左手首に誠実



 今日がはじめてだった。
 フェリシアーナと出会ってからそろそろ三年になる。だが、彼女を迎えに行って待たされなかったのは、今日がはじめてだった。
「おはよう!」
 車から降りるなり、待ちかねたように抱きつかれる。ふわふわした甘い香りが鼻をくすぐる。「ルーイ」と呼んだり笑ったりすると、身体がかすかにふるえるのがわかる。
 今までなら引きはがしてたしなめていただろう。だが、今は。
「おはようございます」
 ぎこちなく背中に腕を回して、小さな身体を抱きしめる。みぞおちのあたりで甘酸っぱいものが弾けた。
 彼女と想いを通じ合わせてから半月ほど経つ。あれからの日々を「まだ」と「もう」のどちらで形容するべきだろう。
 まるで夢のようだ。
「どうしたの? なんだかびっくりした顔してるよ」
「……なんでもありません」
 「待たされなくて驚いた」と言うのはいくら恋人だとしてもまずい気がして言葉を濁す。だがそんな態度は、逆に彼女の好奇心を煽るだけだということもわかっていた。
 案の定、興味津々の表情で詰め寄られるはめになる。
「なに? なに? 気になるじゃん」
 問い詰められれば問い詰められるほど、自分の考えたことがくだらなく思える。それと比例するように、彼女は興味を強めていく。
「大したことでは」
「大したことじゃないなら教えてくれたっていいじゃん」
 実にありふれたすれ違いである。このままでは堂々巡りだ。少し考え、オブラートに包むことにした。
「……予定時刻通りにいらっしゃるので、月日の流れを感じました」
「私が大人になったってこと?」
 だいたいはそういうことなのでうなずいた。すると、照れ笑いを浮かべる。
「今日は楽しみすぎて早起きできたんだ。準備してるときもそわそわしちゃったよー」
 こんなことを言われてどきりとしない方が嘘である。思わず抱きしめる腕に力がこもった。
 可愛い。そんな新感覚が全身を駆けめぐる。
「……真っ昼間に、門の前でいつまで抱き合ってるつもりだ」
 低く、うんざりした調子の声がいきなり割りこむ。身体がぎくりとして跳ねる。背中に回していた腕を離して、うろうろと宙をかく。
 いつの間にやって来たのか、ロヴィーナがそこにいた。部屋着のようなゆるい格好をしている。いつもと印象が違うと思い、化粧が簡素なのだと気づいた。アイメイクがないときつい雰囲気が薄い。
「『いつからいたんだ』みたいな顔してやがるけどな、私は最初からここにいたぞ。気づいてなかったろ」
「……」
 その通りである。フェリシアーナ以外眼中になかった自分の盲目ぶりや、人目をはばからない行動の愚かさを思い知らされ、羞恥心がこみ上げる。
 もう少し冷静になろう。そう決意して、気まずさをごまかすように咳払いをした。抱きついている彼女が彼を見上げた。
「行きましょう」
「うん。ルーイ、このバスケット、乗せてくれる?」
 彼女が指差したのは、新生児が入れそうな大きさのバスケットだった。ポシェットをさげているので、中身はハンカチなどの小物ではなさそうだ。
「なにが入っているのですか?」
「お弁当とか飲み物とか。お腹すいたら食べよ」
「楽しみです」
 バスケットは予想よりも重かった。それを後部座席に乗せて、彼女に振り返った。
「お嬢様。お隣へどうぞ」
 彼女は首を横に振った。そのままうつむいてしまう。どうしたのだろうと様子をうかがっていると、「この朴念仁!」とロヴィーナが野次を飛ばす。
「お前、今日は誰とどこへなにしに行くんだよ!」
 恋人であるフェリシアーナと、遊園地へ、デートに行くのだ。だから今日はスーツではなく私服を着てきた。
 それがどうしました、と言いかけて、気づいた。今は「ボディーガードとお嬢様」ではないのだということに。
「フェリシアーナ」
 「恋人」としてはお粗末な態度を悔いながら、彼女の肩に手を乗せた。おずおずと見上げる瞳が愛しい。
「……ルーイ」
「その……助手席に、乗るか?」
「うん!」
