのに。
「私は、お嬢様とボディーガード以上の関係を持っていません」
「えっ!? ちょ、嘘だろっ? お兄さんをダマそうたって、そうはいかないよ!」
「だましてなんになるんです」
 フランシスは納得できないという顔でフェリシアーナに目をやり、腕を組んでうなった。
「あいつ、綺麗になったよな」
「それと私が、なんの関係があるのです」
「知らないのか? 恋する女はみんな綺麗になるもんなんだよ。だから、てっきりお前とデキたのかと」
 お兄さんも耄碌(もうろく)したなあ。口調とは裏腹に、どうやら面白がっているらしい。
「『色気づく』ってああいうことを言うんだろうな。……あーあ、お前がうらやましいよ」
「なにがです」
「一日ごとにどんどん『女』になってくのを間近で見れるとか、男のロマンじゃねえか」
 正直、その言い方は変態くさいと思った。なにやら倒錯めいたものを感じて、こころもち距離を取る。そういう耽美な感傷は持ち合わせていない。
「……確かに、お綺麗になったと思います」
 大学生になってからはじめたメイク。ヌーディーな色合いの口紅や、頬のやわらかさを強調するチーク、大きな瞳を引き立てるマスカラ。横顔が名画のように優美で、わけもなくあせることがある。
 服装も、趣味が変わったのか、落ち着いた色やデザインのものが増えてきている。センスがあるようで、カジュアルもフェミニンもモード系もガーリーもなんなく着こなす。
 隣にいる彼には、大学のキャンパスや街角で人目を引きつけるのが手に取るようにわかった。大体は、恋人と間違われるのもセットでついてくるのだが。
「俺なんか、『フェリちゃん綺麗になったなあ』って言うたら、ロヴィに殴られたで」
 よく見れば、頬がかすかに腫れている。フランシスは呆れた顔になった。
「彼女の前で、双子の妹と言えども他の女褒めるかフツー……」
「え、ダメなん?」
「ダメに決まってんだろ。女は嫉妬する生き物だぜ」
 (おそらく)ありがたみがあるのだろう蘊蓄(うんちく)に、アントーニョはなるほど、と手を打った。
「俺、ロヴィに謝ってくるわー」
「おー、行ってこい」
 去っていく背中に、フランシスはひらひら手を振った。アントーニョが「ロヴィも美人さんやでー!」と叫んで殴られるのを見届けてから、ルートヴィッヒに向き直る。
「それにしても意外だな。お前とフェリシアーナが付き合ってなかったとは」
「ありえません。……お嬢様には好きな人がいるのですから」
 投げやりな気持ちで言うと、フランシスは盛大に笑い出した。
「気づいてないとか、ぶふっ、マジかよ……っ! やっべ、涙出てきた」
 いくらなんでも笑いすぎである。怒りと羞恥がないまぜになって、いっそぶん殴ってやりたいくらいだったが、ぐっとこらえた。相手は先輩で、なおかつ彼の知りたい情報を持っているようだ。
「先輩は知っているんですか」
「当たり前だろ。つか、気づかない方がおかしい」
 さんざん悩んで考えてそれでもわからない彼はなんなのだろう。遠まわしに「鈍感」と罵られた気分だ。
 フランシスまで知っているならば、かなり親しい間なのだろう。見落としはないはずだが、どう考えても該当する者はいない。
「誰です」
 フランシスは笑いで乱れた息を整え、答えようとしたようだが、また吹き出した。そろそろ本気で怒っても許される気がする。
「もっとよーく考えろよ。フェリシアーナが惚れる男なんて、一人しかいねえよ」
 思いつかないから訊いたのに、余計はぐらかされただけだ。しかも、どうやっても教えるつもりはないらしい。
 とてつもない脱力感を覚えて、ため息をつく。しばらくはこの悩みを引きずることになりそうだ。
「つか、お前、なんでそんなこと知りたいんだよ」
「お嬢様の気持ちが悪用されないか心配だからです」
「貢がされたりとか?」
「はい」
 真面目にうなずくと、フランシスはまた、笑いをこらえるような顔をした。
「安心しろ、そういう男じゃねえよ。そもそも、フェリシアーナの気持ちにすら気づいてない」
「そう、ですか」
 ほっとしたのか不安になったのか、よくわからない。どちらかと言えば、後者の方が強い気がした。問題のない男なら、特に干渉はせず見守るつもりだったはずなのに。
 もうわけがわからない。悩みすぎて胃に穴があきそうだ。痛むような錯覚に、腹を押さえた。
「気になるなら、直接訊いたらどうだ?」
 その方法も、何度か考えた。だが、実行には移せずにいる。
 おそろしいのだ。彼女の唇から、愛の言葉がこぼれるのが。とても耐え切れそうにない。