 彼女はうきうきした足取りで助手席の方に回りこむ。単純というか素直というか、とにかく愛らしいと思いながら見ていると、またロヴィーナの声が釘を刺す。
「にやにやすんな」
 思わず口元を押さえたのも仕方ないことだろう。そんなに顔に出ていただろうか。
「それから、朝帰りさせたら殺す」
「っ、しません!」
 あせったのは、堂々と性的なネタを振られたからであって、下心を見抜かれたからではない。断じて違う。
 それはもちろん、ルートヴィッヒも健全な男なのだから興味がないわけではないが、付き合って半月でというのは時期尚早……いやそういう問題ではなく、だからつまり。
「ルーイ!」
 助手席から運転席の窓へ身を乗り出した彼女が、待ちきれない様子で彼とロヴィーナのやり取りを見ている。それでは、と言い置いて、厳しい視線を避けるように車に乗った。
 シートベルトを締めていると、隣で彼女が声を弾ませて言う。
「私、ここに座るのがずっと夢だったんだー」
「大げさだ」
「そんなことないよ。だって、助手席は特別席だもん。ルーイを隣から見放題だし、それにほら、手を伸ばせば――」
 フェリシアーナの手が、ハンドルを握る彼の手の上に重なった。
「手を伸ばせば、届くくらい近いんだよ」
 鼓動が跳ね上がった。そして、理解した。この近さは間違いなく「恋人」のそれである、と。ボディーガードなら決してありえない。
「夢が実現してうれしい」
「よかったな」
「うん! ……そういえば、出発しないの?」
「あ、ああ、そうだな」
 忘れかけていた。キーを差しこみ、エンジンをかける。周囲の安全を確認するがてらにちらっとロヴィーナを見ると、射殺すような目つきをしていた。
 発進に合わせてフェリシアーナが手を振ると、姉も振り返す。なにか言いながら彼に指を突きつけたのは、おそらく念押しだったのだろう。

 春休みのよく晴れた日曜日、行楽日和の遊園地は、駐車場を見つけるだけでも一苦労だ。日陰と近さのバランスを取るのはなかなか難しい。
 さらに、遊園地という場所柄、空き待ちをしてもほとんど意味はない。利用者の大半は半日近く駐車しっぱなしなのだ。
「休みは混むな……」
 空きスペースを探しながら誰にともなくつぶやくと、彼女が「そうだねぇ」と相づちを打った。こちらも周りをきょろきょろしている。
「平日に来ればよかったね」
「平日の休暇がなかったんだ。すまない」
「休暇じゃなくても、私の付き添いってことなら平日に行けるよ?」
 その方法も考えた。だが、そうする気にならなかったのだ。
「公私混同はしたくないんだ」
「どういうこと?」
「ボディーガードとして働いているのだから、怠けることはしたくない」
 融通が利かないと思われてもかまわない。これだけはどうしても譲れない。フェリシアーナのことは大事だが、同じくらい仕事に対するプライドがある。
 彼女に理解できるだろうか。少し不安になり、あたりを見回すふりをして様子をうかがった。いつの間にかこちらをじっと見ていた彼女と目が合う。
 どう反応するのか、はらはらしていた。だが、彼女は――笑った。
「真面目なんだから」
「……すまない」
「謝ることじゃないよ。むしろ、カッコいいと思う」
 うれしさと照れくささがないまぜになって鼻の下をこすった。ちょうどそのとき、運よく空きスペースが目に入る。理由もなくあせりながら駐車した。
 バスケットを小脇に抱え、並んで歩いて入場口に向かう。前売り券を買っておいてよかった。駐車場でこの状態なら、チケット売り場は推して知るべしだ。
「ルーイ」
 手をそっとにぎられた。びくりとして立ち止まってしまう。
「あ……ごめん」
 残念そうな顔で手を引っこめようとするので、とっさに握って引き留めた。すぐにぱあっと明るい表情になる。
 自分の指の間に彼女の指が入ってきたが、今度はうろたえなかった。内心はかなり動揺していたが。
「ルーイの手、おっきい」
「……あたたかいな」
「うん」
 気の利いたことは言えなかったのに、彼女はうれしそうだった。自分とは違う肌の感触が不思議で、こそばゆい。
 もう少しじっくりとふれてみたい。若々しい皮膚のなめらかさや白さを知りたい。歩いている今はできないので、時間があるときに。
「ルーイはこの遊園地に来たことある?」
「ああ。高校生のときの修学旅行で」
「そうなんだ」
 フェリシアーナは急に口ごもり、彼の様子をうかがった。
「……彼女と一緒だった?」
 そんな心配をしていたのか。おかしくなって、表情がゆるんでしまう。
「俺がいたのは男子校だ。今まで、恋人がいたことはない」
「えっ。そ、そうなんだ」
 驚いたようにまばたきをすると、緊張がゆるんだのか、ふにゃりと笑う。
「そうなんだ」
 過去の恋愛事情について嫉妬されるのはまんざらでもないが、恋愛経験の貧困さを喜ばれるのは多少複雑だ。もの慣れた態度はできないので、隠したところでどうせばれてしまうが。
「うれしそうだな」
「だって、ルーイがはじめてデートする人は私なんでしょ。うれしいじゃん」
「なら、お前は」
 言いかけてやめた。
 ボディーガードとして一番近くにいたため、ここ三年ほどの彼女の交際関係は把握している。――一年弱前、「恋人」とデートする彼女を送迎したのは、他ならぬ彼だ。
 普段はとことん空気が読めないのに、こんなときだけ彼がまごついてしまった理由がわかるのか、彼女は眉尻を下げた。
「私は、アルフレッドとデートしたことあるからはじめてじゃないけど、……でもね!」
 はっとするほど声を張り、彼を見つめる。その表情は、はじめて出会ったときの高校生のものとは違っていた。涙ではなく愛情でうるんだ瞳。
「前のときもわくわくしたし楽しかったけど、こんなにどきどきしなかったよ。はじめて、だよ」
「そ、そうか」
 心臓が鼓動を速める。握っている手に力がこもる。鏡がないからわからないが、たぶん自分の顔は赤いのだろう。彼女が照れくさそうに笑った。
「今日はいーっぱい遊ぼうね!」
「ああ」
 そうして二人で、入場ゲートを抜けた。

 アミューズメント施設には無縁で無関心だったが、それがもったいなく思えるほど、アトラクションはおもしろかった。
 手始めは3D映画だ。特殊な眼鏡をかけて、映像に合わせて動く椅子に座った。ただの映像だとわかってはいたが、なかなかスリリングだった。
 その次は謎解きアトラクションに行った。鍵のかかった部屋から脱出するために必要な小道具を探したり組み合わせたりするのが数学を解くのにも似ていた。彼女の柔軟な発想にはずいぶん助けられた。
 三つめはシューティングゲームのアトラクションにした。宇宙軍隊の下士官が、訓練の一貫でレーザー銃を使った模擬戦闘をするという設定だ。向こう側もアトラクションの参加者なので、どちらが勝つかわからない。
 ルールは簡単だ。支給されたベストにレーザー光を連続三秒以上当てられるとアウト、銃が使えなくなる。数発撃つと銃のバッテリーが切れてしまうので交換しなければならない。そうして、敵チームの参加者を全滅させたチームが勝ちだ。ちなみに、アウトになっても仲間の援護は可能である。
「シューティングゲームは得意?」
 ベストを着ながらフェリシアーナが訊(たず)ねる。背中のファスナーに手が届かずに悪戦苦闘しているので、閉めてやった。
「兄がすきで、よく付き合わされたからな。下手ではないはずだ」
「頼もしいねー。あ、私もルーイの閉めよっか?」
「頼む」
 筋肉があるせいか、腕があまり後ろに回らない。やってもらって助かった。礼を言うと、やけににやにやしている。
「どうした」
「んー、なんかね。お互いに閉め合いっこしてるって、恋人っぽいなーって思って」
 顔が爆発しそうだった。ごく自然にやっていたが、言われてみればそうかもしれない。
 しかし考えてみれば、こういうことをしているのは恋人になってからではなく、ボディーガードだったころからだ。……フランシスやアントーニョが彼らの関係を誤解するのも当然だろう。
「ルーイ、顔赤いよー?」