 想像だけでこうなのだから、これが現実になったらどうなるのだろう。そう考えるのも苦痛だった。
 彼に許されたのは、ボディーガードとして彼女の幸せを守っていくことだけだと、わかっているのに。
「で、お前はどう思ってんだ?」
「は?」
「だから、フェリシアーナが他の男を好きだって知って、どんな気分だよ?」
 悪趣味にもほどがある。傷をえぐってどうしようというのだろう。先輩といえどもさすがに不愉快で、眉をひそめた。
「動揺するか、やっぱ」
 当たり前だ。
「俺の知ってるお前なら、『仕事に感情は必要ない』って言い切るはずなんだけどな」
「……っ」
 心臓がにわかに存在を主張しはじめる。憂鬱で濁っていた頭をかき混ぜられたようで、めまいを感じた。
 フランシスの言う通りだ。
 昔なら、任務のことでこんなに感情を揺さぶられることはなかった。多少思うところがあっても、気取られないように淡々と処理してきた。
 それなのに今は、あっさりと内心を見抜かれるほど、感情をコントロールできていない。彼女の言動で一喜一憂している。合理的にものを考えられない。
 彼女と出会ったときから、自分が変わってしまった。
 最初からわかっていたのに、別れるのがつらかった。離れてもずっと忘れられなかった。再び専属になると知って、うれしく思った。
 彼女と共にある彼は、こんなにも生々しい感情にあふれて、前とはまるで別人だ。
「自分が変わった理由、よーく考えてみろよ?」
 フランシスがおかしそうに言ったそのとき、こちらに駆け寄ってくる姿があった。フェリシアーナだ。
「ルーイ、ここにいたんだ!」
 走ってきた勢いそのままで胸の中に飛びこんでくると、ぎゅっと抱きついてくる。ふわりと甘い香水を感じた。
 パーティー用のドレスなので、当然、露出は多い。その状態で密着されるというのは、いくらなんでもマズい。それに他人の目もある。あわてて身体を引き離した。
「こういう場ではわきまえてください」
 きょとんと丸くなった瞳が、あっという間にうるむ。
「私のこと、きらい? ハグされるの迷惑?」
 そういう言い方には弱い。弱いのだが、なあなあで済ませていいことだとは思えない。彼女のためにもならない。
「そんなことはありません。ただ、TPOをわきまえてほしいのです。……TPOの意味は知っていますか」
「知ってるよ。時と場所と状況でしょ?」
 そうです、とうなずいて、会場内を示した。いかにも偉そうな風格の中高年が目立つ。
「来賓の方々は、お嬢様の言動と会社を結びつけて考えるのですから、もっと、その……慎みを持ってください」
「わかった。次から気をつける」
 彼女はしゅんとうなだれたが、ぱっと顔を上げたときは、いきいききらきらした目をしていた。
「二人きりならいいんだよね?」
 なんという斜め上解釈。
 あきれと脱力が一気にやってきて、ため息をついた。
「まあ、かまいません」
「やったー! ルーイ大好きー!」
 手を握ってうれしそうにする。つられて口元がゆるんだが、フランシスのにやけた視線に気づき、表情を引き締めた。一部始終を見られていたかと思うと恥ずかしい。
 それに、さっき指摘されたこともある。先ほどのやりとりだけでも、感情を乱されっぱなしだ。さぞかし滑稽に映ったことだろう。
「これで気づかないんだから、もうお手上げだな」
「なんの話ー?」
 フランシスは首をかしげたフェリシアーナの頭を、髪型を崩さないようになでた。苦笑しながらもウインクする。
「ま、がんばれよ。お互いにな」


 多くの客の相手をして疲れたようで、彼女は帰りの車の中でぐっすり眠っていた。家に着いても目を覚まさないくらいだ。
「お嬢様」
 声をかけたが、この程度で起きるわけがない。一度車から降りて、後部座席の彼女の方に回る。
「起きてください」
 軽く肩を揺すったが、反応はない。それどころか、気持ちよさそうな寝息を立てている。ふにゃふにゃとした寝顔が幸せそうで、見ているうちに、起こすのがかわいそうになってきた。
 あれだけ頑張っていたのだから、ちょっとくらい甘やかしてもいいかもしれない。……普段からそんなことを言っている気がするが。
 彼女のバッグから家の鍵を探し出す。コソドロにでもなった気分だ。苦労して彼女を背中に負い、部屋まで向かった。
 アントーニョがいれば手伝ってもらうことができたが、あいにく、未来の社長とそのボディーガードはまだ会場にいる。