 笑いながら言われた。こほん、と咳払いをする。もちろんごまかすつもりだ。
「準備が途中だぞ」
「あっそうだった。えっと、次は銃を装備しないと」
 銃には小型のカメラがついていて、その映像をゴーグルで見ながら撃つことができる。要は照準器だ。ゴーグルにはバッテリー残量や敵と味方の残り人数なども表示されている。ボタンを押せば、ゴーグルについたカメラで前を見ることもできる。
 アトラクションに参加中は絶対ゴーグルを外してはいけない、とモニターの中の隊長(という設定の壮年の男性)が説明する。
 あと少しで開始だ。ゴーグルの向きを調整していると、服のすそをちょいちょいと引っ張られた。彼と同じように、彼女もゴーグルを装着していた。
「間違えて撃ったらごめんね」
 いきなり不安になった。ゲームでなければ速攻で銃を取り上げているところだ。まともに使いこなすどころか暴発させかねない。
「でもそれより先に、アウトになっちゃうかも」
「大丈夫だ」
 ゴーグル越しになってしまうが、目線を合わせるためにかがむ。あの琥珀色の瞳を直接見ることができないのが、とても惜しく思えた。
「俺が守る」
「うん!」
 うれしそうな声を聞くと、なおさら使命感がわいてくる。
 それは、ボディーガードではなく、彼個人として覚える感情だ。「恋人」になってから、そのことを素直に認められるようになった。こんな自分を責めたり恥じたりしなくてもいい。愛する者を守りたいと思って、一体なにが悪い。
「もうすぐはじまるな」
「がんばるよー」
 画面の中の隊長が、参加者たちを鼓舞するように親指を上げた。
『諸君らの健闘を祈る』


 シューティングアトラクションを出て少し歩き、ちょうどよく見つけた、日陰のベンチに座る。
 思わず深く息を吐いてしまった。立ちっぱなしの時間が長かったせいか、腰が落ち着くとほっとする。同時に、意識しなかった疲れが押し寄せる。
「お水飲む?」
「頼む」
「わかった。ちょっと待って」
 彼女はバスケットから水筒を取り出した。コップになみなみと注がれていく水を見ると、のどの渇きがより強くなった気がする。
「はい」
 受け取ろうとして、彼女の首筋にうっすらと汗が浮いていることに気づいた。
 朝は春らしいうららかな陽気だったが、今は太陽が直接皮膚を刺しているような暑さだ。空は青く、はるかかなたにうっすらと雲が見えるだけで、しばらくは和(やわ)らぎそうにない。
 それに加えて、重いベストを着て銃を抱えて走り回るアトラクションは、あまり体力のない彼女にはハードだったことだろう。彼ですら疲れたと思うくらいなのだ。
「先に飲んでくれ」
「いいの?」
「まだ水はあるだろう」
「じゃあ、お先に。ありがとう」
 彼女が薄紅色の下唇にコップを押し当てる。言葉を発する直前のように口がひらき、透明な水が流しこまれ、のどが間をおいて上下する。
 こんなに陽射しが強いのに彼女の肌は白いままで、光をはじいているように見える。まぶしい。
「ルーイも飲んで」
 よく冷えた水がのどを通る。そのまま胃袋へ流れていくのまでわかるような気がした。
「お腹すいたなぁ。ね、お昼にしようよ」
「そうだな」
「やった! 私、お弁当いっぱい作って来たんだよー」
 彼女はいそいそとバスケットから風呂敷包みを取り出した。風呂敷をほどくと、重箱半分くらいのサイズのタッパーが、三つ重なって現れる。……二人分には量が多くないだろうか。
 中にはカラフルで可愛らしいおかずがぎっしり詰まっていた。さすがは元調理部である。もちろん、味も抜群だ。今まで何回も口にしたことがあるのでわかる。
「きらいな食べものある?」
「ない」
「よかった。小皿に取って食べてね」
 しばらくは二人とも無言だった。食べることに集中していたからだ。空腹感が薄まってきてようやく、会話をする余裕が生まれる。
「味、どう?」
「うまいぞ。相変わらず、料理が上手だな」
「本当? まだ作ってきてあるよ。これはデザートで、これがおにぎりで、あと、クッキーとかサラダとか」
 まるで手品のように、バスケットの中から次々とタッパーが出てくる。バスケットがあんなに重かったのも当然だ。
 手料理を味わいたい気持ちはある。しかし、あまりに大量すぎて胃袋の方が追いつかなさそうだ。
 だが、うれしそうな彼女にそれを告げることははばかられた。純粋な気持ちが少し行き過ぎてしまっただけであることがわかるだけに悩んでしまう。下手なことを言うと彼女の心を踏みにじることになってしまう。
 とは言っても、胃袋には容量があるのだ。
「……すまないが、これを今で全部食べるのはできそうにない」
「えっ。あっ! うわー、ごめんね!」
 しょんぼりしながら言う。
「ルーイにいっぱい食べてほしくて、作りすぎちゃった……。いくら身体の大きいルーイでも、さすがにこの量は無理だよね、ごめん。食べきれないなら残していいよ。うちに帰って食べるから」
「いや、俺が食べる」
「え? でもこんな量なのに」
 今、全部食べることは無理だ。しかし、なにも「今」である必要はない。
「容器は洗って返すから、保存がきくものは持って帰って家で食べたいんだ」
 フェリシアーナはぱちぱちとまばたきした。その発想はなかったらしい。
「だめか?」
 訊ねると、勢いよく首を振る。満面の笑顔でぎゅっと腕にしがみつかれた。
「だめじゃないよ。ルーイ大すき! ありがとう!」
「お礼を言うのは俺の方だ。……ありがとう」
 頬を薄紅に染める彼女を見ていると、好意を無駄にしないで済んで本当によかったと思う。うれしそうな様子を見ているとこちらもうれしい。当たり前のような心の動きが、少しばかりこそばゆい。
 長く保存できないおかず、衣が湿気を吸う前に天ぷら・揚げもの、シャキシャキとして鮮度があるうちにサラダ、せっかくなので肉のロール巻き焼き、……などとやっているうちに、腹がふくれてきた。これでまだ半分くらいである。
「だいぶ残っちゃいそうだね」
「その方が俺としては助かる」
「え、なんでー?」
「自分で食事を作る必要がなくなるからな」
 大学生のとき一人暮らしをはじめてからもう何年も経つ。彼女ほど上手ではないが、それなりにそれなりの料理は作れるようになっている。可もなく不可もなくと言ったところだ。
 だからこそ、自分ではない誰かの手作りの味が恋しい。ましてやそれが料理の上手な恋人の作ったものなら、なおさらかけがえない。
「そういえば、ルーイはお昼はお弁当を買ってるんだよね?」
「ああ」
 経済面に問題はないが栄養面が気にかかるので、自分で作った方がいいとは思っている。だが、ただでさえ朝が早い生活では、弁当を作っている余裕はないのだ。
「じゃあ、私がルーイのお弁当を作るよ! ちょうど、二年になったら姉ちゃんと一緒にお弁当を作ろうと思ってたんだ」
 頬が火照(ほて)るのを感じた。
 ありがたい提案だ。彼の都合にも合う。だが、フェリシアーナに弁当を作ってもらうのは、なんというか――どうしようもなく「恋人」といった雰囲気があって気恥ずかしい。照れくさい。
 しかし、よく考えるまでもなく、フェリシアーナは実際に彼の恋人だ。どぎまぎしてしまう方がおかしいのかもしれない。朝のことといい、まだボディーガードの感覚を引きずっているようだ。
「だめ?」
 だが、首をかしげて不安そうに見上げる彼女を見れば、答えなど一つしかなかった。――もう彼らは「ボディーガードとお嬢様」ではないのだから、周囲の目を気にする必要はないのだ。
 頼む、と言いながら頭をなでる。ネコのように目を細めて彼女が笑った。
「ね、いつか、ルーイもご飯作ってよ。食べてみたいな」
「お前ほどうまくないぞ」
「それでもいいよ。食べたい」
「わかった」
 風が吹いて、彼女の髪を巻き上げる。芽吹きはじめた春のにおいを感じる。まだらの木洩れ日が揺れる。
 あたたかいお茶を飲んで一息ついて、……一瞬、目がくらむような幸福が全身を満たした。


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