 背負ったままでは、鍵を差しこむのにもドアを開けるのにも時間がかかった。電気のついていない家の中で何度か壁にぶつかりながら、どうにか部屋にたどり着く。それでもまだ眠っているのだから、もはや感心するしかない。
 ベッドに寝かせてから、彼女が靴を履いたままだと気づく。玄関で気づいていたとしても、おそらく脱がせることはできなかっただろうが。
 靴を履きっぱなしで寝かせておくのも変だ。それにシーツが汚れる。きゅっと細い足首やくるぶしに目を奪われたが、そんな場合ではないと頭を振る。
 靴の止め金は、思ったよりも外しづらかった。だが力任せにやると壊れてしまいそうだ。いら立ちとあせりを感じながら、太い指で繊細な金具と格闘する。
「……あ」
 ようやく外れた。なぜか達成感を覚えながら、片方を脱がせる。真っ赤なペディキュアがいきなり目に飛びこんでぎくりとした。
 ――アンバランスだ。
 化粧をして大人っぽくなったかと思えば、抱擁を拒んだだけで泣きそうになる。ささいなことで機嫌を直す単純さを見せたくせに、ペディキュアでこんなにも動揺させる。
 そばにいて支えてやりたいと、そう思わずにはいられなくなる。目が離せなくなる。
 巧妙に仕掛けられた罠に囚われてしまった、そんな気がした。なにもかも計算づくで、彼女の手のひらで踊らされているような。
 ……そうならよかったのに。
 急に、靴を脱がせるだけのことが、とてつもなく破廉恥な行為に思えてきた。猛烈な後悔に襲われても、後の祭だ。まさか履かせ直すわけにもいかない。
 この調子なら、彼女を起こして自分で脱がせた方がたぶん早い。あまり気は進まなかったが、肩を揺さぶった。この程度で目覚めるとは思えないので、声を張り上げた。
「お嬢様! 起きてください!」
 眉が寄せられ、目がひらく。今にも閉じそうな瞳には、おぼろげな光しか宿っていない。
「んんぅ……」
 わずらわしそうに目をこする。そのままではまた眠ってしまいそうだ。
「起きてください。せめて靴を脱がないとシーツが汚れますよ」
「くつ……?」
「そうです」
 上半身を起こしてやると、少しは眠気が覚めたのか、もぞもぞと止め金をいじりはじめた。彼があんなに手間取ったものを、数秒で外してしまう。
 とりあえず最低限のことは終わったので、また横にさせてやろうとしたのだが、それはできなかった。
 彼女がいきなり抱きついてきたからだ。
 いわゆるお姫様抱っこの体勢にも似ているので、視線を落とせば胸の谷間がよく見えた。悲しいかな、ルートヴィッヒとて男であるので、目が離せなくなる。
 そう、彼は男で、彼女は女なのだ。
 そして二人が今いるのはベッドの上で、家には彼ら以外に誰もいない。
「離して、ください」
 声がかすれた。
 見たくも知りたくもない感情が意識に上りそうになる。もうギリギリの場所まで迫っていた。
「二人きりのときなら、ハグしてもいいって言ったじゃん」
 ついさっきまで眠っていたせいか、彼女の体温は高かった。同じくらいに身体が熱くなっていくのがわかる。
「私は、『TPOを考えてください』と言ったはずです」
「うん、言った」
「こんな時間に、こんな場所で、こんな状況では、二人きりでもダメです」
 反論したそうにするのを、わざとさえぎった。ありったけの冷静を集めて、言う。
「私がお嬢様のお傍にいるのは、任務のためです」
 お願いだから、その職務を根底から否定するようなことはさせないでほしい。
 守りたいのだ。有害なものすべてから。例え、それが自分であっても。
「うん、知ってる。ルーイは私のナイトだもん」
 ――そういうことか。
 彼女にとって、彼はナイト――下僕なのだ。だから絶対に自分を害するはずがないと信じきっている。
 そしてナイトは、ものを言わずに、お姫様のそばに控えているだけの脇役だ。決して物語の主役にはならない。なれない。
 ――第一、お姫様は王子様と結ばれると相場が決まっている。
 それに気づいて、心の中が一面の銀世界になった。不気味なほどに静かで、生命の色はすべて塗りつぶされた、ひたすら不毛な景色だ。
「さあ、おやすみになってください」
 ゆっくりと身体を横にさせると、彼女は案外素直にうなずいた。上掛けを肩まで引き上げて寒くないようにする。
「おやすみ、ルーイ」
「おやすみなさいませ」
 ふと視線を彼女の足元に向けると、足がはみ出て、真っ赤なペディキュアがさらしっぱなしになっていた。
 それをしばらく見つめて……布団を、かけた。



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10/06/27